「澄尚、大丈夫か?」
「う、うん。誠こそ大丈夫?満員電車、慣れてないよね」
「ああ、なんとか……それにしても、人が多いな」
「学校近くの駅の改札まででいいから」と言ったものの、俺の自宅近くまで送ると言って絶対に聞き入れてくれなかった誠と一緒に俺は今、電車に揺られている。
できるだけ長く誠と過ごしたくてなるべく部活に顔を出すようにしていたから、この時間帯の電車の混雑具合を忘れていた。沿線沿いに高校が複数あるせいで、学生の帰宅ラッシュであるこの時間は非常に混むのだ。徒歩通学であり、電車通学をしたことがない誠にとってはかなり窮屈で負担が多いだろう。
申し訳ないという気持ちと罪悪感が募る。素直な誠は、俺の嘘に騙されてしまっているせいでこのような状況に身を置いているのだ。
それなのに、誠は俺のことを気遣って少しでも身動きが取れるようにと空いたスペース側に俺を立たせてくれている。
こんな俺にやさしくしないでほしい。俺はやさしくされる資格なんてないのに。
俺が今すぐ真実を言えば、誠はこの状況から解放されるのだ。それなのに、本当のことを口にできない卑怯な自分が嫌になる。
「あと何駅だ?」
「えっと、あと三駅。ごめんね」
「君が謝ることはない。何なら、俺は不謹慎にもワクワクしている」
「……満員電車に?」
「それもあるが……澄尚の家の近くまで行くのは、初めてだろう」
「そ、うだね」
にこ、と嬉しそうに笑いかけられて心臓が跳ねる。ばくばくとうるさいそれが口から飛び出てきてしまわないかと不安になる。ただでさえいつもよりも誠と距離が近く、密着してしまっているのだ。
電車が揺れ動くタイミングで、彼のシャンプーの匂いがふわりと薫ってどぎまぎした。ばかみたいに緊張している。ごくり、とつばを飲み込んだのを、誠には気づかれたくない。
気が気でないまま更に乗車率を増した電車に揺られること十数分後、やっと地面に降り立つことができた。新鮮な空気を肺に送り込む。満員電車に慣れていないはずの誠よりも、俺のほうがぐったりとしてしまって情けない。
「誠、大丈夫だった?気分悪くなったりしてない?」
「大丈夫だ。澄尚は?」
「俺はまあ、たまに乗ることあるし……帰りは逆方向だからすいてるはずだよ」
「そうか。澄尚の自宅は駅から近いんだったか?」
「ここから歩いて五分くらいかな」
「分かった。送る」
そこまでしてくれなくていいよ、と思ったものの、ここで「はい、さようなら」と追い返すことは流石に出来ない。
少し考えて「もし、誠に時間があって嫌じゃなかったら、ちょっとウチ上がってく……?何のお構いもできないけど」と返すと、誠の表情がぱあっと明るくなるのが分かった。
「いいのか?でも、急にお邪魔したらご家族にご迷惑ではないか?その、手土産もないし……」
「あはは、そんなこと気にしないでよ。母さんはいるけど、俺の部屋に行くから関係ないし」
「そうか。なら、お言葉に甘えよう」
「掃除してないから、散らかってるけど……」
「気にしない。……澄尚はその、友達をよく自宅に招くのか?」
「うん?あー、中学のときはウチで遊ぶこともあったけど、そういえば高校生になってからはないなあ」
誠に問われて、高校生になってから友達を自宅に招くのは初めてのことだと気がついた。母に何か言われるだろうか。誠と俺はタイプが違うように見えるだろうから、仲がいいことを不思議に思われるかもしれない。
「その、こういった際の振る舞いがあれば教えてほしい」
「振る舞い?」
「友人の家に行くのは、幼少期を除けば初めてなんだ」
「……俺の家でよかった?」
初めてなのに、とこの状況を作り出している後ろめたさも込みで聞いてみるも「初めてが澄尚の家で嬉しい」と返されて、じくじくと胸が痛む。傷つく資格なんか俺にはないのに。
