「――へぇ、母親の治療費をねぇ」
猪口を呷りながら言う紅緒に、初は頷いた。
一口、二口と食べ始めたところで、あの軒で何をしていたのかと問われ、答えたところ、どうして住み込みでの仕事など選んだのかという話になり、答えていたところだ。
初が羽振りの良いあの仕事を選んだのは、全て母の治療費を稼ぐ為だ。
何とか工面したなけなしの金で、診断をつけてもらうことは出来た。が、療養する為には、それの遥か何十倍もの金が必要になる。
だから村を出、最悪自分の身を売ることだって考えたが、運よくあの屋敷が女中を欲していて、運よくおさまることが出来たというところだった。
「あなた、どうして私があそこで働いているのか、気になるって顔をしていたわね」
「うっ……は、はい」
「別に構いはしないわ。隠す程のことでもないから」
紅緒はまた、猪口を一息に煽って、息を整えた。
「私が若の女になりたいのは、あの家が変だからよ」
「変……?」
「あなた、気付かないで働いて――って、そうだったわ。若に取り入る為じゃなかったんだものね」
とはいえ何の疑問を持たないなんて。
そう言いたげな顔で息を吐いて、紅緒は続ける。
「私が思うに、若が女中を入れているのは、娶る人間を選定しているからだと思うの」
「――と言うと?」
「いくら大きな屋敷だからって、あんな数の女中、別に必要ないでしょ? 仕事量だって、頭割りすればそこまででもない。でも、未だ採用の文は出している。相手もいないのにね。
獅桜院家ともあろう家が声明一つ出せば、夫婦になりたいって貴族は星の数程名乗り出るはず。でも、そんな話は聞いたことがない。わざと、そうしていないのよ。
若は、自分に興味がない、あるいは立場が違う家から、番となる者を選ぼうとしてるのよ。高貴な家の生まれでも、美人でなくとも構わない。ただ自分に興味さえないのなら、それでいい、くらいにね。まぁあくまで私の想像だから、事実そうだとして、他の人はそんなこと露とも思ってないでしょうけれど」
「……なるほど」
初はそれを、当人の口から直接聞いたからこそ知っている。
しかし紅緒は、自分の頭でその答えに辿り着いた。
こんな屋敷に産まれた身で、だ。
「私はね、あの家の財産が欲しいの」
「お嫁さんじゃなくて……?」
「ええ。お金よ。私、お金が大好きなの。だから、財力も地位もある獅桜院家に嫁ぎたい。それだけよ。別に若のことはそこまで好きじゃないし。
それにほら、私って綺麗でしょう? 隣に置いておくには申し分ないでしょうしね。こう見えても、昔はまるまる太っていてね。あの家に取り入る為の努力は惜しまなかった」
「へ、へぇ……」
それはある種、相思相愛と言えるのではないかと思う。
互い、想いがないことをこそ想い合っているのだから。
「でもそれ、もし夫婦になることが出来たとして、いえ、ともすればその手前で、家名が割れれば破棄なんてことになりませんか?」
「全て偽ってでもよ。漕ぎ付けさえすれば、それで良い。獅桜院家は昔から、番となった時点で相手への富の分配を明言しているんだもの。紅緒なんて名前も偽物だし」
「へ……? え、偽名…!?」
「当たり前でしょう?」
「そ、そこまでして、取り入りたいんですか……?」
「そこまでして取り入りたいの。何せ、桜花でも有数の大金持ちなんだもの」
「な、なるほど……」
頷きかけたところで、思い出した。
先日、眞弥のことを取り囲む女中らの中に、紅緒の姿はなかった。
一人一人の顔を覚えている訳でも、その場にいた者全てを把握している訳でもないけれど、これだけ目立つ赤毛と美貌、それに上品な佇まいなのだ、あの場に在っては違和感すら覚えたことだろう。
紅緒は眞弥が、自分に興味のない女を欲しがっていることに勘付いている。
だからこそ、そこを偽る必要はないのだ。
