お茶会から数時間が経過した、夜の帳が降りる頃。
私と皇帝・冽は、乾清宮の奥にある完全に遮音された密室へと、敬妃・静薫を呼び出していた。表
向きは「陛下が、読書好きな敬妃へ珍しい古書を贈るための私的な謁見」とされているが、部屋の入り口には冽の直属である冷徹な近衛兵が立ち並び、逃げ場はどこにもない。
部屋に入ってきた静薫は、昼間の穏やかな藍色の漢服のまま、深く一礼した。
「陛下、お呼び出しいただき光栄に存じます。雪貴人も、お元気そうで何よりですわ」
その声は相変わらず優しげだった。しかし、彼女の口元からは、昼間よりもさらに濃く、泥のようにドロドロとした**【濁った黄色の煙】**が噴き出していた。彼女の細い指先が、自身の袖をきつく握りしめているのを、私は見逃さない。
「静薫。突然の呼び出しで驚かせたね」
冽が椅子の背にもたれかかり、低く美しい声で語りかける。その顔には、いつもの完璧な嘘の微笑みが張り付いていた。当然、彼の周囲には**【真っ黒な嘘の煙】**が渦巻いている。
「昼間のお茶会で、私は白家の財産から『敵国と内通していた決定的な証拠』が見つかったと言った。覚えているかい?」
「はい……。大変痛ましいことでございます」
静薫が頭を垂れる。その瞬間、彼女の黄色の煙が、まるで恐怖に怯える生き物のように激しくのたうった。
「そうだろう。だが、不思議なことがあってね」
冽はゆっくりと立ち上がり、静薫のすぐ目の前まで歩み寄った。床を叩く足音が、まるで処刑へのカウントダウンのように室内に響く。
「その没収した財産の目録を調べていたところ、白家の帳簿の裏に、別の『奇妙な金の流れ』が見つかったのだ。それは敵国ではなく……我が帝国の東部を治める、君の実家である静家へと繋がっていた」
ドサリ、と重い音がした。
静薫が、その場に膝をついて崩れ落ちたのだ。彼女の顔からは完全に血の気が引き、紙のように真っ白になっていた。
「静薫、お前が『狐』の最高幹部なのか? 白家を利用し、我が命を狙うスパイの首謀者は、お前なのか」
冽の声から、一切の温度が消え去った。皇帝としての圧倒的な覇気が、密室の空気を押し潰す。
私は静薫の口元を、瞬きもせずに凝視した。
彼女は床に両手をつき、小刻みに震えながら声を絞り出した。
「違います……! 陛下、私は、私は決して、陛下のお命を狙うような大逆は企てておりません! 狐などという組織のことも、私は何も知らないのです……!」
――その瞬間、私は信じられないものを見た。
静薫の全身から立ち上っていた、あの濃い黄色の煙の奥から、**【透き通った、痛々しいほど純粋な涙色の青い煙】**が、一筋、また一筋と溢れ出してきたのだ。
青は「哀しみ」と「真実」の色。
彼女は、自分がスパイではないということ、狐を知らないということを、心の底から「本当のこと」として訴えていた。
「陛下、お待ちください」
私は思わず、冽と静薫の間に割って入った。
「雪? 邪魔をするな」
「いえ、陛下。彼女の煙を見てください。彼女は今、一切の嘘をついていません。彼女は本当に『狐』の幹部ではありませんわ」
冽は怪訝そうに眉をひそめたが、私の眼力を信用している彼は、それ以上言葉を挟まなかった。私は床に伏せる静薫の前にしゃがみ込み、彼女の震える肩にそっと手を置いた。
「敬妃様。あなたはスパイではない。それは信じます。ですが、お茶会の時からあなたの体を覆っているあの不快な『保身の黄色い煙』は消えていません。あなたは『狐』ではない別の、重大な罪を隠していますね? それは何ですか」
静薫はゆっくりと顔を上げた。その目からは、本物の涙がハラハラと零れ落ちていた。
「……雪貴人。あなたには、全てが見えているのですね」
静薫は自嘲気味に、力なく笑った。彼女の口元から、黄色い煙が最後の悪あがきのように揺らめく。
「白家が没落した原因となった、あの敵国との内通の証拠……あれを白家の屋敷に忍び込ませ、無実の白家を嵌めたのは……私の実家、静家なのです」
「なっ……」
今度は、私が息を呑む番だった。
私の実家、白家を陥れた真犯人が、目の前の彼女の実家だったのだ。
「静家は長年、東部の国境での密貿易で巨万の富を得ていました。しかし、正義感の強い白家の当主――雪貴人、あなたのお父様がその不正に気づき、朝廷に告発しようとしたのです。焦った私の父は、先手を打って白家に偽の証拠を植え付け、謀反人に仕立て上げました。私は、入宮したあなたからその事実が漏れるのを、陛下に知られるのを、何よりも恐れていたのです……!」
静薫は声を上げて泣き崩れた。
彼女の口元からは、もう黄色い煙は出ていなかった。あるのは、実家の罪への絶望と、無実の白家を滅ぼしてしまったことへの深い罪悪感を現す、一面の「青い煙」だけだった。
密室に、重苦しい沈黙が降り立つ。 私は怒りで拳を握りしめた。私の家族が引き裂かれ、私がこうして囮の貴人として売られた原因が、目の前の妃の実家の保身だったのだ。今すぐ彼女を呪ってやりたいほどの激情が胸を突き上げる。
しかし、隣に立つ冽の様子が奇妙だった。
彼は静薫の告白を聞いても、驚く風でもなく、ただ冷酷に、そして深く落胆したような表情を浮かべていた。
そして、彼の周囲から、突然**【どす黒い、底暗い色の煙】**がかすかに漏れ出た。
(え……? 陛下……?)
