日中は賑やかな街も、日付が変わる頃には静まり返っている。
眠りに沈む街に、目覚める者も奔る者もいる。
政府直轄退幽鬼部隊──鎮守衆第二分隊。それが、伊吹が所属する部隊だった。
伊吹は部下三人を連れて、雑多な店が軒を連ねる裏通りへ進む。
国が外へと開かれ、外つ国の文化を取り入れる様になって久しい。表通りは広く整備され、石造りの駅舎や青銅の丸屋根を乗せた銀行本店が立ち並んでいるが、一つ通りを外れれば、未だに雑然とした雰囲気が漂っている。
橙色の提灯を下げた誰かが通りを歩いている。右へ、左へとふらふら揺れる。
その姿を認めて、伊吹は手を挙げた。後続の部下たちが足を止める。
橙色の灯が近づくにつれて、提灯でないことが分かった。うっすらとした光を帯びた、男だった。
ぼうとした表情にぽかんと開いた口。焦点の合わない目で周囲を伺っていた。
やがてその男は、ある店の前に立ち止まると、扉にその手を掛けた。
閉ざされた扉には、板が打ち付けられている。看板が歪み、今にも落ちそうだった。
「五門屋のおやじじゃないか」
伊吹の後ろで、新入りの部下が茫然と呟く。
「おやじさん! おやじさん──」
たまらないと言った様子で、部下が叫んだ。
五門屋の店主は、馴染み客の声を聞いたと言うのに、まるで意に介さない。
店を閉ざす板を拳で叩き、頭を打ち付ける。なんとしても、店に入ろうとする意志を感じる。
「鬼に魂を食われて、幽鬼になったのか……」
人は死して肉体と魂に分かれる。肉体は朽ち、魂は巡る。稀に、未練に囚われてこの世に留まる魂がある。
魂として彷徨うだけなら無害なのだが、餌として好むものがいる。
鬼である。
鬼は亡者の魂を喰らい、その姿と記憶を受け継ぐ。
そうして出来上がるのが、幽鬼と呼ばれる存在だ。
「死んでも、店が心残りだったのか……」
「馬鹿!」
呟きをかき消すように別の部下が鋭く叫ぶ。
五門屋の店主が、ぴくりと動きを止めた。
「来るぞ──構えろ!」
伊吹は短く命じ、腰に下げた刀を抜く。
その瞬間だった。店主が、飛び掛かって来たのは。
伊吹達との距離を跳躍一つで乗り越える。四つん這いで着地し、口の端から涎を垂らしながら飛び掛かるの機を見定める様子は、およそ人間とは思えない。
「幽鬼と化した魂は、死を突き付けられると我を失う。当たり前のことだ」
幽世で生きる鬼は、現世で姿を保つことが難しい。
そんな鬼が、狭間の存在である亡者の魂を喰らうことで幽鬼として形を得ることが出来る。
鬼と一体化した魂もまた、形をとりもどして彷徨う。死んだことすら忘れて。
そして、死んでいることを突き付けると、魂の形が揺らぐ。
その隙を鬼の本性に乗っ取られるのだ。
「でも……おやじが……」
部下が知人の姿の幽鬼にたじろぐ。刀の切っ先がぶれている。
伊吹はそれを見やり、自ら足を踏み込んだ。
下から掬い上げる様に刀を振るう。刀身に炎が宿る。これこそが、榊家が得た神の加護だった。
一閃の後、伊吹は幽鬼の首を落としたのだった。
肉体を失った魂は、そのまま塵のように形を失い、消える。
「あれが『同族狩り』と名高い榊隊長か……」
涙交じりの声で、部下が呟く。
(二月前に入って来たばかりというのに、この部下も、長くは続かないだろう……)
その声を聴きながら、内心伊吹は呟く。
いくら人ならざるものだと言えど、人の形をするものを切ることに抵抗を示す者は多い。
割り切るしかないのだが、そこに至るまでに幽鬼討伐から退くものもまた、多いのだ。
伊吹が得た『同族狩り』の異名は、『人を人が狩る』という揶揄でもあるのだ。
「──さっさと帰れよ。新婚なんだろう」
幽鬼は夜に出没することが多く、夜回りが主な仕事になる。
太陽の気配がうっすら漂い始めた頃、詰め所で後処理をしている伊吹に声をかける者がいた。
「恭平か……」