「ともあれ、あの家は、というより若は、相当の変人よ。わざさざ私のことを呼びつけて、『もしあの娘に出会うことがあれば、戻って来いと言っておけ』、なんて言うくらいなんだもの」
「えっ……?」
訳が分からなかった。
初は目を丸くしたまま、動けなくなる。
「あの人ってば、あなたをその席に据えようと考えているのかもね」
「そ、んな……」
言葉は長く続かなかった。
思い出してしまったからだ。
自分がそう言われた、今朝の出来事を。
「私には、荷が重すぎます。そんなつもりで仕事をしていたんじゃありませんから」
「そう言っていたわね。でも、あの人はこちらの都合なんて考えない。金をやる、地位をやる、自由をやる、そうとでも言って、女側の嫌を突破しようとするはずよ」
その推論も当たっていた。
正に、自分が言われた通りだった。
嘘を見抜く目、現実を見定める目、そういったものに長けている。
「別に良いわよ、行っても行かなくても。行きたいなら行けば良いし、行きたくないなら暫くうちに置いてあげる。代わりの仕事が見つかるまでね」
「えっ、い、良いんですか……?」
「ええ。部屋なら腐るほど余ってるもの。汚されようが壊されようが、別に大したことないわ」
「よ、汚しも壊しもしませんけれど……」
もしそうなったとしても構わない、と言ってくれているのだ。
今の初には、これ以上ない進言である。
「……数日だけ、構いませんか?」
「数日でも数ヶ月でも、別に良いわよ。ああでも、食事が欲しいならその分は働いてもらうけど」
「はい……はい!」
我ながら久しぶりだと思うくらい、明るい声が出る。
一つの別れから始まる、一つの出会い。
それも、良い類のもの。
言いたいことを言って、自分を曲げないで、あの屋敷を飛び出して、良かった。
拳を握って決意を新たにする初の熱量とは対照的に、紅緒は肩を竦め、猪口をゆっくりと呷った。
猪口を呷りながら言う紅緒に、初は頷いた。
一口、二口と食べ始めたところで、あの軒で何をしていたのかと問われ、答えたところ、どうして住み込みでの仕事など選んだのかという話になり、答えていたところだ。
初が羽振りの良いあの仕事を選んだのは、全て母の治療費を稼ぐ為だ。
何とか工面したなけなしの金で、診断をつけてもらうことは出来た。が、療養する為には、それの遥か何十倍もの金が必要になる。
だから村を出、最悪自分の身を売ることだって考えたが、運よくあの屋敷が女中を欲していて、運よくおさまることが出来たというところだった。
「あなた、どうして私があそこで働いているのか、気になるって顔をしていたわね」
「うっ……は、はい」
「別に構いはしないわ。隠す程のことでもないから」
紅緒はまた、猪口を一息に煽って、息を整えた。
「私が若の女になりたいのは、あの家が変だからよ」
「変……?」
「あなた、気付かないで働いて――って、そうだったわ。若に取り入る為じゃなかったんだものね」
とはいえ何の疑問を持たないなんて。
そう言いたげな顔で息を吐いて、紅緒は続ける。
「私が思うに、若が女中を入れているのは、娶る人間を選定しているからだと思うの」
「――と言うと?」
「いくら大きな屋敷だからって、あんな数の女中、別に必要ないでしょ? 仕事量だって、頭割りすればそこまででもない。でも、未だ採用の文は出している。相手もいないのにね。
獅桜院家ともあろう家が声明一つ出せば、夫婦になりたいって貴族は星の数程名乗り出るはず。でも、そんな話は聞いたことがない。わざと、そうしていないのよ。
若は、自分に興味がない、あるいは立場が違う家から、番となる者を選ぼうとしてるのよ。高貴な家の生まれでも、美人でなくとも構わない。ただ自分に興味さえないのなら、それでいい、くらいにね。まぁあくまで私の想像だから、事実そうだとして、他の人はそんなこと露とも思ってないでしょうけれど」