それでも、彼の「初めて」の枠を埋めるということに優越感を覚えてしまっていて、もうどうしようもない。
申し訳なさと嬉しさが入り混じってぐちゃぐちゃな感情のまま歩いているうちに、自宅へと到着してしまった。
「ついたよ、ここ」
「おお……表札が君の名字だ」
変なところに感動している誠をおいて、鍵を差してドアを開ける。
「ただいま、友達連れてきたよ」といつもよりも大きめの声でリビングに向かって話しかけてみたものの、返事がない。おかしい、まさか、不在なのだろうか。
誠に玄関に上がって貰って、ひとりリビングへと向かう。いつもであればこの時間にはこの部屋にいるであろう母の姿はなかった。もしかしなくても、今、この家には俺と誠の二人きりらしい。
今日一番心臓が早くなる。
別に、友達が家に遊びに来ただけだ。何もない。ただ、彼が俺の好きなひとで、俺が今「素直に思っていることを口にする」状態だと思われているというだけだ。
「…………」
すう、はあ、と大きく深呼吸をする。お客様をいつまでも玄関に放置しておくわけにはいかない。
玄関に戻って「ごめん、親いなかった。俺の部屋まで案内するね」と誠の顔を見ないで言って、いつもよりも早いペースで階段を駆け上がる。
「飲み物とおやつ持ってくるから、部屋で待ってて」と誠を俺の部屋に置き去りにして、キッチンで頭を抱えた。
二人きりだと意識してしまうともうだめだ。邪なことを考えているわけではないし、俺が誠に告白をしたあとという状況ではあるが、俺たちはただの友達だ。そう、ただの友達。
誠は俺のことを友達としか思っていないのだから、間違っても何かが起こることはない。
二人分の飲み物とおやつを乗せたお盆を手に、先ほどとは打って変わってゆったりとした足取りで階段を登る。誠にどう顔を合わせたらいいのか、数時間前の自分の選択の後悔でいっぱいだった。どうしよう。俺は、どうすればいいんだろう。
ごく、と息を呑み込んで覚悟を決めて、自室のドアを引き開けた。
「ごめん誠、おまたせ。麦茶で大丈夫?」
「いや、お構いなく」
誠はどこか落ち着かないようで、そわそわしている。借りてきた猫のような状態の誠を見る機会は滅多にない。思わずふふ、と笑みが溢れたところを、誠にしっかりと見られてしまっていたらしい。
「……笑うな。俺だって緊張しているんだ」
「誠が?あんまり緊張しないタイプじゃん」
「俺が緊張している理由は……というかそもそものことを、君にきちんと話すべきだな」
「うん?」
真剣な表情を浮かべる誠に、意を決して向かい合って座る。
俺とは違っていつも堂々としている彼らしくない。彼の口が開かれて、何も音を出さずに閉じられる。話し始めあぐねている彼を急かすのは違うだろう。
言いたくなかったら無理に言わなくてもいい、と告げようとしたタイミングで、ばちりと誠と目が合った。
「まずは、何度も謝ってしまって君に気を使わせるばかりだと分かってはいるが、謝罪させてほしい。身体に影響がないと聞いていたとはいえ、自分の意思とは異なることを強制的に言わされる、自白剤のようなものを飲まされるだなんていい気はしないだろう」
「それは、俺が自分の意思で飲んだんだし。決めたのは俺だよ」
「そうであっても、言いたくないことを言わせただろう。卑怯だった。君にあのドリンクを飲んでもらったのは、ひとえに臆病でずるい俺のせいだ」
「……」
ぽつぽつと独り言のように、でも後悔の色が滲む声音で紡がれるそれに横槍を入れることはできなくて、頷くことしかできない。誠は今、何を考えているのだろう。彼が俯いてしまったせいで、その表情はよく見えない。