「結婚など御免だと言っていたお前が、結婚とはな。とうとう腹をくくったか」
昔馴染みとはいえ、部署が違う。当然詰め所も違う。わざわざからかうためにやって来たのだろうか。
『同族狩り』と二つ名を持つ伊吹に気軽に声をかけてくるものは少ないが、恭平は遠慮がなかった。
「妻はいないよりいる方がいい。世間体が保たれる。本家から煩いことも言われない」
「かといって、まさか、わざわざ位の低い立花家から花嫁を迎えるとは思わなかっただろうな」
「知らん」
「知らんって……」
「まだ伝えていないから、文句のつけようもないだろう」
「本気か!?」
榊家は、代々退幽鬼で成果を上げて来た名門だ。
幽鬼を討伐するためには、神からの加護を授かった力が必要だった。
榊家は、格式高いとされる五行のうち、火の加護を授かった。
幽鬼討伐では、幽鬼を祓う力──つまり攻撃できる力に価値があるとされる。
立花家は、結界の加護。補助的な能力でしかないため、家格が低いのだ。
「言う通りに結婚してやったんだ。文句は言わせない」
「お前の母上か?」
「あぁ」
身を固めて、後継ぎにふさわしい身分になれというのが母からの指示だった。
そうして、立花家から嫁をとった。家格など到底釣り合わない、後継ぎにはふさわしくない相手を。
「榊家は兄上が継ぐ。俺はせいぜい幽鬼討伐に精を出すとするさ」
兄は、同格の家柄の娘を嫁に迎えた。後継の自覚のない次男坊に家を任せたいと思わないはずだ。
(よほど継子に跡を継がせたくないらしい……母上の思い通りにさせてたまるか)
だから、これでいいのだと伊吹は自分自身を納得させる。
一人の娘を、榊家の御家事情に巻き込んでしまったことは申し訳ないとは思うが、その分の援助は惜しまないつもりだ。
(兄上が榊家を継いだ後なら……相手が望むなら十分な慰謝料を払って離縁しても構わない)
「それより、楽しい話をしよう。新婚生活はどうだ?」
その問いかけに榊は困惑する。
「どう、だろうな」
榊伊吹は、自分の婚約者にたいそう戸惑っていた。
「随分家事が好きなようだ」
「家事?」
「一日中、働いているらしい」
「困窮しているとはいえ、仮にも立花家のご令嬢がか?」
「あぁ」
どの家でも体面と言うものがある。
いくら財産が目減りしているとしても、主一家の世話をする使用人を減らすことは、あまりない。
行き場が無い、身寄りが無いといって、給金が低くなっても辞めない使用人も結構な数いるのだ。
「変わっているな……。お前、使用人を身代わりにもらったんじゃないか」
「下らない冗談を言うな」
だが、まるで冗談とも思えないのが、厄介だった。
あの妻が実は使用人だと言われても、伊吹は納得してしまうだろう。
「まぁ、骨身を惜しまず働くのはいい妻じゃないか」
(いい妻、というものがどういうものなのかよくわからない)
伊吹にとって、妻というものは自分の母の一面ぐらいしか知らない。
次男の息子を跡取りにするために厳しく育て、夫である当主の気を引くことに必死で、憂さを晴らすように使用人に当たり散らす。
元々、結婚など、するつもりはなかった。愛だの情だのは、危険を冒す仕事をする身に必要とも思えない。
母の手駒にされぬために家を出た。幽鬼を狩ることが使命と考え、ひたむきに務めて来た。
なのに、隊長へと担ぎ上げられ雑務が増えた。部下の進退を気にしなければならなくなった。家の問題は未だに伊吹を追いかけてくる。
さらに、降って湧いた悩みの種──立花旭という契約上の妻。
「ただい……」
「おかえりなさいませ! 旦那様」
帰宅の挨拶を皆まで言わせず、気合十分で出迎えるこの妻。
早朝だというのに、眠気を見せず、優雅な仕草で三つ指をついて見せた。
(一体何を考えているんだろうな……)
契約結婚と突き付けられて、怒るでも嘆くでもない妻のことが、伊吹はよくわからなかった。
