晨星、黎明に駆けて

少しだけ話しているうちに、ほしかげ界隈の話題になった。
「さなちゃんは、ほしかげ界隈の名前の由来って知ってる?」
るのあちゃんが私に話しかける。名前の由来までは知らない。
「星霜ビルの裏の広場に集まるから、星の影に集まるってことで、星影。でも、漢字じゃなくて、うちらはひらがなでしょ?」
「うん。それにも理由があるの?」
実はそうなんだよね、と言って、るのあちゃんが立ち上がる。まるで先生のように、ゆっくりと歩き回る。
「星影っていう言葉があるんだけど、それは星の光って意味なの。それだと明るい雰囲気になっちゃうじゃん?だから、困ってる人の逃げ場になれるようにって、ちょっと砕けたひらがな表記にして、明るい意味を抑えてるんだって」
「へぇ、そんな…」
そんな細かな意味が、あったんだ。
星霜ビルの裏の広場に集まる人々だからなのだと思っていたが、言葉の意味や雰囲気を大切にして、考えられて作られたものだとは知らなかった。
名前を付けた人は、誰なのだろうか。
悩んでいるなら、ここがあなたの逃げ場になると。
ここには同じ傷を背負い続ける仲間がいると。
ここは、立派な一つのコミュニティなのかもしれない。
居場所ができて。頼れる仲間ができて。傷をなめ合えるような人たちがいて。
それだけならよかったのだ。
今問題提起されているのは、ほしかげ界隈内の治安の良し悪し。
傍から見れば、ほしかげ界隈と悪いものとのパイプが繋がっているように思われてもおかしくはない。
「名前の由来のとおりだったらいいんだけど、今のほしかげは、そんな風には見えない。…界隈の人が増えて、その分変わったところがたくさんある」
みゆがそう言って、周りを見渡す。また、悔しそうな顔をする。
「悪い大人が近づいてくるようになった。そういう大人に声をかけられるためにここへ来る子も出てきた。それって…。きっと、本来のほしかげの姿じゃない。あたしが目指すものと違う」
私も周りを見渡してみる。
ほとんどが若者同士で集まったり、少人数ながらもグループを形成している人たちもいる。
しかし、何人かの人は、一人で立って、スマホを見ているだけ。
ああいう人たちは、初めはいなかったのだろうか。
「一人になったら絶対話しかけられるよ。さなはいつもここにいた方がいい」
ゆのあくんがそう言ってくれて、私はなんだか少しだけ嬉しかった。
「ありがとう、改めてこれからよろしくね」
ん、と短く言葉が返ってくる。目線はスマホだけれど、いつもしっかり話は聞いてくれているんだ。
その後も少しだけ話をしてから、私はみゆに送られて、家に帰った。
ほしかげ界隈には、世の中の色々なものがごちゃまぜになって存在している。
流行も、経済も、悩みも。
きっと、私が知らないだけで、みゆにはもっと仲間がいる。
家に帰ってゆっくりとお風呂に入る。
この感覚がわかる人は、ほしかげ界隈にどれくらいいるのだろう。
みゆを含め、ゆのあくんやるのあちゃんも、昼間はどこで、どんな風に生活しているのだろう。
これからどんな人々と関わっていくのか、難しさも感じた夜だった。

昼間は平凡な学校生活、夕方から夜にかけてはイレギュラーなほしかげ界隈での生活。
初めてるのあちゃんを知った日から、二週間ほど経った今日。
私は電車を降りて、星霜ビルへ向かった。
しかし、今日は学校で体育祭があったため、体はへとへとだった。お腹も空いているような…。
いつものようにみゆの隣に座る。お疲れ、と挨拶を交わす。今日はまだゆのあくんとるのあちゃんはいないようだ。
「今日は偵察に行こうと思ってる」
「て、偵察!?何かあったの…?」
何かある前に行くの。そのみゆの言葉に、大人っぽさをひしひしと感じる。
みゆは、ほしかげ界隈に来て、だいぶ大人びた気がする。
秋の空気が通り過ぎるような中、私たちは二人で、みゆの言う「偵察」に行くことになった。
偵察といっても、様子見をするだけ。よっ、と声をかけて、自然な流れで何か界隈に変化がないかを聞き出すのが、みゆの得意技らしい。
「みゆじゃーん、久しぶりー!」「みゆー、ちょっと話聞いてよー」「みゆちゃん、この前はありがとね」
グループを見て回っていく。ほしかげ界隈でのみゆの知名度は想像を超え、頼りにされているのがこちらにまで伝わってきた。
みゆが来ると、みんなの顔が少しだけ明るくなるのがわかる。
それに対して、みゆもみんなの顔を見て、安心したような、まるで我が子を想うような表情を浮かべる。
…みゆ、お母さんみたいだね。
私も少しだけ嬉しくなった。安心、したのかもしれない。
偵察というほどだから、それを嫌がるような人たちもいるのかなと思っていたし。
目さえ合わせないような、そんな人もいるのかもしれないと考えていた。
しかし、それは完全に私の、外側からの偏見で。
内側から見てみれば、みんな、心の拠り所を探しているのだと。そして、その拠り所に、みゆも含まれているということを。
何よりも、みんなだけでなく、みゆまでもが楽しそうに話していることは、私にとっての「普通の幸せ」の形を再構築されるような感覚だった。
心の中の常識という名の破片が、カチカチと組み合わさって、独特で歪ながらにも、美しい形を成していく。
きっと私はここでほしかげ界隈の人々と関わるごとに、心の中にあるいくつもの常識や普通という名の呪縛が解かれ、柔らかなものと変化していくことの循環を繰り返す。