狐に嫁入り

「あんたたち、いい加減にッ――!」

「うっせぇよ」

 耳打つ叫声に、眞弥は振り向くことなく掌を向ける。

「きゃっ…!」

 直後、離れた所に在った紅緒の身体が、荒々しい焔に包まれた。
 何があったと言葉を飲む初二人の前から、眞弥は姿勢を整えることも、音を立てることもなく踏み込んだ。

「邪魔すんな。今いいとこなんだからよ」

 狼狽える紅緒とのすれ違いざま、眞弥は手刀にてその身体を真二つに引き裂いた。
 ――かのように見えた。
 実際、初と美弥の目には、空間が、次いで紅緒の身体が、胴から二つに斬られたように映っていた。

 しかし、斬れていない。
 数秒後、そうだと気付いた時には、眩い程の光を放っていた焔も消えていた。
 それでも、刀に付いた鮮血を払うかのように眞弥が腕を振ったところで、紅緒は、まるで糸の切れた人形が如く、足元から崩れ、その場に倒れるのだった。

「まひろ、さま……」

 未だ辛うじて意識のある紅緒を見下ろしながら、眞弥は小さな溜め息を一つ。

「お前、玉緒だろ」

 その短い言葉に、紅緒は目を丸くした。

「な、んで……」

「俺は女が嫌いなんだよ。どんだけ金かけて見てくれ作っても、嫌いな相手のことなんかそうそう間違えやしねぇ」

 一度見かけた顔は、その様相が例え変わっていたとしても忘れない。
 それは皮肉にも、普通の人間からすれば愛にも似た言葉で。

「し、知ってて、私を……?」

「他の連中と違って、俺に興味なさそうな面してやがったからな。思った通りなら良かったが、とんだ見込み違いだった」

「…………そう、ですか」

 名前まで偽った人間のことをそうだと分かっている上で。
 自分のことを嫌いなのだろうと思った上で。
 手元に置き、その変遷を観察していた。
 必要なら、いや不必要なら、或いは自分に牙を剥くことがあるのなら、いつでも自ずから処理ことは出来たのだろう。
 たったの数秒前、己の身に起きたことを思えば、全ての計画が無意味だったことが分かった。
 呪いをかける間なんてない。
 眞弥は己の選択を、一切躊躇わない。

「ま……ろ、さま……」

 意識が遠のいてゆく。

「惜しいな。嫌悪が故の殺意だったなら、まだお前に分があっただろうよ」

「……ふ、ふ……好意というものに……敏感、なんですね……」

「味わって楽しいもんじゃねぇからな」

 当然のことのようにそう言ってのける眞弥に、しかし紅緒は無邪気に笑う。

「そう、で……か…………それは、光栄……です…………」

 紅緒は、満たされたような表情をつくったまま、目を瞑った。
 最期の言葉の理由も、初には理解が出来なかった。
 自分を嵌めようとした者への憤慨か。
 将又、想う相手への歪な愛が叶わなかった者への憐憫か。
 初は、自身の心の内が分からなくなってしまった。

「言っておくが、殺しちゃいねぇ。面倒事は御免だからな」

 そういった類のことは心底勘弁願いたい、とばかりに眞弥は溜め息交じりに言う。

「えっ、そ、そうなんですか……?」

「九尾の焔は、物体だけでなく記憶を消すことにも使える。で、斬ったのはこいつの意識だ」

「記憶……それに、意識を……」

 超常的な力を前に、理解の追いつかない頭は、それをただ繰り返すことしか出来ない。
 そうしている暇にも、眞弥は紅緒の身体を米俵を担ぐように肩へと乗せていた。

「あの、紅緒さんは——」

「じきに目は覚める。まぁ、消したのは俺に関する記憶の全部だから、もううちには来ないだろうな」

「そう、ですか」

 言い知れない複雑な心地に、初は言葉を切った。
 紅緒のしたことは、これからしようとしていたことは、人として赦せるようなものではない。
 けれどもその行動に関する大半の理由は、一途な愛故のものだった。
 それを善しとは出来ないが、軽々に攻めてばかりでもいられない。
 立場が、身分が、自分を取り巻く環境がもし同じだったなら、全く違う人間でも、同じ未来を辿ることはない、とは誰にも言い切ることは出来ないのだから。

「後悔すんぞ。あんまり人が好すぎると」

 不意の言葉に、手元に落としていた視線を上げた。
 眞弥は、呆れたような、けれどもそれだけでないような、複雑さを孕んだ顔をしていた。

「同情ってのは、その時同じ境遇にある人間のすることだ。立場も身分も違うやつからすりゃ、それは想像ってやつにの域を一歩でも出ることはない」

 何か一つ言ってやる気にもなれなかった。
 その通りだと思った。

 それは想像の域を出ないし、だからと同情したところで意味もない。
 何も知らないくせに。そう言われたらそこまでだ。

 それでも、自身を作り変え、家柄を隠してまで女中として働いていた事実は、覚悟なしには成し得ない。
 その過程と、未来で迎えるかもしれなかった結果は、とても褒められたものではないけれど。
 原動力であった想いを消され、失った後、彼女は何を支えに生きてゆくのだろうか。
 或いはそれは、相応しい罰なのかもしれないけれど——。

「つかお前も立てよ。さっさと帰るぞ」

「へ……?」

「へじゃねえよ。俺の番になったんだ。治療は屋敷でやってやる」

「――――あっ…!」

 忘れかけていた事実に、沸々と何かが煮え滾る。
 顔が、身体が、熱くなって、
 けれどもその何かの正体は、自分の中で説明できるものではなくて、初は頭を大きく振って考えるのをやめた。

「あー……まぁ、ご愁傷さんだよ、初」

「美弥さぁぁぁあん!」

 縋るあてはもう、彼女だけ。
 事実を、秘密を、全て知っているのは、自分の他には彼女だけとなってしまった。