「うーん……」
初は独り、頭を捻っていた。
程よい西日が温かい夕刻、小鳥の囀りと草木の擦れる音を耳に、立派な庭園を眺めながら。
「何唸ってんだよ?」
そう尋ねるのは当然、眞弥だ。
初が背を向ける屋内で、着付けをされているところ。
シュルシュルと響く衣擦れの音が、妙に生々しい。
異性が間近で更衣しているなんて、村にいる時には一度だって験しがなかったことだ。
「いえ、その――本当に、こんなにほんわかした日々ばかりが続いて、いいものなのかと」
初は、独り言のようにそう呟いた。
慌ただしい日々が落ち着くと、その落ち着きのまま早半月程、寝食を繰り返すばかりの生活になってしまった。
仕事はなし。表舞台への顔出しも未だなし。
相変わらず女中らの視線は痛いし、食事を運んで来る時にさえ言葉もない。
いやそれは元々なかったも同然ではあるのだけれど、とにかくもただただ何の出来事もない日々を繰り返していることが、はたして自分の享受していいものなのかどうか、並々ならない不安が押し寄せて来たのだった。
最初の内は、これまで頑張って来た褒美なのだと自分に言い聞かせていたが、たまに美弥が運んで来てくれる際には、ニヤリとわざとらしい笑みを向けられるついでに一つ二つ言葉を交わして、その度、我に返らされる。
「汗水流さなくて飯も宿もあるなんて、最高の暮らしじゃねぇのか?」
「世の人々の希望は分かりませんけど、私はこう、じっとしているのが好きじゃないので」
「物好きなやつだな」
「田舎暮らしを経験なさってみたら良いと思います」
「必要ねぇよ。俺は俺で仕事に忙しいんだからな」
「仕事? 私、ここへ嫁いでからこっち、家でだらりとしているか、出掛けてもすぐに帰って来ているじゃありませんか」
「皮肉っつーのは、相手のことを知っててこそ効果があるんだぞ」
「はい?」
初は思わず振り返る。
そこには、いつもの着物でも、妖としての装束でもない、初でも見かけたことのある隊服へと袖を通す、眞弥の姿があった。
「つーわけで、明日から半月ぐらい家空けるわ。まぁ好きにしててくれりゃいい」
「は、半月…!? え、家を空けるって――」
「遠征だ。仕事でな。今日はこれから会議に参加して、そんまま向こうに泊まってから出るから、夜は帰らねぇ」
「遠征……仕事って、その服で……?」
「当たり前だろ」
「そう、ですか……あっ」
知らなかった。
けれど、知っていた。
初は確かに、それを耳にしていた。
眞弥に嫌いだと叫んだあの日、まだ現場にいたい、と零していたのを。
すぐに手放してしまったが、何をして現場なのかと一瞬気になったその答えが、まさかそういうことだったとは。
「ちょっとしたいざこざの解決と――いや、お前に言っても仕方ねぇか」
「相っ変わらずの物言いですね」
番になったのは、本当にただ面倒事を避けたいが為だったのだということが、よくよく分かった。
「気色悪い顔してんじゃねぇよ。この俺が死ぬわけねぇだろ」
「はい? 別に心配とかしてないんですけど」
「そういうのは、感情を顔に出さねぇように出来てから言え」
「出してません…!」
「あーもう分かったからキャンキャン鳴くなようっせぇな」
眞弥は心底面倒くさそうに、小指で耳をかく。
本当に、この男の一挙手一投足には、一々腸が煮えくり返る思いをさせられる。
それでもやはり、繋がりを持ってしまった人間がいなくなるのを、良しとは出来なくて。
「――傷は最小で帰って来てください。貴方のおもりなんて、御免被りたいので」
初は小さく、けれども丁度耳に入るくらいの声で、そう言った。
言った後で、どうしてそんなことを考えてしまったのかと自問するけれど。
「フン。精々、俺が帰って来るのを楽しみに待ってるこった」