眠りに沈む街に、目覚める者も奔る者もいる。
政府直轄退幽鬼部隊──鎮守衆第二分隊。それが、伊吹が所属する部隊だった。
伊吹は部下三人を連れて、雑多な店が軒を連ねる裏通りへ進む。
国が外へと開かれ、外つ国の文化を取り入れる様になって久しい。表通りは広く整備され、石造りの駅舎や青銅の丸屋根を乗せた銀行本店が立ち並んでいるが、一つ通りを外れれば、未だに雑然とした雰囲気が漂っている。
橙色の提灯を下げた誰かが通りを歩いている。右へ、左へとふらふら揺れる。
その姿を認めて、伊吹は手を挙げた。後続の部下たちが足を止める。
橙色の灯が近づくにつれて、提灯でないことが分かった。うっすらとした光を帯びた、男だった。
ぼうとした表情にぽかんと開いた口。焦点の合わない目で周囲を伺っていた。
やがてその男は、ある店の前に立ち止まると、扉にその手を掛けた。
閉ざされた扉には、板が打ち付けられている。看板が歪み、今にも落ちそうだった。
「五門屋のおやじじゃないか」
伊吹の後ろで、新入りの部下が茫然と呟く。
「おやじさん! おやじさん──」
たまらないと言った様子で、部下が叫んだ。
五門屋の店主は、馴染み客の声を聞いたと言うのに、まるで意に介さない。
店を閉ざす板を拳で叩き、頭を打ち付ける。なんとしても、店に入ろうとする意志を感じる。
「鬼に魂を食われて、幽鬼になったのか……」
人は死して肉体と魂に分かれる。肉体は朽ち、魂は巡る。稀に、未練に囚われてこの世に留まる魂がある。
魂として彷徨うだけなら無害なのだが、餌として好むものがいる。
鬼である。
鬼は亡者の魂を喰らい、その姿と記憶を受け継ぐ。
そうして出来上がるのが、幽鬼と呼ばれる存在だ。
「死んでも、店が心残りだったのか……」
「馬鹿!」
呟きをかき消すように別の部下が鋭く叫ぶ。
五門屋の店主が、ぴくりと動きを止めた。
「来るぞ──構えろ!」
伊吹は短く命じ、腰に下げた刀を抜く。
その瞬間だった。店主が、飛び掛かって来たのは。
伊吹達との距離を跳躍一つで乗り越える。四つん這いで着地し、口の端から涎を垂らしながら飛び掛かるの機を見定める様子は、およそ人間とは思えない。
「幽鬼と化した魂は、死を突き付けられると我を失う。当たり前のことだ」
幽世で生きる鬼は、現世で姿を保つことが難しい。
そんな鬼が、狭間の存在である亡者の魂を喰らうことで幽鬼として形を得ることが出来る。
鬼と一体化した魂もまた、形をとりもどして彷徨う。死んだことすら忘れて。
そして、死んでいることを突き付けると、魂の形が揺らぐ。
その隙を鬼の本性に乗っ取られるのだ。
「でも……おやじが……」
部下が知人の姿の幽鬼にたじろぐ。刀の切っ先がぶれている。
伊吹はそれを見やり、自ら足を踏み込んだ。
下から掬い上げる様に刀を振るう。刀身に炎が宿る。これこそが、榊家が得た神の加護だった。
一閃の後、伊吹は幽鬼の首を落としたのだった。
肉体を失った魂は、そのまま塵のように形を失い、消える。
「あれが『同族狩り』と名高い榊隊長か……」
涙交じりの声で、部下が呟く。
(二月前に入って来たばかりというのに、この部下も、長くは続かないだろう……)
その声を聴きながら、内心伊吹は呟く。
いくら人ならざるものだと言えど、人の形をするものを切ることに抵抗を示す者は多い。
割り切るしかないのだが、そこに至るまでに幽鬼討伐から退くものもまた、多いのだ。
伊吹が得た『同族狩り』の異名は、『人を人が狩る』という揶揄でもあるのだ。
「──さっさと帰れよ。新婚なんだろう」
幽鬼は夜に出没することが多く、夜回りが主な仕事になる。
太陽の気配がうっすら漂い始めた頃、詰め所で後処理をしている伊吹に声をかける者がいた。
「恭平か……」
