式神の従属婚 〜悪辣陰陽師は出来損ないの騰蛇を娶る〜

珍しく真人が実弥を咎めている声が聞こえてしまい、その会話の内容に戦慄したからである。

「知っているんですよ。あの女人の元に通うのはよしてください」

「お前が騒がなけりゃ他は勘づかない」

「そういう問題ではなくてですね、香だとか、そういったことが奥方様の」

「式神に触れる際は身を清めるのが常識だ。それぐらい心得てる」

屋敷の小部屋に二人が入ってゆくのを見かけ、真人に頼み事があった巴はつい追いかけ襖の前でその会話を聞いてしまったのだ。

「私のせいで欲を持て余しているのですね……」

気落ちして、その時は足音を立てぬよう浮遊しその場を去った。

しかし朝を迎えるころ合いになって、寝所に訪れた実弥を目の前にすると巴はいてもたってもいられず意地になっていた。

横になる実弥がいつもと変わらぬ調子で巴を迎えようとしたが、その場に腰を折り座し告げる。

「私は物覚えは良い方だと思います。工夫することも得意です」

「急になんだ……」

見つめる先は堀の深い高い鼻梁に眼力の強い瞳。
荒っぽいが整っているこの精悍な顔をもう怖いとは思わない。

仕事上、穢れを纏って帰ってくるのに、屋敷で直ぐに身を清め寝所に穢れを持ち込まないよう徹底している気遣いにも感謝している。

だからこそ、好きでもない相手を妻に娶った結果、隠れて女を抱くような不自由をさせてしまっているなど、従属婚をした以上放っておけるわけがないのだ。

「子が不要と仰いましたが、ご教示いただければお相手できます」

好みでないと突っぱねられたらそれまでだが、一度は子を求められたぐらいなので性欲処理ぐらいは務まるだろう。

そういった行為はしたことがないが、巴は自分を不器用ではないと自負している。

「私で務まらないのであれば、ここへ連れて来られても結構です。ただの来客と屋敷のものも思うでしょうし」

代替案も用意した。
愛のない婚儀ならば割り切るのもまた然りだ。

蛇という性質上、認めた相手に重い執念を抱くのが騰蛇であるが、恩義を感じるならば自由にさせてやるのもまた自分の役目だ。

少し心がささくれた気もしたが、気のせいだろう。
大丈夫。まだこの男に心を許してなどいない。
これは意地なのだから。

そう気付かないふりをして、巴が息巻いて申し出ると、実弥は眉を顰めたあと面倒くさそうに息を溢した。

「……何か勘違いしていないか?」

「いいえ。実弥様が持て余してらっしゃるのを私は知っております」

「……へぇ。何を、どう持て余していると?」

「それは……人間にはその、性欲があるのでしょう。そのことについてです」

責めるように問われ巴は狼狽えた。

ここへ来てから新たな教養を書物から学びとってはいるが、こういう時になんと答えれば良いかは正解が分からないのだ。

「俺が何をしたいか、どう持て余しているか知っているならもっと詳細に答えてくれ。そうでなきゃ分からない」

「……っ」

答えにあぐねていれば、実弥はいやらしい笑みを浮かべて笑った。

「見た目は立派だが、お前は初すぎる。無理する必要はない」

「ですが……」

「俺の好みは平然と下品な言葉を紡げるようなせい性技の手練れだ。つまり、お前の情けは不要だということだ」

実弥の言葉は、ばっさり好みでないと言われるよりも心に重く響いた。

「言っておくが女をここに呼ぶつもりもない。何を聞いたか知らないがお前は何も心配しなくていい。いつも通り寝ろ」

そのくせ庇護する気は変わないようで、早く来いと巴を傍に呼びつける。

「お傍に寄りたくありません……」

無意識に睫毛に影が落ちた。
陰陽の釣り合いが崩れるなどと実弥は気にしているが、一日ぐらい大したことではない。

あんな話をした後で子供をあやすように抱きしめられて寝るには少々気が立っていたのだ。

しかし実弥はのそりと上体を起こすと巴の腕を引いた。
胸元に抱きすくめられ厚い胸板をこれまでになく感じる。

「……お前は今まで粗末に扱われすぎた。気付いてないだろうが、油断していると陰に引っ張られるぞ」

低く心地よい声音が落ちてきて肩が竦む。
あんな風に言ったくせに気遣うなんて……。だが分かっている。
これは主人としての義理なのだ。
夫としての言葉はくれないが、式神を使役する陰陽師としての言葉はちゃんとくれる。

その義務的な優しさが、時間と共にもどかしく感じるのは巴だけなのだろうか。

「そんなに柔ではありません……」

拗ねたような声が出たが、目を瞑って欲しい。
これは本心でもあるのだ。

外の世界へ行くことを心の支えに安倍家に仕えてきた。
こんな風に調子を気遣われなくとも何年も一人で耐えてきたのだから、柔じゃない。

「主人なら自分の使役する式神の釣り合いがどんな状態かぐらい分かる。お前はまだ不安定だ」

言って肩口に額を埋めながら実弥は術を唱えた。
強引に抱きしめられ解くことも出来ない。

耳に落ちる呪文が頭に心地よく響く。
よく眠れるまじないだと言ってたまに施されるもので、それを聞くと眠気の大きな波が来て、ざっと巴を攫ってゆくのだ。

曖昧になってゆく意識の中、ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、巴は声に出ていたかも曖昧な言葉を紡いだ。

だったら他の女のところへなど行かず求めてくれたら良いのに、と。