鼻を鳴らした眞弥が、皮肉はありつつそう返すものだから、束の間、呆気に取られてしまった。
しかしすぐに、眞弥はいつものようにニヤリと笑い直す。
「まぁ、俺は女が待つ家になんて、これっぽちも帰りたくなんてないんだけどな」
「――気が変わりました。腕の一本くらい落として来てくれても構いませんいえ落として来てください」
「阿呆かお前は。俺がそんな深手を負うかよ」
気怠そうに言うと、眞弥は傍らに纏めてあった荷物を担いで、早くも部屋を出て行こうと歩き始めた。
「んじゃ行って来るな、お嫁さん」
「いッ――!? ……ってらっしゃいませ」
改めて口にされると、全身総毛立って、殊更に落ち着かない。
苦虫でも嚙み潰したような顔で言葉を続けた初に、眞弥は今一度ふざけた笑みを投げつけた後、襖を引き、次第に足音も遠ざかって行った。
行って来ます。
行ってらっしゃい。
これまで当たり前だったその言葉を口にすることが、ここまで違和感を覚えるものだったろうかと、初は言い知れない心地悪さを覚えた。
「…………はぁ」
溜め息を吐きながら、考える。
大変なのはこれから。自分の方なのだろうなと。
母のことは解決しそうだ。療養にさえ移っているのなら心配はない。
その内に、顔でも見に村へと行く許可を貰おう。
いっそこっちへ連れて来て療養させるのも良い。
その後は――その後は……。
母のことが解決した未来の、その後、自分は何をして生きていけば良いのだろうか。
村へと戻り、これまで通りの生活を続けようと考える一方で、別の何かを探し始めている自分もいた。
その正体は、今はまだ分からないけれど。
近い将来、それは夢だとか野望だとか、そういった類のものであるだろうか。
初は、形容し難い一抹の不安を抱きつつ、今は母のことだけ考えていようと、整然と並ぶ綺麗な花々へと目を向けた。
~終~
初は独り、頭を捻っていた。
程よい西日が温かい夕刻、小鳥の囀りと草木の擦れる音を耳に、立派な庭園を眺めながら。
「何唸ってんだよ?」
そう尋ねるのは当然、眞弥だ。
初が背を向ける屋内で、着付けをされているところ。
シュルシュルと響く衣擦れの音が、妙に生々しい。
異性が間近で更衣しているなんて、村にいる時には一度だって験しがなかったことだ。
「いえ、その――本当に、こんなにほんわかした日々ばかりが続いて、いいものなのかと」
初は、独り言のようにそう呟いた。
慌ただしい日々が落ち着くと、その落ち着きのまま早半月程、寝食を繰り返すばかりの生活になってしまった。
仕事はなし。表舞台への顔出しも未だなし。
相変わらず女中らの視線は痛いし、食事を運んで来る時にさえ言葉もない。
いやそれは元々なかったも同然ではあるのだけれど、とにかくもただただ何の出来事もない日々を繰り返していることが、はたして自分の享受していいものなのかどうか、並々ならない不安が押し寄せて来たのだった。
最初の内は、これまで頑張って来た褒美なのだと自分に言い聞かせていたが、たまに美弥が運んで来てくれる際には、ニヤリとわざとらしい笑みを向けられるついでに一つ二つ言葉を交わして、その度、我に返らされる。
「汗水流さなくて飯も宿もあるなんて、最高の暮らしじゃねぇのか?」
「世の人々の希望は分かりませんけど、私はこう、じっとしているのが好きじゃないので」
「物好きなやつだな」
「田舎暮らしを経験なさってみたら良いと思います」
「必要ねぇよ。俺は俺で仕事に忙しいんだからな」
「仕事? 私、ここへ嫁いでからこっち、家でだらりとしているか、出掛けてもすぐに帰って来ているじゃありませんか」
「皮肉っつーのは、相手のことを知っててこそ効果があるんだぞ」
「はい?」
初は思わず振り返る。