「君には好きな人間がいるのだと、偶然小耳に挟んでしまった」
「……え?」
「友人との談笑を盗み聞きしてしまったのは申し訳ないと思ったが、聞いてからずっと引っかかりがあって、色々なことが手につかなくなっていたんだ。そんな俺を見かねた先輩が差し出してくれたドリンクに飛びついてしまった」
「……誠、俺の好きな人が誰か気になってたの?そういう話、興味ないじゃん」
「他人の惚れた腫れた話には興味がない。ただ、君のことだと話が違う」
ゆっくりと顔を上げた誠と目が合った。
心臓がうるさい。だって、こんな、勘違いしてしまう。
違う違う、そんなことない、と否定の言葉を頭のなかで何度も繰り返すのに、期待した心が震えるのが分かった。
「俺は澄尚のことが好きだ。だから、気が気じゃなかったし、君の好きな人間が誰なのか探ろうとした。身勝手ですまない」
「う、うそだ……」
ぽろ、とこぼれたのは他でもない、俺の心からの声だ。素直になったとしても「そう」思っているのだと考えたらしい誠が身を乗り出して「うそじゃない」とすぐに否定の言葉を紡ぐ。もしかしたらこれは夢で、全部現実ではないのかもしれない。
「君も俺のことが好きだと言ってくれたが、こんな卑怯な男だとは知らなかっただろうし、幻滅しただろう。俺のことをまだ好きでいてほしいと、虫の良いことを言うつもりはない」
すまなかった、と頭を下げる誠に感情が追いつかない。誠に見られていないのをいいことにそっと頬をつねる。痛い。
「……誠、顔上げて」
「しかし……」
「俺も、誠に謝らなきゃいけないこと、ある」
「……なんだ?」
「その、俺のほうが臆病だし卑怯だ。幻滅もすると思う。誠はやさしいから、そんなことないって言ってくれるかもしれないけど……」
ごくり、とつばを飲み込む音が静まり返った部屋の中に響く。
ああもう、こんなときにも心臓がうるさい。聞こえないフリをして、意を決して口を開いた。
「俺、素直になるドリンク、飲んだじゃん」
「ああ」
「あれ、うそ」
「……は?」
「ただのりんごジュース。ジョークグッズだって書いてあったでしょ。俺は飲んで効いたフリをしてただけ」
「…………」
「誠も、俺が天邪鬼なのは知っていたでしょう。だから、効いてるってうそをついて、誠がどう思うかも考えずにべらべら喋った。それで、わざわざ家まで送らせちゃったし……」
「家まで送ったのは、それこそ俺の意思だ」
「でも……」
「なあ、澄尚」
「……うん」
「俺たち、似た者同士だな」
「……全然似てないのにね」
「そうか?」
「そうだよ、俺は凡人だし」
「それでいうと、俺と違って澄尚は常識があるな。一緒にしたら失礼か」
はは、と笑った誠が、ふ、と息をこぼす。すぐに真剣な表情になって、射抜かれるように見つめられた。
「ちゃんと言わせてほしい。澄尚、君のことが好きだ。俺と付き合ってくれないか」
彼の口から聞くことはないであろうと思っていた言葉が、彼の声で俺の耳へと届く。
現実味はないのに、これが現実だと俺はすでに分かっていた。彼に言わせてばかりいるのは卑怯すぎるだろう。震える手をぎゅうと握りしめて、口を開く。
「俺も、誠のことが好き。俺こそ、付き合ってほしい」
ドリンクの効果でもなんでもない、俺の心からの本心だ。素直に本音を言うのはこんなにも怖い。
震える手を俺のぎゅ、と握りしめて「これから、より一層仲良くしてほしい」と言う誠は、これまで見たことのない照れた表情を浮かべていた。うつったらしく、俺まで照れてしまう。顔が熱い。
今だけはほんのすこしだけ、心臓の音を聞かれてしまってもいいかもしれない、などと思いながら、繋がれた手にぎゅっと力を込めたのだった。