「結婚など御免だと言っていたお前が、結婚とはな。とうとう腹をくくったか」
昔馴染みとはいえ、部署が違う。当然詰め所も違う。わざわざからかうためにやって来たのだろうか。
『同族狩り』と二つ名を持つ伊吹に気軽に声をかけてくるものは少ないが、恭平は遠慮がなかった。
「妻はいないよりいる方がいい。世間体が保たれる。本家から煩いことも言われない」
「かといって、まさか、わざわざ位の低い立花家から花嫁を迎えるとは思わなかっただろうな」
「知らん」
「知らんって……」
「まだ伝えていないから、文句のつけようもないだろう」
「本気か!?」
榊家は、代々退幽鬼で成果を上げて来た名門だ。
幽鬼を討伐するためには、神からの加護を授かった力が必要だった。
榊家は、格式高いとされる五行のうち、火の加護を授かった。
幽鬼討伐では、幽鬼を祓う力──つまり攻撃できる力に価値があるとされる。
立花家は、結界の加護。補助的な能力でしかないため、家格が低いのだ。
「言う通りに結婚してやったんだ。文句は言わせない」
「お前の母上か?」
「あぁ」
身を固めて、後継ぎにふさわしい身分になれというのが母からの指示だった。
そうして、立花家から嫁をとった。家格など到底釣り合わない、後継ぎにはふさわしくない相手を。
「榊家は兄上が継ぐ。俺はせいぜい幽鬼討伐に精を出すとするさ」
兄は、同格の家柄の娘を嫁に迎えた。後継の自覚のない次男坊に家を任せたいと思わないはずだ。
(よほど継子に跡を継がせたくないらしい……母上の思い通りにさせてたまるか)
だから、これでいいのだと伊吹は自分自身を納得させる。
一人の娘を、榊家の御家事情に巻き込んでしまったことは申し訳ないとは思うが、その分の援助は惜しまないつもりだ。
(兄上が榊家を継いだ後なら……相手が望むなら十分な慰謝料を払って離縁しても構わない)
「それより、楽しい話をしよう。新婚生活はどうだ?」
その問いかけに榊は困惑する。
「どう、だろうな」
榊伊吹は、自分の婚約者にたいそう戸惑っていた。
「随分家事が好きなようだ」
「家事?」
「一日中、働いているらしい」
「困窮しているとはいえ、仮にも立花家のご令嬢がか?」
「あぁ」
どの家でも体面と言うものがある。
いくら財産が目減りしているとしても、主一家の世話をする使用人を減らすことは、あまりない。
行き場が無い、身寄りが無いといって、給金が低くなっても辞めない使用人も結構な数いるのだ。
「変わっているな……。お前、使用人を身代わりにもらったんじゃないか」
「下らない冗談を言うな」
だが、まるで冗談とも思えないのが、厄介だった。
あの妻が実は使用人だと言われても、伊吹は納得してしまうだろう。
「まぁ、骨身を惜しまず働くのはいい妻じゃないか」
(いい妻、というものがどういうものなのかよくわからない)
伊吹にとって、妻というものは自分の母の一面ぐらいしか知らない。
次男の息子を跡取りにするために厳しく育て、夫である当主の気を引くことに必死で、憂さを晴らすように使用人に当たり散らす。
元々、結婚など、するつもりはなかった。愛だの情だのは、危険を冒す仕事をする身に必要とも思えない。
母の手駒にされぬために家を出た。幽鬼を狩ることが使命と考え、ひたむきに務めて来た。
なのに、隊長へと担ぎ上げられ雑務が増えた。部下の進退を気にしなければならなくなった。家の問題は未だに伊吹を追いかけてくる。
さらに、降って湧いた悩みの種──立花旭という契約上の妻。
「ただい……」
「おかえりなさいませ! 旦那様」
帰宅の挨拶を皆まで言わせず、気合十分で出迎えるこの妻。
早朝だというのに、眠気を見せず、優雅な仕草で三つ指をついて見せた。
(一体何を考えているんだろうな……)
契約結婚と突き付けられて、怒るでも嘆くでもない妻のことが、伊吹はよくわからなかった。