そこには、いつもの着物でも、妖としての装束でもない、初でも見かけたことのある隊服へと袖を通す、眞弥の姿があった。
「つーわけで、明日から半月ぐらい家空けるわ。まぁ好きにしててくれりゃいい」
「は、半月…!? え、家を空けるって――」
「遠征だ。仕事でな。今日はこれから会議に参加して、そんまま向こうに泊まってから出るから、夜は帰らねぇ」
「遠征……仕事って、その服で……?」
「当たり前だろ」
「そう、ですか……あっ」
知らなかった。
けれど、知っていた。
初は確かに、それを耳にしていた。
眞弥に嫌いだと叫んだあの日、まだ現場にいたい、と零していたのを。
すぐに手放してしまったが、何をして現場なのかと一瞬気になったその答えが、まさかそういうことだったとは。
「ちょっとしたいざこざの解決と――いや、お前に言っても仕方ねぇか」
「相っ変わらずの物言いですね」
番になったのは、本当にただ面倒事を避けたいが為だったのだということが、よくよく分かった。
「気色悪い顔してんじゃねぇよ。この俺が死ぬわけねぇだろ」
「はい? 別に心配とかしてないんですけど」
「そういうのは、感情を顔に出さねぇように出来てから言え」
「出してません…!」
「あーもう分かったからキャンキャン鳴くなようっせぇな」
眞弥は心底面倒くさそうに、小指で耳をかく。
本当に、この男の一挙手一投足には、一々腸が煮えくり返る思いをさせられる。
それでもやはり、繋がりを持ってしまった人間がいなくなるのを、良しとは出来なくて。
「――傷は最小で帰って来てください。貴方のおもりなんて、御免被りたいので」
初は小さく、けれども丁度耳に入るくらいの声で、そう言った。
言った後で、どうしてそんなことを考えてしまったのかと自問するけれど。
「フン。精々、俺が帰って来るのを楽しみに待ってるこった」
鼻を鳴らした眞弥が、皮肉はありつつそう返すものだから、束の間、呆気に取られてしまった。
しかしすぐに、眞弥はいつものようにニヤリと笑い直す。
「まぁ、俺は女が待つ家になんて、これっぽちも帰りたくなんてないんだけどな」
「――気が変わりました。腕の一本くらい落として来てくれても構いませんいえ落として来てください」
「阿呆かお前は。俺がそんな深手を負うかよ」
気怠そうに言うと、眞弥は傍らに纏めてあった荷物を担いで、早くも部屋を出て行こうと歩き始めた。
「んじゃ行って来るな、お嫁さん」
「いッ――!? ……ってらっしゃいませ」
改めて口にされると、全身総毛立って、殊更に落ち着かない。
苦虫でも嚙み潰したような顔で言葉を続けた初に、眞弥は今一度ふざけた笑みを投げつけた後、襖を引き、次第に足音も遠ざかって行った。
行って来ます。
行ってらっしゃい。
これまで当たり前だったその言葉を口にすることが、ここまで違和感を覚えるものだったろうかと、初は言い知れない心地悪さを覚えた。
「…………はぁ」
溜め息を吐きながら、考える。
大変なのはこれから。自分の方なのだろうなと。
母のことは解決しそうだ。療養にさえ移っているのなら心配はない。
その内に、顔でも見に村へと行く許可を貰おう。
いっそこっちへ連れて来て療養させるのも良い。
その後は――その後は……。
母のことが解決した未来の、その後、自分は何をして生きていけば良いのだろうか。
村へと戻り、これまで通りの生活を続けようと考える一方で、別の何かを探し始めている自分もいた。
その正体は、今はまだ分からないけれど。
近い将来、それは夢だとか野望だとか、そういった類のものであるだろうか。
初は、形容し難い一抹の不安を抱きつつ、今は母のことだけ考えていようと、整然と並ぶ綺麗な花々へと目を向けた。
~終~