了
「う、うん。誠こそ大丈夫?満員電車、慣れてないよね」
「ああ、なんとか……それにしても、人が多いな」
「学校近くの駅の改札まででいいから」と言ったものの、俺の自宅近くまで送ると言って絶対に聞き入れてくれなかった誠と一緒に俺は今、電車に揺られている。
できるだけ長く誠と過ごしたくてなるべく部活に顔を出すようにしていたから、この時間帯の電車の混雑具合を忘れていた。沿線沿いに高校が複数あるせいで、学生の帰宅ラッシュであるこの時間は非常に混むのだ。徒歩通学であり、電車通学をしたことがない誠にとってはかなり窮屈で負担が多いだろう。
申し訳ないという気持ちと罪悪感が募る。素直な誠は、俺の嘘に騙されてしまっているせいでこのような状況に身を置いているのだ。
それなのに、誠は俺のことを気遣って少しでも身動きが取れるようにと空いたスペース側に俺を立たせてくれている。
こんな俺にやさしくしないでほしい。俺はやさしくされる資格なんてないのに。
俺が今すぐ真実を言えば、誠はこの状況から解放されるのだ。それなのに、本当のことを口にできない卑怯な自分が嫌になる。
「あと何駅だ?」
「えっと、あと三駅。ごめんね」
「君が謝ることはない。何なら、俺は不謹慎にもワクワクしている」
「……満員電車に?」
「それもあるが……澄尚の家の近くまで行くのは、初めてだろう」
「そ、うだね」
にこ、と嬉しそうに笑いかけられて心臓が跳ねる。ばくばくとうるさいそれが口から飛び出てきてしまわないかと不安になる。ただでさえいつもよりも誠と距離が近く、密着してしまっているのだ。
電車が揺れ動くタイミングで、彼のシャンプーの匂いがふわりと薫ってどぎまぎした。ばかみたいに緊張している。ごくり、とつばを飲み込んだのを、誠には気づかれたくない。
気が気でないまま更に乗車率を増した電車に揺られること十数分後、やっと地面に降り立つことができた。新鮮な空気を肺に送り込む。満員電車に慣れていないはずの誠よりも、俺のほうがぐったりとしてしまって情けない。
「誠、大丈夫だった?気分悪くなったりしてない?」
「大丈夫だ。澄尚は?」
「俺はまあ、たまに乗ることあるし……帰りは逆方向だからすいてるはずだよ」
「そうか。澄尚の自宅は駅から近いんだったか?」
「ここから歩いて五分くらいかな」
「分かった。送る」
そこまでしてくれなくていいよ、と思ったものの、ここで「はい、さようなら」と追い返すことは流石に出来ない。
少し考えて「もし、誠に時間があって嫌じゃなかったら、ちょっとウチ上がってく……?何のお構いもできないけど」と返すと、誠の表情がぱあっと明るくなるのが分かった。
「いいのか?でも、急にお邪魔したらご家族にご迷惑ではないか?その、手土産もないし……」
「あはは、そんなこと気にしないでよ。母さんはいるけど、俺の部屋に行くから関係ないし」
「そうか。なら、お言葉に甘えよう」
「掃除してないから、散らかってるけど……」
「気にしない。……澄尚はその、友達をよく自宅に招くのか?」
「うん?あー、中学のときはウチで遊ぶこともあったけど、そういえば高校生になってからはないなあ」
誠に問われて、高校生になってから友達を自宅に招くのは初めてのことだと気がついた。母に何か言われるだろうか。誠と俺はタイプが違うように見えるだろうから、仲がいいことを不思議に思われるかもしれない。
「その、こういった際の振る舞いがあれば教えてほしい」
「振る舞い?」
「友人の家に行くのは、幼少期を除けば初めてなんだ」
「……俺の家でよかった?」
初めてなのに、とこの状況を作り出している後ろめたさも込みで聞いてみるも「初めてが澄尚の家で嬉しい」と返されて、じくじくと胸が痛む。傷つく資格なんか俺にはないのに。
