晨星、黎明に駆けて

私、なんで泣いてるんだろ。
堂々とできない悔しさ。今まで通りでいられなくなるかもしれないという恐怖。
頬を切る風が、こんなにも痛いだなんて。
一言では表せないほどに複雑に絡まった感情が、涙になって落ちていく。
制服にできる染みの形もまた歪で、それはどんどん広がっていった。
喉の奥がぎゅっとなって、そこに冷たい空気が入り込んできて。
そんな中でも頼りになるのは、温かな涙だということが皮肉に感じた。
「先生に、もう行くなって言われちゃった…」
噓、と言うみゆの声が聞こえた。みゆは私に、まるで隣に座っているかのように語りかけた。大丈夫、きっとどうにかなるはずだと。
お互いが何度もごめんと言うけれど、どちらも悪くないことなんてわかっていた。
それでも謝りたかった。
『…実はさっき、るのあから連絡があったの』
るのあ、という名前を聞いて、涙が止まる。
『あの投稿をしたのは、るのあだった』
「え…?」
私は信じることができず、言葉も出てこなかった。
どうして、るのあちゃんが。
『さなとニアが接触するのをどうしても防ぎたくて、こんなことをしたみたい。…あたしがもっとしっかり話をしておけばよかった』
確かにるのあちゃんは、ニアちゃんのことを人一倍嫌っていると聞いた。
きっとこんな大きな物事にするつもりはなかったのだろう。しかし、まさかるのあちゃんだとは思いもしなかった。
今回の一連の件は、全て発信元はるのあちゃんなのだそうだ。学校に届いた文章も、るのあちゃんが作成したものだった。
るのあちゃんは人脈も広く、噂があればすぐに広めることができる子だ。
だからこそ、学校をも巻き込むようになってしまったのかもしれない。
私は一体、どうすべきなのだろうか。
「私、もうしばらくはるのあちゃんとも話せないよ」
『そうだよね。…我慢するしかないよ、今は』
いや、そうじゃないかも。そんなみゆの声がした。
『さな。あたしたちのことは、いくらでも学校の人たちに言っていいから』
もうみゆの声は明るく、はつらつとしたものに変わっていた。
『あたしたちのことを知ってもらえるチャンスに変えちゃお』
「チャンスに、変える…?」
みゆはこういう壁にぶつかったとき、解決策を見出すのが得意だ。
それはほしかげ界隈に対しても生かされている。初対面ではなかなか心を開いてくれないようなほしかげ界隈の人々とも、簡単に馴染んで話ができてしまうのだ。
こう話しかけたらだめだった。こうでもだめ。でも、こう話してみたら少し元気さが増した。この子はこんな話題が好きなんだ。
きっとそうやって何度も物事の見方を変えて、変えることで生じる影響や状態なんかも考えているのだろう。
みゆは幼少期から、お母さんの仕事上、人と話す機会が多かったと聞いた。
そういったコミュニケーションの経験の賜物が、みゆの「今」を形作っている。
私は電話越しに、みゆの姿を思い浮かべた。
会っていないうちに、お互い大きく成長した。みゆは特にたくさんのことを経験して、あの頃にはなかった暗く冷たい感情を宿すようにもなった。まるで大人のように。
それでも、小さい頃から変わらない明るさがある。けじめをつけて、自分を貫く強さだってある。
私はみゆと一緒なら、暗闇があっても光を見つけて、駆け抜けていける気がする。
『ここが勝負だよ、さな』
そんな声が響いて、私はとっさに前を向いた。
『どうせ噂なんてすぐに広まる。…今頃、教室ではさなの話題が上がってるかもしれない』
「…それを、どうすればいいの?」
『みんなに、あたしたちがやってることを言おう。ほしかげ界隈は困ってる、だからあたしたちで頑張ってるんだって、言っちゃおうよ』
私は驚いた。そんな大胆に言ってしまったら、どうなるのだろう。
「でも…。もし、変な目で見られたりしたら」
きっとみんなも驚いて、すぐにネガティブな考えへと向かってしまう。
現にほしかげ界隈は近年ニュースにも取り上げられるほど治安が悪化している。その原因はほしかげ界隈を取り巻く環境にあるのだが、外側から見ただけでは、そんなことわからない。
本来の姿を知らない人が、大半なのだから。
しかし、みゆはそんな私の考えを一掃するように、即答した。
『あたしは、さなの友達がそんなことする人じゃないと思う』
脳内に、みんなの姿が浮かんでくる。
毎朝挨拶をしてくれる子。勉強を教え合える子。ただ笑って、休み時間があっという間に過ぎるほどおもしろい子。
今朝だって、私ではないことを信じて、今回の件について話しかけてくれた。
『あたしはさなのことを信じてる。だからさなの友達だって、同じように信じる』
そうだよ。みゆは私のことをずっと信じてくれていて、私もみゆを信じていて。
そんな私が、私自身の友達を信じることができなくなってどうする。
私は世間を悲観しすぎていたのかもしれない。いや、小さい頃からそういった環境と隣り合わせの世界で生きてきたからだ。
自分たちの常識の範囲から外れているものを見て、すぐに受け入れられる人はごく少ない。
受け入れる姿を装っているだけ。心の底から包み込むように受け入れてくれはしない。できない。それが人である。
私はそれを小さい頃から知っている。家族の形がどうだ、とか、今になって世界が柔らかくなってきただけで、あの頃の傷が癒えることはない。
忘れられるような瞬間があっても、それは楽しくて嬉しくて、あたたかな場所にいるときだけだ。
それでも、そんな「忘れられるような瞬間」を作ってくれる人が、私の周りにはたくさんいる。
みんな不器用なだけで、ちゃんとありのままを話してみればわかってくれるのではないか。
私のことを信じてくれた人を、私だって信じるんだ。
感じたぬくもりに身を任せてみれば、優しい世界が広がるかもしれない。
私はずっとこの傷を背負う。
しかし、この傷は武器になる。糧になる。勇気になる。そして、かげかえのない優しさである。
そう信じる。
いい、さな。みゆの力強い声が、私の心臓を揺さぶる。
『普通っていう概念に、押しつぶされるな』
そうだ。そうだよ。
押しつぶされて、たまるものか。
『その言葉の意味は、さなが一番わかってるでしょ。それをみんなに問いかけて、当たり前なんて壊しちゃえばいい』
『大丈夫。さなの想いは伝わるよ』