『素直になるドリンク』を飲みますか?

 今、俺の目の前には「飲むと素直になるドリンク」が置かれている。

「…………」
 俺にこのドリンクを渡してきた、すぐ向かいの席に座っている誠を見やる。ばちり、と目が合うと、にこり、と期待が入り混じった笑みを返される。この様子だと、俺が飲むまで彼は引かないだろう。これまでの付き合いでよく分かっている。

「飲むと素直になるドリンク、ねえ……」
 受け取った缶をぐるぐると回転させてラベルを読む。当たり前だが「ジョークグッズです」と小さく書かれていた。成分を見た限り、ただのりんごジュースなのだろう。それはそうだ、こんな夢のような商品が数百円で買えるわけがない。
 誠は天才だなんだと持て囃されているくらい頭が切れて頭脳明晰なのに、素直であるが故に信じやすいところがある。俺たちが所属しているオカルト研究部に彼が所属している理由も「UFOや超常現象が好きだから」らしい。物理的に考えたらおかしい内容であったり、いわゆるヤラセ的な現象に関しては「信じる信じないではなく、存在しようがないからな」とばっさりと切り捨てる面を持っているが、基本的には夢見がちな人間だ。ちなみに俺はというと、都市伝説などが好きでオカ研に所属しているものの、あくまで読み物として楽しんでいるだけで信じてはいない。

「ひさしぶりに松本先輩と会ったときに貰ったんだ。俺自身が飲んでも検証が難しいから、よかったら協力してくれないか?身体に悪い影響が出るものは入っていないらしい」
 まあこれ、ただのりんごジュースだからね……と口にしそうになって、慌てて止める。
 松本先輩は数少ない、幽霊部員が多いうちの部にしてはほどほどに部室に顔を出していた一歳上の先輩だ。よく誠をからかっていたが、馬が合うようで今でもたまに会うらしい。松本先輩も彼と同じで頭が良く、難関大学に通っているそうなので進路に関する話をしたりもするのだろう。俺が誠と一緒に居られるのは、もうあと一年を切ってしまっているのに。

 俺は今、目の前に座っている、ジョークグッズである「飲むと素直になるドリンク」を信じているこの男のことが、好きだった。彼に告白する気はない。
 今、俺は彼の「一番の親友」というポジションに居られているのだ。告白して気まずくなって、関係が悪化してしまったり話せなくなってしまったら、と思うとこのままで居たほうがずっとずっといい。
 誠はきっと、俺が告白しても茶化すことは決してないだろう。真剣に考えてくれるだろう。そういうところが好きだ。……問題は誠ではなく、俺のほうにある。

 俺の名前は「澄尚」だ。澄尚と書いて「すなお」と読む。「素直な子に育ってほしい」という親の願いは俺には重すぎて、名前に反するように年々と天邪鬼になってしまっていっていると自覚している。
 俺と違って素直である誠は、そんな俺のことも笑って受け入れてくれていると思っていた。けれど「素直になるドリンクを飲んでほしいと思っている」イコール、素直ではない俺のことに辟易していたのだろうか。……あ、なんかちょっと泣きそう。

 涙がこぼれてきてしまわないように目をしぱしぱと瞬かせて、震えそうになる声に気がつかれないように小さく「……分かった。飲んでみる」と言うと、誠の表情が分かりやすくパッと明るくなった。俺が素直になったらそんなに嬉しいのか。
 はは、と心のなかで乾いた笑いをこぼして、カシュ、と音を立ててアルミ缶を開ける。
 顔に近づけて匂いを嗅いでみたが、普通のりんごジュースと変わらないようだ。緊張感からか、喉がカラカラに乾いていたのでちょうどいい。ごくごくと缶の半分以上を飲み干して、トン、と机に軽くなった缶を置く。

「どうだ?身体が熱くなってきたりとか、そういうことはあるか?」
「……ないよ。味も普通」
「そうか。うーん、どれくらいで効果が出るんだろうか」
 誠はこのジュースの効果を信じ切っているらしい。よって、俺がこれから取れる行動は二択だ。

 一つ目は、ただのジョークグッズであって、やはり効果はなかったと真実を告げる。
 二つ目は、効いたフリをする。つまり、天邪鬼な自分をどうにか抑え込んで、素直な物言いをする、だ。
 目を輝かせている誠に夢を見させてあげたい気持ちと、彼に本当のことがばれてしまったときに恥ずかしくなるであろう感情のどちらを取るべきか。一体、どちらの選択肢がより正解なのだろうか、俺には分からない。
 もしこれがゲームの世界であれば、効果音と共に好感度ゲージが上がったり下がったりするゲージが見られるだろうに。

「……その、澄尚」
「何?」
「まだ効果は薄いかもしれないが、確かめる意味でもいくつか質問をしてみてもいいか?」
 実際に効果が出ているのか調べたいのだろう。彼からの質問によっては、今日くらい素直になっても問題ないかもしれない。
 俺は二つ目の選択肢、効いたフリをする、を選ぶことに決めた。惚れた弱みだと言われても構わない。どうせ俺以外、誰も知り得ないのだから。

「今日の昼は何を食べた?」
「かつサンドとハムと卵のサンドイッチとメロンパン。……ってこれ、嘘言ったりすることないでしょ」
「そういえばそうか」
 誠が珍しくうんうんと唸っている。頭がいい彼のことなので、実験を開始するより前に質問事項をしっかりとまとめているものだと思っていた。お遊びのようなものだからだろうか。
 今日の誠はいつもと少し違っているように感じて、話しているとそわそわする。知らないひとのようだ、とまでは言わないけれど、あまり俺が見ることがない誠だ。