それでも、彼の「初めて」の枠を埋めるということに優越感を覚えてしまっていて、もうどうしようもない。
申し訳なさと嬉しさが入り混じってぐちゃぐちゃな感情のまま歩いているうちに、自宅へと到着してしまった。
「ついたよ、ここ」
「おお……表札が君の名字だ」
変なところに感動している誠をおいて、鍵を差してドアを開ける。
「ただいま、友達連れてきたよ」といつもよりも大きめの声でリビングに向かって話しかけてみたものの、返事がない。おかしい、まさか、不在なのだろうか。
誠に玄関に上がって貰って、ひとりリビングへと向かう。いつもであればこの時間にはこの部屋にいるであろう母の姿はなかった。もしかしなくても、今、この家には俺と誠の二人きりらしい。
今日一番心臓が早くなる。
別に、友達が家に遊びに来ただけだ。何もない。ただ、彼が俺の好きなひとで、俺が今「素直に思っていることを口にする」状態だと思われているというだけだ。
「…………」
すう、はあ、と大きく深呼吸をする。お客様をいつまでも玄関に放置しておくわけにはいかない。
玄関に戻って「ごめん、親いなかった。俺の部屋まで案内するね」と誠の顔を見ないで言って、いつもよりも早いペースで階段を駆け上がる。
「飲み物とおやつ持ってくるから、部屋で待ってて」と誠を俺の部屋に置き去りにして、キッチンで頭を抱えた。
二人きりだと意識してしまうともうだめだ。邪なことを考えているわけではないし、俺が誠に告白をしたあとという状況ではあるが、俺たちはただの友達だ。そう、ただの友達。
誠は俺のことを友達としか思っていないのだから、間違っても何かが起こることはない。
二人分の飲み物とおやつを乗せたお盆を手に、先ほどとは打って変わってゆったりとした足取りで階段を登る。誠にどう顔を合わせたらいいのか、数時間前の自分の選択の後悔でいっぱいだった。どうしよう。俺は、どうすればいいんだろう。
ごく、と息を呑み込んで覚悟を決めて、自室のドアを引き開けた。
「ごめん誠、おまたせ。麦茶で大丈夫?」
「いや、お構いなく」
誠はどこか落ち着かないようで、そわそわしている。借りてきた猫のような状態の誠を見る機会は滅多にない。思わずふふ、と笑みが溢れたところを、誠にしっかりと見られてしまっていたらしい。
「……笑うな。俺だって緊張しているんだ」
「誠が?あんまり緊張しないタイプじゃん」
「俺が緊張している理由は……というかそもそものことを、君にきちんと話すべきだな」
「うん?」
真剣な表情を浮かべる誠に、意を決して向かい合って座る。
俺とは違っていつも堂々としている彼らしくない。彼の口が開かれて、何も音を出さずに閉じられる。話し始めあぐねている彼を急かすのは違うだろう。
言いたくなかったら無理に言わなくてもいい、と告げようとしたタイミングで、ばちりと誠と目が合った。
「まずは、何度も謝ってしまって君に気を使わせるばかりだと分かってはいるが、謝罪させてほしい。身体に影響がないと聞いていたとはいえ、自分の意思とは異なることを強制的に言わされる、自白剤のようなものを飲まされるだなんていい気はしないだろう」
「それは、俺が自分の意思で飲んだんだし。決めたのは俺だよ」
「そうであっても、言いたくないことを言わせただろう。卑怯だった。君にあのドリンクを飲んでもらったのは、ひとえに臆病でずるい俺のせいだ」
「……」
ぽつぽつと独り言のように、でも後悔の色が滲む声音で紡がれるそれに横槍を入れることはできなくて、頷くことしかできない。誠は今、何を考えているのだろう。彼が俯いてしまったせいで、その表情はよく見えない。
