狐に嫁入り

『初、出ていらっしゃい』

 紅緒の声に、微睡む意識が引き戻される。
 身体を包むような熱を孕んだ陽気は、夕刻の陽だ。

「は、はい…!」

 慌てて飛び起き、急ぎ扉の方へと向かう。
 少し休憩と身体を横にし、屋敷のそこかしこで焚かれているお香の匂いも手伝って、そのまま夢の世界へと旅立ちかけていた。

「はい、紅緒さん」

 扉を開くと、何やら食材の乗った(ざる)を手に紅緒が立っていた。

「少し珍しい食材を譲ってもらったの。一緒にいらっしゃい」

「珍しい――茸、ですか」

 沢山の種類と量のある茸類と、見慣れた野菜の数々。
 舌鼓を打たせるような料理の香りは未だ立っていないというのに、それを見ているだけでどうにも唾液が溢れて仕方ない。
 この屋敷で世話になり始めてから早五日、そんな立場でありながら、まともな物を食べられていないとまで言うつもりはないけれど、働きへの対価として得られるのは、贅沢なものでも潤沢な量でもない。

 当然と言えば当然だ。
 他にも女中は数名いて、その人たちはこの家のことも紅緒のこともよく知っている。
 当の紅緒があれこれ与えたり手心を加えたりするような性分でないこともあって、初の有りつける残された仕事などというのは、その量も内容も知れているのだ。
 昼間はあちこち町中を回って、仕事を探す為の時間に充ててもいる。

 元よりそういう契約だった。
 今この状況は、初自身の招いたものだ。
 その食事だって、外で眞弥の使者を見たという紅緒の進言で、二日目からはあてがわれたこの部屋で密やかに摂っている。
 これは数日ぶりの、様々な意味合いから、少しばかり贅沢なご飯のお誘いなのである。



「――ご馳走様でした」

 すっかり豊かに膨らんだお腹をさする。
 見た目は至って普通の茸類だったが、なるほど確かに味は違った。
 村で食べて来た物との比較にはなってしまう為に、そこにどれだけの差異があるかはわからないけれど。
 とにかくも満たされた。
 心身共、大満足だ。

「そういえば初、明日は外に出ない方が良いわよ」

 紅緒が言う。

「はい? どうしてです?」

「天気が頗る悪くなりそうだわ」

「天気……でも、仕事が……」

「まあ、子どもではないものね。有事の際に自分の身を護れるというのなら、出ても良いわ。代わりに、私は責任を持てないけれど。言い方はアレだけれど、他人だしね」

「いえ。万一何かあっても、紅緒さんを恨むようなことは絶対にありません」

「そ? なら良いけど」

 そんなことはどうでもいい。
 今はただ、とにかくも早く、新しい仕事に有り付かなくてはならないのだ。

「ご忠告、ありがとうございます」

 紅緒の言葉は胸に留めて。
 初は頭を下げながら、明日のことを考え始めた。