式神の従属婚 〜悪辣陰陽師は出来損ないの騰蛇を娶る〜

目覚めると、ギョロリとした大きな丸い瞳に覗き込まれていた。

「ひっ……」

目と鼻の先という至近距離で捉えた目玉に息を詰めた途端、すぐ近くで聞き覚えのある声が目玉を嗜める。

「こら!脅かすなって言ったのに」

声の主は実弥と共に居た少年のものだった。
少年は慌てて読みかけの書物を閉じ目玉を睨んでいる。

彼は数多の人間の中で唯一実弥と言葉を交わしていた者だ。

すると巴を脅かした目玉は、おずおずと少年の背に向かって浮遊しながら移動する。
その最中に少しずつ形を成し、目玉は犬の姿に変化した。

巴は胸を撫で下ろして視線を彼らから周囲へと移した。
どうやらここは座敷のようだ。しかも丁寧に布団に寝かせられていたらしい。

手に触れるのは真新しそうな寝具だった。
何年振りかに触れる厚みのある敷物と柔らかな掛け布団。

「あの、ここは……?」

丁寧な意匠の施された襖や、達筆な字で綴られた掛け軸など、陰陽領で見る屋敷とは異なるがなかなかに格式のある部屋に恐縮し巴は少年を見た。

「倒れられたので実弥様の屋敷に運ばせていただきました。私は真人と申します。犬神憑の見習い陰陽師です。私のことは真人と呼び捨ててください」

利発そうな少年は丁寧に畳に座して微笑んだ。

「これからよろしくお願いします、奥方様」

しかし巴は顎を引き、ぎこちなく頷いた。
犬神憑きと聞いて少し動揺したのだ。

洞窟の妖といい、陰陽師と妖が共に居るなど陰陽領ではあり得ない。
やはり噂に聞いた通り蘆屋家は妖達と都を落とす計画を立てているのだろうか。
一瞬、そんな疑問が過ったが、けれどその驚きをどうにか飲み込み巴は訊ねた。

「こちらこそ……ですが私、まだ従属婚の契りを結んでいませんよね?」

奥方様と呼ばれ違和感があったのだ。
従属婚をすれば嫌でも分かると昔誰かが言っていた。

なのに今は頭痛も吐き気も消え、頭はすっきりとしている。特に身体は軽く、これまでの疲れが不思議と消えていたのだ。
しかしその疑問よりも巴を困惑させるものがふと目に入る。

それは胸元に垂れる自分の髪だった。
錆びた赤褐色でなく、白く透き通っている。
白髪というより銀髪に近い。

何が一体どうなっているのか……状況も、自分の状態すらも満足に掴めない。
そんな巴を気遣ってか真人は言った。

「実弥様は所用で出ています。婚礼の儀の日取りは追って相談したいと仰られていましたよ。それと奥方様には呪いがかかっていた様ですね」

「私に呪い……?」

「はい。なんでも騰蛇としての力が封じられていたとか……今の巴様は青龍に昇格する資質まであるらしいですよ」

そう言って真人は漆の木箱を巴の元に差し出した。
中には繊細な装飾が施された鏡が入っている。
目覚めた時に巴が使えるよう実弥が用意させた物らしく、遠慮せず使うようにと言われた。

巴は唖然として鏡の奥に映る自らの姿を凝視しながら、ぼんやりと答えた。

「……そうだったのですね……」

見た目は自分なのに、髪も瞳の色も変わっていたからだ。
髪と同じく混濁とした重い赤褐色だった瞳すらも、騰蛇の一族に共通する淡い黄色に変わっているのだ。

「では夜がふけましたら外をご案内しますので、私は一旦失礼しますね。何かありましたら呼び鈴を鳴らしてくだされば来ますので、暫く部屋で寛いでください」

真人は相変わらず人の良い笑みを浮かべ告げると下がっていった。
どこか夢心地のような現象に、そして呪いがかかっていたと告げられた驚きに、真人が下がってからも巴は暫く固まっていた。

無意識に鎖骨に触れると鱗が少し増えていた。以前は白い鱗だったものが白銀に輝いている。
これも全て、呪いが解けたから?

一体誰が巴に呪いなどかけていたというのだろうか。心当たりはなかった。

一族からは追放同然の無関心。他の式神や人間には嘲笑われていたが明確な敵意を感じたことはない。
領の外の者だろうか……しかしそれこそ全く見当がつかない。

十二天将の一族は桃の木に成り生まれ、幼体期をへて成人する。人間でいう二十代あたりで成長が止まり、以降はその姿で式神としての霊力が安定するのだ。

巴の幼体期の記憶は曖昧で、気づくと翔期に引き合わされ使役の契約を結ばされた。
それからはずっと陰陽領内で奴隷のように働き詰めでミミズと呼ばれて生きてきたのだ。

だが今の姿の巴を見れば、きっともう誰もミミズなどとは呼ばないだろう。

皮肉にも、陰陽領という土の中から出た巴は、従属婚を迫る実弥によって騰蛇になれたのだ。

試しに念じてみれば何もない和室に濃い霧が充満してゆく。
今まで何度となく鍛練し試しても指先に少しの霧しか出なかったことが、意図も容易く出来たのだ。

騰蛇の能力を示すその現象に、巴は朝一でないのに涙が溢れた。

見かけだけではない。
自分は正真正銘、ミミズでなく騰蛇なのだ。