冽は冷たく静薫を見下ろしたまま、近衛兵に命じた。
「敬妃・静薫。実家の密貿易、および白家への誣告の罪を調査するため、追って沙汰があるまで自宮にて幽閉とする。連れて行け」
「……はい。陛下、申し訳ございませんでした……」
静薫は抵抗することなく、引きずられるようにして連れて行かれた。
密室には、私と冽の二人だけが取り残された。
「陛下……」
私が声をかけると、冽はフッと自嘲的な笑みを浮かべた。その顔には、いつもの嘘の笑顔はなかった。
「お前を囮にして揺さぶれば、ネズミが引っかかると思ったが……出てきたのは『狐』ではなく、ただの腐った身内の汚職だったな。これでお前の実家の無実の理由は分かった。だが、肝心の『狐』の正体は、完全に闇の中に戻ったわけだ」
冽は疲れたように、自身の額を押さえた。
だが、私の目は、彼の言葉ではなく、彼の周囲に漂う煙に釘付けになっていた。
静薫が去った後も、冽の体からは、これまで見たことのない**【冷たくて重い、漆黒の煙】**がじわじわと立ち上り続けていた。
それは、他人に向けられた嘘の煙ではない。
皇帝・冽が、自分自身に対してついている、最も深くて、最も孤独な「嘘」の色だった。
「陛下……あなた、本当は――」
「黙れ、雪。今夜の探索は終わりだ。下がれ」 冽は私の言葉を冷酷に遮ると、一度もこちらを振り返ることなく、暗闇の奥へと去っていった。
敬妃の隠し事が暴かれ、事件は解決に向かうかと思われた。しかし、それはより深い宮廷の闇と、皇帝自身が抱える「巨大な嘘」の迷宮への入り口に過ぎなかったのだ。
私と皇帝・冽は、乾清宮の奥にある完全に遮音された密室へと、敬妃・静薫を呼び出していた。表
向きは「陛下が、読書好きな敬妃へ珍しい古書を贈るための私的な謁見」とされているが、部屋の入り口には冽の直属である冷徹な近衛兵が立ち並び、逃げ場はどこにもない。
部屋に入ってきた静薫は、昼間の穏やかな藍色の漢服のまま、深く一礼した。
「陛下、お呼び出しいただき光栄に存じます。雪貴人も、お元気そうで何よりですわ」
その声は相変わらず優しげだった。しかし、彼女の口元からは、昼間よりもさらに濃く、泥のようにドロドロとした**【濁った黄色の煙】**が噴き出していた。彼女の細い指先が、自身の袖をきつく握りしめているのを、私は見逃さない。
「静薫。突然の呼び出しで驚かせたね」
冽が椅子の背にもたれかかり、低く美しい声で語りかける。その顔には、いつもの完璧な嘘の微笑みが張り付いていた。当然、彼の周囲には**【真っ黒な嘘の煙】**が渦巻いている。
「昼間のお茶会で、私は白家の財産から『敵国と内通していた決定的な証拠』が見つかったと言った。覚えているかい?」
「はい……。大変痛ましいことでございます」
静薫が頭を垂れる。その瞬間、彼女の黄色の煙が、まるで恐怖に怯える生き物のように激しくのたうった。
「そうだろう。だが、不思議なことがあってね」
冽はゆっくりと立ち上がり、静薫のすぐ目の前まで歩み寄った。床を叩く足音が、まるで処刑へのカウントダウンのように室内に響く。
「その没収した財産の目録を調べていたところ、白家の帳簿の裏に、別の『奇妙な金の流れ』が見つかったのだ。それは敵国ではなく……我が帝国の東部を治める、君の実家である静家へと繋がっていた」
ドサリ、と重い音がした。
静薫が、その場に膝をついて崩れ落ちたのだ。彼女の顔からは完全に血の気が引き、紙のように真っ白になっていた。
「静薫、お前が『狐』の最高幹部なのか? 白家を利用し、我が命を狙うスパイの首謀者は、お前なのか」
冽の声から、一切の温度が消え去った。皇帝としての圧倒的な覇気が、密室の空気を押し潰す。
私は静薫の口元を、瞬きもせずに凝視した。
彼女は床に両手をつき、小刻みに震えながら声を絞り出した。
「違います……! 陛下、私は、私は決して、陛下のお命を狙うような大逆は企てておりません! 狐などという組織のことも、私は何も知らないのです……!」
――その瞬間、私は信じられないものを見た。
静薫の全身から立ち上っていた、あの濃い黄色の煙の奥から、**【透き通った、痛々しいほど純粋な涙色の青い煙】**が、一筋、また一筋と溢れ出してきたのだ。
