色彩は嘘を暴く

翌朝、乾清宮の秘密の寝室には、まだ昨夜の緊迫した空気の残滓が漂っていた。
冽が命懸けで毒を吸い出してくれたおかげで、私の身体からは完全に熱が引き、二の腕の痛みも鈍い痺れへと変わっていた。

「体調はどうだ、雪」

夜着のままベッドの脇に座る冽が、低く落ち着いた声で問いかけてくる。その表情は相変わらず冷徹な皇帝の仮面を戻していたが、私を見つめる切れ長の瞳の奥には、隠しきれない気遣いの光が宿っていた。口元から漏れる【淡い桃色の煙】が、彼の本当の心配を物語っている。

「すっかり良くなりましたわ、陛下。それよりも……昨夜お話しした、真犯人の正体についてです」

私はベッドの上に身を起こし、真剣な眼差しで冽を見つめた。

「図書閣で私たちを襲った暗殺者たち。彼らの最大の特徴は、殺意も焦燥も、一切の感情の煙を持たない『完全な無色透明』だったことです。人間であれば、どれほど訓練された忍びであっても、命のやり取りの最中には微かな建前や本音の煙が出るはず。それが皆無だった理由は、一つしかありません」
「感情を薬で消され、完全に操られている人形……ということか」

冽が忌々しげに呟く。

「国境の向こうにある敵国には、特殊な呪いと毒を用いて人間の心を壊し、絶対服従の兵器に作り替える秘術があると聞いたことがある。だが、それを後宮の内で操っている者がいると?」
「はい。そして、私はその『無色透明な煙』を纏う人物を、すでにこの後宮の中で見かけています」

私は記憶を呼び起こしながら、言葉を紡いだ。

「昨日のお茶会を思い出してください。容疑者とされた三人の妃――宸妃、敬妃、麗嬪の誰もが、それぞれに激しい感情の煙を吐き散らしていました。しかし……その妃たちの背後に影のように付き従い、一言も発さずに控えていた者たちがいましたね」

冽の瞳が、ハッとしたように鋭く細められた。

「……侍女、か」
「その通りです。お茶会の最中、私が『白家の財産から内通の証拠が見つかった』という陛下の嘘の誘導尋問を聞いた瞬間、最も奇妙な動きをした者がいました。それは敬妃様ご本人ではありません。彼女の背後で、お茶を注ごうとしていた『一人の無口な侍女』です」

私はあの瞬間の光景を、鮮明に脳裏に描いていた。

「彼女は、敬妃様が動揺して茶器を震わせるよりも一瞬早く、指先をピクリと動かしました。そしてその時、彼女の全身からは、恐怖も驚きも、一切の煙が出ていなかったのです。日常の建前の灰色さえもない、不気味なほどの完全な無色透明。彼女こそが、心を殺して後宮に潜伏し続けているスパイ組織『狐』の最高幹部――真犯人です」

静寂が寝室を満たす。
冽は立ち上がり、腕を組んで深く思考を巡らせた。

「敬妃の侍女、名は『茗翠』。十年前の東部国境の戦争の際、身寄りをなくして後宮の奴婢として買い取られた女だ。確かに経歴としては完璧に条件が一致する。敬妃が実家の密貿易の罪で自宮に幽閉された今、その影に隠れていた『狐』の本体が、口封じのために動き出すのは時間の問題だな」
「ええ。昨夜、図書閣で私たちが当時の軍事記録を調べようとしたのも、彼女にとっては致命傷だったはずです。だからこそ、危険を冒してまで自ら暗殺者を率いて襲撃してきたのでしょう」

私は不敵な笑みを浮かべ、ベッドから床へと足を下ろした。紅い漢服の裾が、さらりと音を立てる。

「陛下。ネズミを捕るには、さらに美味な『餌』を吊るさねばなりませんわ」
「ほう。どんな罠を仕掛けるつもりだ、我が家の看守殿」

冽の口元から、完璧な嘘の仮面が剥がれ、楽しげな【濃い紫(好気)の煙】が立ち上る。彼は私の企みを含んだ瞳を、ひどく気に入っているようだった。

「表向き、私は昨夜の襲撃で『重体となり、意識不明のまま乾清宮で生死の境を彷徨っている』ということにしてください。そして陛下は、私の実家である白家の罪を完全に赦免する公式の詔書を、今夜にも発布すると後宮内に宣言するのです」
「なるほど。白家の名誉が回復され、お前が生き延びれば、『狐』が十年前の戦争から仕込んできた宮廷転覆の計画が根底から崩れる。意識のないお前を確実に仕留めるため、奴は今夜、必ずこの乾清宮の寝室へ直接忍び込んでくるな」
「ええ。そこを、私たち二人で迎え撃ちます。愛のない契約結婚の、これが最後の共同作業ですわ」

私たちは視線を交わし、互いの信頼を確かめ合うように深く頷いた。
皇帝の完璧な権力と、私の嘘を見破る瞳。二つの異能が合わさり、『狐』を追い詰める絶対の檻が完成した。

その日の夕刻、後宮内には「雪貴人、暴漢に襲われ重体」「皇帝、白家の全罪を撤回」という激震の知らせが駆け巡った。
夜が更け、乾清宮の周囲から人影が消えていく。
私はベッドの中に潜り込み、深く息を殺して「その時」を待った。部屋の片隅、厚い帳の影には、長剣を握りしめた冽が息を潜めている。

パサリ。

深夜、天井の通気口から、一枚の木の葉が落ちるような、あまりにも微かな音が響いた。
闇を裂いて滑り込んできた一つの人影が、音もなく私のベッドへと近づいてくる。その手には、月光を浴びて黒く濡れた、毒付きの短剣が握られていた。

(来たわね、無色の暗殺者――)