「少し踏み込んだことを聞いてもいいか?」
「いいよ。今更、何遠慮してるの」
「親しき仲にも礼儀ありだろう。もちろん、黙秘したかったら黙秘してくれても構わない。……いや、素直になる、であれば、黙秘も難しいのか?」
 ぶつぶつと呟く誠に思わず笑ってしまいそうになる。俺を気遣ってくれていることがよく分かってくすぐったい。好きだな、と思わずぽろりとこぼしそうになった言葉を慌てて喉の奥に押しやった。

「澄尚は今、付き合っている相手はいないと言っていたな」
「……え、うん。そうだよ」
 じ、と俺を見つめている誠と視線がかち合う。真剣な表情にどきり、と心臓が跳ねた。
 誠とは恋愛に関する話はほとんどしたことがないが、こうやって一緒に放課後を過ごすことが多いので、お互いに付き合っている相手がいないという話はしていた。
 恋人がいるのであれば、自分よりもその相手を優先すべきだ。お互いにそういう考えなので、相手ができたら言おう、と約束している。

「その、好きな人はいるか?」
「……え、」
 誠にそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった。間抜けな声が喉から抜ける。
 彼は恋愛にはあまり興味がないタイプだと言っていたし、俺の恋愛事情ももちろん気にすることはないと思っていたので完全に想定外の質問だ。
 ついさっき潤したはずの喉が再びカラカラに乾く。
 どうしよう。どうしよう。
「ジュースのせいだから」と本当は効きやしないジュースに責任を押しつけてどさくさに紛れて、彼に向ける感情に気がつかれてしまうようなことを言っても、はたして許されるのだろうか。
 どう答えるべきか迷っていると、誠がおそらく「言いたくなかったら言わなくていい」と言いかけた。彼が言い切る前に「いるよ」と言う。
 心臓がばくばくとうるさい。口から飛び出してしまいそうだ。誠の顔が見られなくて俯く。

「……そうか。その相手は俺が知っている人か?」
 確信に迫る質問だ。それもそうか、誠は今「素直じゃない俺が素直に質問に答えるか?」で、ジュースの真偽を確かめようとしている。普段、誠に同じことを聞かれてもきっと俺ははぐらかすだろう。相手がアンタだとは、いつもの俺なら口が裂けても言えないのだから。

「……うん」
 ジュースのせいだから。そう、全部素直になるジュースの効果。
 ぶつりと吹っ切れた俺はジュースに責任を押しつけることに決めて、全部言ってやろうと決めた。今日だけだ、全部忘れてほしいと言えばいい。きっと誠なら頷いてくれる。

「そうか。ではその、相手は?」
 ごくり、と唾を飲んだのは俺か誠か、あるいは二人ともだっただろうか。
 口を開いて、閉じる。
 全部言ってやろうと決めたのに、素直になれない俺が素直になるのにはかなりの勇気がいるようだ。
 はあ、と誠には聞こえないように小さく息を吐いて、覚悟を決めて口を開いた。

「今、俺の目の前にいる」
「……は?え、」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というのはまさに今の誠のことを言うのだろう。完全に予想外だった告白に驚くのも無理はない。
 誠が口を開いて、音を出さずに閉じる。数十秒前の自分を見ているようでなんだかおかしかった。

「すまない……!」
 告白の返事は聞かなくても分かっていた。分かってはいたけれど、実際に言われると胸にくるものがある。
「俺こそ、急にこんなこと言ってごめん。ただの友達だって思ってたやつに告白されたら気持ち悪いよね」と早口で返すと「違う、そういうことじゃない」と強い口調で否定された。全部分かっていたことなのに、勝手にこぼれ落ちてきそうになっていた涙が引っ込む。

「俺は卑怯でずるいことをした。言いたくなかっただろう。勝手に暴いて言わせてしまって、本当に申し訳ない」
「いや、そんなことない。誠が謝ることじゃないから」
「……俺も飲む」
 決意をその瞳に浮かべてそう言った誠の手が「素直になるドリンク」へと伸びる。
 まずい、これを飲まれてしまうと真実がバレてしまう。

 誠の手に渡ってしまうより前にアルミ缶を手にとってゴクゴクと飲み干す。驚いた表情を浮かべている誠に「喉乾いてたから。誠はこんなの飲まなくても、いつも素直でしょ」と言うと、誠は「いや、そんなことないんだ……」と消えそうな声で紡いだ。

「……」
「………」
 なんとも言えない、気まずい空気が流れる。
 やはり告白はしないほうがよかっただろう。今後ずっと、誠とぎくしゃくしてしまったら嫌だ。しかし数分前の自分の発言を後悔したところで、時間はもう巻き戻せない。

「……澄尚」
「ん、何?」
「今日はもう帰ろう。家まで送る」
「え?いいよ。誠、徒歩でしょ。うちまで電車で二十分くらいかかるよ」
「ジュースを飲ませたのは俺だ。実際に効果があると分かった今、発言のコントロールができないせいで、何かの事件に巻き込まれてしまう可能性も考えられるだろう」
「ええ、そんな大げさな……」
 そもそも、ジュースに効果があるフリをしているだけなので、何ら影響はないのだ。真面目な彼らしい提案だが、不必要であるし申し訳がなさすぎるので断りたかったのに、誠は頑として譲ってくれなかった。誠の申し出を断るには真実を話すしかないだろう。「効いたフリでした」とは言えない俺は、卑怯で臆病者だ。