「眞弥、様……」
紅緒の身体から力が抜ける。
握り直しかけた刀が、カランと音を立てて地面に転がった。
「――どうして、ここがお分かりになったのでしょう?」
「面倒な女がしつこかったんだよ、ったく」
わざと吐き捨てるように言う眞弥に、初は何が何やらと眉を寄せるが、おーい、とどこからか聞こえて来た声に、胸が強く打った。
仰いだ其方からは、初に向かって手を振る――余裕もない形相で息を切らしながら、美弥が駆けて来ていた。
「美弥さ――きゃっ…!」
不意に身体が宙に浮き、直後重力に従い倒れ伏した。
ふんと鼻を鳴らす眞弥が、前触れなく手を離したからだった。
「あたしの友達に何すんの?」
「何もしてないだろ。黙ってそいつでも診てろ」
眞弥の言葉に、今度は美弥が鼻を鳴らす。
互い鋭い視線で睨み合ってから、美弥は初の身体を抱き起した。
「美弥さん……なんで」
「あんたがご飯食べてたあのお店、知り合いんとこなんだよね。屋敷での仕事がない日に立ち寄ってみたら、店から出て来たあんたが、誰かに抱かれてどっか行くのが見えた。あんたみたいな性格の子が、抱えられて移動するなんて考えられなかったから、屋敷を出た後で何かの渦中にあるのかなって、若に相談したんだよ。遅くなってごめん」
「そうでしたか……でも、なんであの男に……?」
「あんたが蔑ろにした女がやばい目に遭いそう。足が付いたら獅桜院家の汚点になかもね。そうなればあんたが先代から継いで築いてきた偽りの地位も危うい。って、脅しと発破かけてやったら、ひっどい顔で重い腰上げた」
「う、うわぁ……」
ともすれば、今この場に於いて一番恐ろしいのは、力も地位も持たない、一人の給仕なのではないだろうか。
初は背筋に、冷たい風が通り抜けたのを感じた。
「まぁ、そんなことは別に良いよ。無事で良かった」
「美弥さん……」
打って変わって優しく温かなその笑みに、初は安堵の息が零れる。
美弥という友人が来てくれた、安心感。
眞弥という疑いようのない暴力が不随した、認めたくない安心感。
「契約だ、女」
ぶっきらぼうで乱暴な言い方に、初は怒りを思い出す。
そうだった。この男は、こういう人間だった。
「助けて欲しけりゃ『はい』と言って頷け」
「は……? な、何にですか……?」
「俺の番になる契約だ」
「ッ…! い、嫌だと何度も言いました…! それに、結婚を契約だなんて——!」
「俺はな、今はまだここに立ってるだけなんだよ。お前が頷かないなら一歩横に退く。そうすりゃお前かそいつ、下手すりゃどっちも串刺しってわけだ」
「そ、それ、脅迫って言うんですけど…!」
「助けてやるって言ってんだ。金と命、ついでにお前の母親も助かるってな。世界一優しい相談だと思わねぇか?」
「なッ…! あ、貴方って人は――!」
「助けてやれんのは俺だけ。金を持ってんのも俺だけ。大嫌いな男に助けられるって道一つだけだが、代わりに面倒避けて全部叶うんだ」
もはや言葉も見つからない。
なんて乱暴な言い分だろうか。
なんて乱暴な言葉だろうか。
「あんた、この期に及んでまだそんなこと言ってんの?」
「うっせぇな。こいつが駄目なら代わり探すだけだっつってんだよ。こいつそれ自体に興味あるわけじゃねぇからな」
「うっわ、初の言う通りの男だわ」
「言いふらす愉悦に浸る人間には見えねぇからな、お前は」
「ふんっ」
眞弥と相性が悪いのは、どうやら自分だけではないらしい。
何とも言えない、腑抜けた笑いが零れる。
「二つに一つだ。数秒後ここで死ぬか、大嫌いな男に嫁ぐ見返りとして全部手に入れて全て黙ってるか。さっさと選べ好きな方」
希望を提示するような言葉を、これまでで一番気の抜けた言い方で。
初はそれを、却って冷静になった頭で咀嚼した。
浮かぶのはいつだって、母の顔ばかり。
これがその為のものなのだと思えば、怖くなんてない。
「――言わせておけば、心底腹が立つ言い分ですね」
「あ?」
振り返る眞弥の視線の先で、初は立ち上がり、鈍い感覚と痛みを押して眞弥の隣へと並ぶ。
そうして、
「私が、私の方から、貴方のように出来損なった心を持つ人間なんかに嫁いであげるんです。貴方の望む人間なんてこの先、その厚顔無恥な本性を隠した分厚い仮面に騙され出て来ないでしょうから。ええ、一人たりともね。
感謝に深く頭でも垂れながら、ありがとうございますとでも口にしてみてください。さぁ、どうぞ」
初は、眞弥の目を真っすぐに見据えて言った。
畏れることなく。堂々と。
心を強く、強くもって。
「――かはっ! ははははっ! 良いなお前! ちっとでも女ってやつにも興味が持てそうだと思ったのは初めてだ!」
眞弥は高らかに、上機嫌に笑う。
それ一つとっても品がない笑い方だが、それはつまり、偽りの笑みでないということの証左でもあって。
「いいぜ助けてやる! 後んなってグチグチ言うんじゃねぇぞ!」
「ふんっ。良いからさっさと母のことを助けてください」
「あぁいいぜ、やってやる。金なら腐る程あるからな」
わざとらしくニヤリと笑いながら、眞弥は初の顔を覗き込む。
それに負けじと、初も視線を逸らさない。
