狐に嫁入り

 余程長い期間使われていなかったのか、所々老朽化していた箇所があることを把握するだけの時間はかけられた。
 吸わされた薬品か何かの効果だって、それだけあれば薄れてゆく。
 ただ長話に付き合っていたわけではない。

「ぐっ…!」

 足が縺れて、地面へと転がった。
 飢餓感。仄かに残る吸わされたものの効果。それが足を引っ張って、思った程には動けない。
 けれど、どことも分からない場所から、外へと出ることは出来た。
 吹き抜ける風が心地よくもある。

「い、急がないと……!」

 虚を突けたのは幸いだった。
 しかし、向こうもそれで自失するほど莫迦じゃないことだろう。
 追って来る。
 そう考えている暇にも、動き出している筈なのだ。

(誰か……誰でも良いから……!)

 慌てて身体を起こし、進む先へと目を向ける。けれど、

「っ……!?」

 手をついたまま、身体が動かなくなってしまった。

(なんで……!)

 傷に痛みを覚えた、ということはない。
 文字通り、動かないのだ。
 手も足も、咄嗟に叫ぼうとした口元さえも。

「莫迦ね。ボロ屋から出さえすれば逃げられる、なんて短絡的な考えしか浮かんでいなかったなんて」

 紅緒の声が背後に近付く。

「呪いっていうのは、こういうことよ。理解出来たかしら?」

 それに応えることも、虚勢を張ることも、叶わない。
 唯一動かせた――否。動かされた首は、視線は、ふらりと不気味に揺れながら歩み寄る紅緒の姿を捉える。

 憎悪に塗れた瞳。
 怒りに支配された瞳。

 呪いの権化たる妖そのものな形相に、初はいよいよ以って死を覚悟した。

 もう駄目だ。
 声は出せず、動くことも叶わず、大して相手はただでさえ健康体な上に感情も乗っている。

「もう赦すことはないわ。これ以上時間なんてかけない。今ここで殺してやる」

 紅緒はボロ屋から刀を取り出すと、それを抜き払いつつ一気に踏み込んだ。

 ここまでか――。

 初は目を閉じ、そこに母の姿を浮かべた。
 楽しかった村での日々が、走馬灯のように駆け巡る。

 ――――けれど。
 それはある時、ふと消え去った。
 代わりに、



 フオン――!



 刃が空を切る音と、身体を掴まれている感覚、辺りに漂うのは――。

 有り得ない。
 そんなはずない。

 お香の匂いが――あの屋敷で嗅いだお香の匂いがするなんてことは――

「俺の嫁に何してやがんだ」

 絶対に有り得ない。
 そう決定づけてしまいたい頭を、その声が否定した。
 初は弾かれたように目を開ける。

 そのすぐ近くに、

「なん、で……」

 大きな白い狐の耳を携えた、眞弥の顔があった。