狐に嫁入り

 曲がったことは嫌い。
 自分にだろうと周りにだろうと、嘘を吐く人は嫌い。
 初の性分だ。

 しかし、村にいた頃、都に行くなら注意しろと繰り返し注意された。
 それが世界の本質で、無意識の内にも広く認知されている常識なのだと。
 そんな馬鹿なことがあっていいものかと思っていたが、実際耳にしてしまうと、立ち会ってしまうと、やはり駄目だった。
 怒りを抑えることなど出来なかった。
 女中たちがあの家に取り入ろうと躍起になっていることさえ、どうにも納得できない。

 金。名声。権力。
 そんなものに勝る大切なものなんて、この世には幾らでもあるだろうに。

 …………。

 そうやって自分を正当化させたいのに、

「私、追い出されるでしょうか……」

 現実は違う。
 近く自分は職を失うだろう。
 破格の給金を貰っていた、この職を。
 どうしよう。
 村へも、帰るに帰れない。

「はぁぁ……」

 三角に折った足の間に頭を埋めて、何とも情けの無い声を零す。
 それを隣から、美弥が食事を頬張りながら聞いていた。

「何かしたの?」

「……多分、打ち首になるような類の無礼を」

「昨日の今日だけど楽しかったよ」

「…………お世話になりました」

 冗談に笑う余裕も、面白い返答の一つも、出来ない程の余裕の無さ。
 美弥は一つ、小さく息を吐くと、

「ほんと何したらそうなるわけ。お姉さんに話してみ?」

 食事をする手を止め、涙と鼻水に塗れた顔を上げた初の向かいへと移動し、腰を下ろした。



「――――という次第で、ございまして……」

 初が話し終えるまで、美弥は相槌を打つこともなく静かに聞いていた。
 纏まりのない初の言葉を脳内で咀嚼しながら、止めていた次の一口を頬張る。

「ま、初が悪いよねそれは」

「私は――!」

「って言いたいところだけどね。ここに勤めてる身としちゃあさ」

 そう続けられて、初は言葉が切れた。

「あたしでも思うかも。衝動的にでもさ、その場で言えただけ偉いと思うよ」

 美弥は続けて一口二口。
 食事に目を落としたままで続ける。

「女を蔑ろにする男に価値なんてない。母の口癖のようなものです。私自身、それは思っていることです。自分に良くしろって意味ではなくて。村にいた時は、男も女も横並びというのが当たり前だったのに」

「分かるよ。だってさ、男も女も、皆一様に女が身体を痛めて産まれて来るのにさ、それを大事にしないどころか認めもしないなんて、おかしいし」

「ですよね!? もう、本当に有り得ません! 例え思ってても、あそこまでハッキリ言うことないじゃないですか! ん~~~~、もうっ…!」

「どうどう」

 思わず立ち上がりかけたのを美弥に制されて、初は座り直し、はぁと溜め息。

「……私、やっぱりここにはいられませんよね」

「どうだろ。それをあの若がどう思うかだよ」

「どうって、そんなの――」

「ま、決まってるかもだけどさ」

「うぅ……」

 僅かに見えた光明を自らの手で遮る美弥の、意地の悪さと来たら。
 とはいえそんなことは、初も分かっている。

 きっとそうなるんだ。
 どうせそうなるんだ。

 昨夜から、ずっとそんな考えばかりが繰り返されている。

「てか初、若が妖還りだって知らずにここを選んだの?」

「え? は、はい。お給金の羽振りが良かったので」

「呆れた。田舎娘極まれりだね」

「う……うちの村には一人もいなかったんですから、あんなの御伽噺程度にしか思いませんよ」

 妖還り――。
 遥か昔、この国では、超常的な力、人ならざる容姿、そういった特徴を持つ人間が産まれることが稀にあった。それを国では、『妖』と呼称していた。
 それは数百年から途絶えていた為に、長きに渡り滅びてしまったのだというのが通説だった。それが現代、再びその輪廻は繰り返し始め、しかして一度は途絶えたものの再来というところから、先祖が還って来たのだとして畏敬の念を籠め『妖還り』と呼ぶようになった。
 当時と変わらずその殆どは、遺伝による継承ではなく転生輪廻(てんしょうりんね)、先祖の産まれ変わりだとされている。血統に限定されず、いつ何時、どこの家庭から誕生するとも分からない。

 けれども極一部、血統による継承でしか産まれ変わらない妖もいる。
 そのひとつが、眞弥のいる獅桜院家。
 内包する因子は、妖の中でも特に力の強い、九尾の妖狐だ。

 獅桜院家ではそれを、国や家族、仲間を護る為の力として振るって来た。
 それが今の、有数の地位と富を築き上げたのだ。

「そんなの関係ありません。私、あの人のこと大っっっ嫌いになってしまいましたから」

「壁に耳ありだよ」

「……でも嫌いです」

「ん、正直でよろしい。嫌いじゃないよ、そういうの。お団子あげる」

 差し出された串団子に、初は不貞腐れた顔のままかぶりつく。
 それを無造作に噛み砕いて、美味しさにちょっとだけ頬を染めて、けれどもやっぱりすぐにまた、ぶすっと頬を膨らませた。
 コロコロ変わる表情が面白くて、美弥はクスっと笑ってしまう。

「まぁでも、何かしらの処分はあるだろうけどさ。誇って良いことだと思うよ、あたしは。少なくとも、あたしには無理。権力に巻かれてでもお金は欲しいし」

「美弥さんもなかなかに黒いお腹をしてますね」

「ただの料理人だからね。人より美味しいものさえ作れれば、別に媚び売ってまで親密になる意味もないし」

「……壁に耳ありなんじゃありませんでした?」

「そんなもの引きちぎってしまえばいいさ」

「うわぁ……」

 噂の一つでも立とうものなら、それを流布した誰かを突き止めて仕留める――なんてことを、美弥はしないとも言い切れない。
 それくらい、ふわふわゆらゆらと掴み何処がないということが、昨日と今日とで分かってしまった。

「さてと、あたしはそろそろ――」

 言いかけたところへ、バタバタと忙しない足音が近付く。
 言葉を切って向けた視線の先から、ひとりの女中が二人の方へと駆けて来た。
 そうして、まさかと生唾を飲み込む初へと、その女中は視線を合わせた。

「黒髪のちんちくりん——あんたが初だね?」

「は…!? は、はい、初という名前なら、そうですけど――」

「若がお呼びだよ。今すぐ寝殿へ行きな」

「あぅ……」

 言葉のつかえた喉が、変な音を零した。
 まさか、本当にそうなってしまうなんて。
 予想はしていたけれど、まだ覚悟なんて一つも決まっていないというのに。

「み、美弥さん……」

「ごめん、あたし夕飯の仕込みあるから」

「美弥さぁぁぁあん…!」

 心からの叫びは虚しく、我関せずとばかりに手を振り、その場から去ってゆく背中。
 これまで経験して来たどんな苦難より、速く強く打つ心臓に、息苦しさにも似た体調の異変に強く襲われた。