紅緒の身体から力が抜ける。
握り直しかけた刀が、カランと音を立てて地面に転がった。
「――どうして、ここがお分かりになったのでしょう?」
「面倒な女がしつこかったんだよ、ったく」
わざと吐き捨てるように言う眞弥に、初は何が何やらと眉を寄せるが、おーい、とどこからか聞こえて来た声に、胸が強く打った。
仰いだ其方からは、初に向かって手を振る――余裕もない形相で息を切らしながら、美弥が駆けて来ていた。
「美弥さ――きゃっ…!」
不意に身体が宙に浮き、直後重力に従い倒れ伏した。
ふんと鼻を鳴らす眞弥が、前触れなく手を離したからだった。
「あたしの友達に何すんの?」
「何もしてないだろ。黙ってそいつでも診てろ」
眞弥の言葉に、今度は美弥が鼻を鳴らす。
互い鋭い視線で睨み合ってから、美弥は初の身体を抱き起した。
「美弥さん……なんで」
「あんたがご飯食べてたあのお店、知り合いんとこなんだよね。屋敷での仕事がない日に立ち寄ってみたら、店から出て来たあんたが、誰かに抱かれてどっか行くのが見えた。あんたみたいな性格の子が、抱えられて移動するなんて考えられなかったから、屋敷を出た後で何かの渦中にあるのかなって、若に相談したんだよ。遅くなってごめん」
「そうでしたか……でも、なんであの男に……?」
「あんたが蔑ろにした女がやばい目に遭いそう。足が付いたら獅桜院家の汚点になかもね。そうなればあんたが先代から継いで築いてきた偽りの地位も危うい。って、脅しと発破かけてやったら、ひっどい顔で重い腰上げた」
「う、うわぁ……」
ともすれば、今この場に於いて一番恐ろしいのは、力も地位も持たない、一人の給仕なのではないだろうか。
初は背筋に、冷たい風が通り抜けたのを感じた。
「まぁ、そんなことは別に良いよ。無事で良かった」
「美弥さん……」
打って変わって優しく温かなその笑みに、初は安堵の息が零れる。
美弥という友人が来てくれた、安心感。
眞弥という疑いようのない暴力が不随した、認めたくない安心感。
「契約だ、女」
ぶっきらぼうで乱暴な言い方に、初は怒りを思い出す。
そうだった。この男は、こういう人間だった。
「助けて欲しけりゃ『はい』と言って頷け」
「は……? な、何にですか……?」
「俺の番になる契約だ」
「ッ…! い、嫌だと何度も言いました…! それに、結婚を契約だなんて——!」
「俺はな、今はまだここに立ってるだけなんだよ。お前が頷かないなら一歩横に退く。そうすりゃお前かそいつ、下手すりゃどっちも串刺しってわけだ」
「そ、それ、脅迫って言うんですけど…!」
「助けてやるって言ってんだ。金と命、ついでにお前の母親も助かるってな。世界一優しい相談だと思わねぇか?」
「なッ…! あ、貴方って人は――!」
「助けてやれんのは俺だけ。金を持ってんのも俺だけ。大嫌いな男に助けられるって道一つだけだが、代わりに面倒避けて全部叶うんだ」
もはや言葉も見つからない。
なんて乱暴な言い分だろうか。
なんて乱暴な言葉だろうか。
「あんた、この期に及んでまだそんなこと言ってんの?」
「うっせぇな。こいつが駄目なら代わり探すだけだっつってんだよ。こいつそれ自体に興味あるわけじゃねぇからな」
「うっわ、初の言う通りの男だわ」
「言いふらす愉悦に浸る人間には見えねぇからな、お前は」
「ふんっ」
眞弥と相性が悪いのは、どうやら自分だけではないらしい。
何とも言えない、腑抜けた笑いが零れる。
「二つに一つだ。数秒後ここで死ぬか、大嫌いな男に嫁ぐ見返りとして全部手に入れて全て黙ってるか。さっさと選べ好きな方」
希望を提示するような言葉を、これまでで一番気の抜けた言い方で。
初はそれを、却って冷静になった頭で咀嚼した。
浮かぶのはいつだって、母の顔ばかり。
これがその為のものなのだと思えば、怖くなんてない。
「――言わせておけば、心底腹が立つ言い分ですね」
「あ?」
振り返る眞弥の視線の先で、初は立ち上がり、鈍い感覚と痛みを押して眞弥の隣へと並ぶ。
そうして、
「私が、私の方から、貴方のように出来損なった心を持つ人間なんかに嫁いであげるんです。貴方の望む人間なんてこの先、その厚顔無恥な本性を隠した分厚い仮面に騙され出て来ないでしょうから。ええ、一人たりともね。
感謝に深く頭でも垂れながら、ありがとうございますとでも口にしてみてください。さぁ、どうぞ」
初は、眞弥の目を真っすぐに見据えて言った。
畏れることなく。堂々と。
心を強く、強くもって。
「――かはっ! ははははっ! 良いなお前! ちっとでも女ってやつにも興味が持てそうだと思ったのは初めてだ!」
眞弥は高らかに、上機嫌に笑う。
それ一つとっても品がない笑い方だが、それはつまり、偽りの笑みでないということの証左でもあって。
「いいぜ助けてやる! 後んなってグチグチ言うんじゃねぇぞ!」
「ふんっ。良いからさっさと母のことを助けてください」
「あぁいいぜ、やってやる。金なら腐る程あるからな」
わざとらしくニヤリと笑いながら、眞弥は初の顔を覗き込む。
それに負けじと、初も視線を逸らさない。