青は「哀しみ」と「真実」の色。
彼女は、自分がスパイではないということ、狐を知らないということを、心の底から「本当のこと」として訴えていた。
「陛下、お待ちください」
私は思わず、冽と静薫の間に割って入った。
「雪? 邪魔をするな」
「いえ、陛下。彼女の煙を見てください。彼女は今、一切の嘘をついていません。彼女は本当に『狐』の幹部ではありませんわ」
冽は怪訝そうに眉をひそめたが、私の眼力を信用している彼は、それ以上言葉を挟まなかった。私は床に伏せる静薫の前にしゃがみ込み、彼女の震える肩にそっと手を置いた。
「敬妃様。あなたはスパイではない。それは信じます。ですが、お茶会の時からあなたの体を覆っているあの不快な『保身の黄色い煙』は消えていません。あなたは『狐』ではない別の、重大な罪を隠していますね? それは何ですか」
静薫はゆっくりと顔を上げた。その目からは、本物の涙がハラハラと零れ落ちていた。
「……雪貴人。あなたには、全てが見えているのですね」
静薫は自嘲気味に、力なく笑った。彼女の口元から、黄色い煙が最後の悪あがきのように揺らめく。
「白家が没落した原因となった、あの敵国との内通の証拠……あれを白家の屋敷に忍び込ませ、無実の白家を嵌めたのは……私の実家、静家なのです」
「なっ……」
今度は、私が息を呑む番だった。
私の実家、白家を陥れた真犯人が、目の前の彼女の実家だったのだ。
「静家は長年、東部の国境での密貿易で巨万の富を得ていました。しかし、正義感の強い白家の当主――雪貴人、あなたのお父様がその不正に気づき、朝廷に告発しようとしたのです。焦った私の父は、先手を打って白家に偽の証拠を植え付け、謀反人に仕立て上げました。私は、入宮したあなたからその事実が漏れるのを、陛下に知られるのを、何よりも恐れていたのです……!」
静薫は声を上げて泣き崩れた。
彼女の口元からは、もう黄色い煙は出ていなかった。あるのは、実家の罪への絶望と、無実の白家を滅ぼしてしまったことへの深い罪悪感を現す、一面の「青い煙」だけだった。
密室に、重苦しい沈黙が降り立つ。 私は怒りで拳を握りしめた。私の家族が引き裂かれ、私がこうして囮の貴人として売られた原因が、目の前の妃の実家の保身だったのだ。今すぐ彼女を呪ってやりたいほどの激情が胸を突き上げる。
しかし、隣に立つ冽の様子が奇妙だった。
彼は静薫の告白を聞いても、驚く風でもなく、ただ冷酷に、そして深く落胆したような表情を浮かべていた。
そして、彼の周囲から、突然**【どす黒い、底暗い色の煙】**がかすかに漏れ出た。
(え……? 陛下……?)
冽は冷たく静薫を見下ろしたまま、近衛兵に命じた。
「敬妃・静薫。実家の密貿易、および白家への誣告の罪を調査するため、追って沙汰があるまで自宮にて幽閉とする。連れて行け」
「……はい。陛下、申し訳ございませんでした……」
静薫は抵抗することなく、引きずられるようにして連れて行かれた。
密室には、私と冽の二人だけが取り残された。
「陛下……」
私が声をかけると、冽はフッと自嘲的な笑みを浮かべた。その顔には、いつもの嘘の笑顔はなかった。
「お前を囮にして揺さぶれば、ネズミが引っかかると思ったが……出てきたのは『狐』ではなく、ただの腐った身内の汚職だったな。これでお前の実家の無実の理由は分かった。だが、肝心の『狐』の正体は、完全に闇の中に戻ったわけだ」
冽は疲れたように、自身の額を押さえた。
だが、私の目は、彼の言葉ではなく、彼の周囲に漂う煙に釘付けになっていた。
静薫が去った後も、冽の体からは、これまで見たことのない**【冷たくて重い、漆黒の煙】**がじわじわと立ち上り続けていた。
それは、他人に向けられた嘘の煙ではない。
皇帝・冽が、自分自身に対してついている、最も深くて、最も孤独な「嘘」の色だった。
「陛下……あなた、本当は――」
「黙れ、雪。今夜の探索は終わりだ。下がれ」 冽は私の言葉を冷酷に遮ると、一度もこちらを振り返ることなく、暗闇の奥へと去っていった。
敬妃の隠し事が暴かれ、事件は解決に向かうかと思われた。しかし、それはより深い宮廷の闇と、皇帝自身が抱える「巨大な嘘」の迷宮への入り口に過ぎなかったのだ。



