晨星、黎明に駆けて

噓をつけばいい。噓をつけばいいんだ。さっきみたいに。それは私ではないと。
そんな簡単な噓もつけないのかな、私って。
いや、違う。
私は、みゆたちを裏切りたくないんだ。
たった一言でも、たった一瞬でも。
私はそっと口を開く。
「…先生、ごめんなさい」
声は震えていた。
「それは私です」
先生の顔が、みるみるうちに青ざめていくのがわかる。
取り返しのつかないことを、してしまった。
「…ど、どうして、なんで藤本が、こんなところに」
先生がもう一度写真を手に取って、よく見てみようとする。
私は俯いた。今まで全く目にしたことのない初めての世界に飛び込んだようだった。
それは誇らしいことのように思えても、最初は怖くて、そんなこと何も考えられない。
初めて足を踏み入れた場所だ。真っ暗で、何も見えやしない。
しかし、自分の心を貫く芯のようなものが、今までのみゆたちの会話から生み出されていくような。
先生や同級生からどう見られるのか。私はどうすれば良いのか。
何もかもが初めてでわからないから、怖い。
それでも、今の私なら、駆け抜けられるのではないかと思えた。
「それは本当なのか?」
先生にそう問いかけられる。心は揺らいでも、真っ直ぐに心の中心を通る私の考えは、揺らがない。
「はい」
私は思った。これでは、私がほしかげ界隈の一人だと思われてしまうのではないか。
ほしかげ界隈のみんなを支えたいと思っていることを、伝えなければならないのではないかと。
「でも、違うんです。私は、ほしかげ界隈のみんなに寄り添うために、あそこへ行ったんです」
私は前のめりになってそう言った。
ほしかげ界隈は、決して悪い集団ではないということ。私はなんとかして前を向こうとするみんなの背中を押したくて、友達と一緒に考えて動いていること。
私がほしかげ界隈と関わるようになったきっかけも、今しようとしていることも、たくさん話した。
先生にはわかってもらえるんじゃないかと、そんな甘い考えだった。
しかし、飛んでくる言葉は私を失望させるものに他ならなかった。
「藤本、わかったよ。でも、よく考えてみろ」
そう言われた瞬間、私は受け入れてもらえても、許してはもらえなかったのだと確信した。
「あんなところにいる人たちは、俺たちにはもうどうしようもできないんだよ」
先生の言葉が、脳みそに突き刺さった。
決心や感情といった私の中の柔く曖昧なものが飛び散って、その一つひとつが固く、形を成していく。
「ああいう集団はずっと昔からある。でも無くならないのは、いつの時代にも課題があるからだ。俺たちが何かしたところで、そう簡単に変わるもんじゃないんだよ」
違う。少しずつでも、変わるはずだ。
いくらでも言い返すことなんてできた。それでも私は、先生の話を聞くほうを選んだ。
「お前はいいように使われてるのかもしれないんだぞ。それで何かあって責任を負うなんて、そんなことが高校生一人でできると思うな」
悔しさがこみ上げてくる。私が大人だったらよかったのか。
今の私に、何もできないということなのか。
「…藤本のことだから、心の底からの思いで本当に何かしたいって動いてるのはわかるよ」
なかなか口を開こうとしない私に、先生はそう言った。
先生の本当の気持ちが現れたようだった。
もしかしたら、世の中の大人だって本当は助けてあげたいのかもしれない。それでも、自分のことで精一杯で、見て見ぬふりをして、通り過ぎるしかない。
私も、一番初めはそうだったのだから。
「でもな、何かがあったら、お前にも、そして学校にも危険が及ぶようなものだろ」
学校の先生らしい一言は、そのまま空気に溶けて消えた。
「先生たちと考えて、今日の放課後までに全校生徒へ書類を渡す」
「…それは、どういう」
「もうあんなところには行くな。…卒業するまでは」
また放課後ここへ来い、と言って、先生は進路指導室を後にした。
卒業するまで、という言葉が、先生の最後の優しさを感じさせた。
それでも、私はその言葉を信じることができなかった。
放心状態で進路指導室を後にし、人目に付くのが怖くて、屋上へと続く階段へ走っていった。
幸い人気はなく、しんとした空気だけが孤独な私を包み込んだ。
私は、カン、カンと音を立てながら階段を上り、扉を開けて屋上へ足を踏み入れた。
ひゅうっと冷たい風が私の前を通り過ぎて、冷え切った身体がさらに痛む。
私は壁にもたれかかって、みゆに電話をかけた。
昼間なので出ないと思っていたが、予想外で、みゆはすぐに電話に出た。
『もしもし、さな?どしたの?学校じゃないの?』
私は何と答えれば良いかわからずに、ただ「あ…」とか「うん…」とか、そんな意味のない言葉を繰り返していた。
みゆはそんな私の様子から、きっと何か大きなことがあったのだと思ったに違いない。
『何があったの』
真剣なみゆの声が、私の複雑な思考の終止符となった。
話を聞いてほしくて、声を聞きたくて、私は電話をかけたはずだ。
それなのに、どうして今更その目的を見失っているのだ。私は。
自分がこんなにも動揺していたとは気がつかず、一気に緊張から解放されたような気分になった。
と同時に、涙がこぼれ落ちてきた。
「…みんなに、ばれちゃった」
みゆの返事が来るまでには、空白があった。