「君には好きな人間がいるのだと、偶然小耳に挟んでしまった」
「……え?」
「友人との談笑を盗み聞きしてしまったのは申し訳ないと思ったが、聞いてからずっと引っかかりがあって、色々なことが手につかなくなっていたんだ。そんな俺を見かねた先輩が差し出してくれたドリンクに飛びついてしまった」
「……誠、俺の好きな人が誰か気になってたの?そういう話、興味ないじゃん」
「他人の惚れた腫れた話には興味がない。ただ、君のことだと話が違う」
ゆっくりと顔を上げた誠と目が合った。
心臓がうるさい。だって、こんな、勘違いしてしまう。
違う違う、そんなことない、と否定の言葉を頭のなかで何度も繰り返すのに、期待した心が震えるのが分かった。
「俺は澄尚のことが好きだ。だから、気が気じゃなかったし、君の好きな人間が誰なのか探ろうとした。身勝手ですまない」
「う、うそだ……」
ぽろ、とこぼれたのは他でもない、俺の心からの声だ。素直になったとしても「そう」思っているのだと考えたらしい誠が身を乗り出して「うそじゃない」とすぐに否定の言葉を紡ぐ。もしかしたらこれは夢で、全部現実ではないのかもしれない。
「君も俺のことが好きだと言ってくれたが、こんな卑怯な男だとは知らなかっただろうし、幻滅しただろう。俺のことをまだ好きでいてほしいと、虫の良いことを言うつもりはない」
すまなかった、と頭を下げる誠に感情が追いつかない。誠に見られていないのをいいことにそっと頬をつねる。痛い。
「……誠、顔上げて」
「しかし……」
「俺も、誠に謝らなきゃいけないこと、ある」
「……なんだ?」
「その、俺のほうが臆病だし卑怯だ。幻滅もすると思う。誠はやさしいから、そんなことないって言ってくれるかもしれないけど……」
ごくり、とつばを飲み込む音が静まり返った部屋の中に響く。
ああもう、こんなときにも心臓がうるさい。聞こえないフリをして、意を決して口を開いた。
「俺、素直になるドリンク、飲んだじゃん」
「ああ」
「あれ、うそ」
「……は?」
「ただのりんごジュース。ジョークグッズだって書いてあったでしょ。俺は飲んで効いたフリをしてただけ」
「…………」
「誠も、俺が天邪鬼なのは知っていたでしょう。だから、効いてるってうそをついて、誠がどう思うかも考えずにべらべら喋った。それで、わざわざ家まで送らせちゃったし……」
「家まで送ったのは、それこそ俺の意思だ」
「でも……」
「なあ、澄尚」
「……うん」
「俺たち、似た者同士だな」
「……全然似てないのにね」
「そうか?」
「そうだよ、俺は凡人だし」
「それでいうと、俺と違って澄尚は常識があるな。一緒にしたら失礼か」
はは、と笑った誠が、ふ、と息をこぼす。すぐに真剣な表情になって、射抜かれるように見つめられた。
「ちゃんと言わせてほしい。澄尚、君のことが好きだ。俺と付き合ってくれないか」
彼の口から聞くことはないであろうと思っていた言葉が、彼の声で俺の耳へと届く。
現実味はないのに、これが現実だと俺はすでに分かっていた。彼に言わせてばかりいるのは卑怯すぎるだろう。震える手をぎゅうと握りしめて、口を開く。
「俺も、誠のことが好き。俺こそ、付き合ってほしい」
ドリンクの効果でもなんでもない、俺の心からの本心だ。素直に本音を言うのはこんなにも怖い。
震える手を俺のぎゅ、と握りしめて「これから、より一層仲良くしてほしい」と言う誠は、これまで見たことのない照れた表情を浮かべていた。うつったらしく、俺まで照れてしまう。顔が熱い。
今だけはほんのすこしだけ、心臓の音を聞かれてしまってもいいかもしれない、などと思いながら、繋がれた手にぎゅっと力を込めたのだった。
了