「……なるほど」
初はそれを、当人の口から直接聞いたからこそ知っている。
しかし紅緒は、自分の頭でその答えに辿り着いた。
こんな屋敷に産まれた身で、だ。
「私はね、あの家の財産が欲しいの」
「お嫁さんじゃなくて……?」
「ええ。お金よ。私、お金が大好きなの。だから、財力も地位もある獅桜院家に嫁ぎたい。それだけよ。別に若のことはそこまで好きじゃないし。
それにほら、私って綺麗でしょう? 隣に置いておくには申し分ないでしょうしね。こう見えても、昔はまるまる太っていてね。あの家に取り入る為の努力は惜しまなかった」
「へ、へぇ……」
それはある種、相思相愛と言えるのではないかと思う。
互い、想いがないことをこそ想い合っているのだから。
「でもそれ、もし夫婦になることが出来たとして、いえ、ともすればその手前で、家名が割れれば破棄なんてことになりませんか?」
「全て偽ってでもよ。漕ぎ付けさえすれば、それで良い。獅桜院家は昔から、番となった時点で相手への富の分配を明言しているんだもの。紅緒なんて名前も偽物だし」
「へ……? え、偽名…!?」
「当たり前でしょう?」
「そ、そこまでして、取り入りたいんですか……?」
「そこまでして取り入りたいの。何せ、桜花でも有数の大金持ちなんだもの」
「な、なるほど……」
頷きかけたところで、思い出した。
先日、眞弥のことを取り囲む女中らの中に、紅緒の姿はなかった。
一人一人の顔を覚えている訳でも、その場にいた者全てを把握している訳でもないけれど、これだけ目立つ赤毛と美貌、それに上品な佇まいなのだ、あの場に在っては違和感すら覚えたことだろう。
紅緒は眞弥が、自分に興味のない女を欲しがっていることに勘付いている。
だからこそ、そこを偽る必要はないのだ。
「ともあれ、あの家は、というより若は、相当の変人よ。わざさざ私のことを呼びつけて、『もしあの娘に出会うことがあれば、戻って来いと言っておけ』、なんて言うくらいなんだもの」
「えっ……?」
訳が分からなかった。
初は目を丸くしたまま、動けなくなる。
「あの人ってば、あなたをその席に据えようと考えているのかもね」
「そ、んな……」
言葉は長く続かなかった。
思い出してしまったからだ。
自分がそう言われた、今朝の出来事を。
「私には、荷が重すぎます。そんなつもりで仕事をしていたんじゃありませんから」
「そう言っていたわね。でも、あの人はこちらの都合なんて考えない。金をやる、地位をやる、自由をやる、そうとでも言って、女側の嫌を突破しようとするはずよ」
その推論も当たっていた。
正に、自分が言われた通りだった。
嘘を見抜く目、現実を見定める目、そういったものに長けている。
「別に良いわよ、行っても行かなくても。行きたいなら行けば良いし、行きたくないなら暫くうちに置いてあげる。代わりの仕事が見つかるまでね」
「えっ、い、良いんですか……?」
「ええ。部屋なら腐るほど余ってるもの。汚されようが壊されようが、別に大したことないわ」
「よ、汚しも壊しもしませんけれど……」
もしそうなったとしても構わない、と言ってくれているのだ。
今の初には、これ以上ない進言である。
「……数日だけ、構いませんか?」
「数日でも数ヶ月でも、別に良いわよ。ああでも、食事が欲しいならその分は働いてもらうけど」
「はい……はい!」
我ながら久しぶりだと思うくらい、明るい声が出る。
一つの別れから始まる、一つの出会い。
それも、良い類のもの。
言いたいことを言って、自分を曲げないで、あの屋敷を飛び出して、良かった。
拳を握って決意を新たにする初の熱量とは対照的に、紅緒は肩を竦め、猪口をゆっくりと呷った。



