晨星、黎明に駆けて


さなが帰って少しすると、ゆのあとるのあがやってきた。
「みゆーって…あれ?もうさなちゃん帰っちゃった?」
「ついさっきまでいたよ。帰ってから勉強もしたいんだって」
残念そうにするるのあ。もうすっかり心開いたんだね。
あたしは勉強なんてする気にならない。やらなきゃだけど。
三人で話をしていると、突然、広場のざわめきが消えていくのを感じた。
まだあたしたちの所から何が起こっているのかは見えない。とっさに時間を確認する。
二十一時半…。時間帯でいえば、トラブルが起きるには少し早い。
感じるのは、人の気配…?
「るのあ、ちょっとこっち」
ゆのあがそう声をかけて、るのあを目立ちにくい場所に移動させる。
足音がしてくる。今日は月が出ていないから、目が悪いあたしにとって不都合。近くに来るまでよく見えない。
しかし、確実に、その足はあたしたちの方へ向かってくる。真っ先に目を見開いたのは、ゆのあだった。
「…ニア?」
ドクンと、大きな鼓動がした。徐々に脈のスピードが速くなっていく。
ほしかげ界隈の、一番の負の歴史。
落ち着け。嘘。嘘。これは嘘。見間違い。だって、あいつは。
ニアは。
「久しぶり、みゆ」
低く、ほんの少しだけザラついた、まるで同い年とは思えない声。
髪型は真っ黒なボブ。背が高くて痩せ型。鋭い瞳。
そして。
「まだこんなくだらないことやってたんだ」
あたしを責める、鋭利な言葉。
うるさいな。お前は本当に、何があっても変わらないね。
「お前、お前!!」
突然、後ろから叫ぶような声が聞こえる。るのあだ。
「もうここには来ないんじゃないの!?クスリで捕まっ…」
「るのあ!!」
ゆのあがるのあを制止する。ぐっと我慢するるのあを、あたしも目線でなだめる。
でも、そうだよ。るのあの言う通り。
「お兄ちゃんだっけ?お姉ちゃんだっけ?大人になったねー」
「黙れ、ボクはそんなことどーでもいい」
ゆのあも、怒りに満ちて震える手を必死に抑える。偉い。…本当に、大人になったね。
大丈夫。もうここからは、あたしが相手をするから。
「ニア。なんでここに来たの」
私たちと会ってから、ずっと口角が上がっているニア。
何を考えているのかわからず、まずはここへ来た、というか、来ることができた理由を訊ねるしかなかった。
「ちょっと前に釈放されたから」
広場にこの上ない沈黙が滝のように流れ、溢れる。
…ニアは、少し前、薬物関連で警察に逮捕された。
ほしかげ界隈は、そんなことで逮捕されるような集団であってはならない。
しかし、ニアは違う。ずっとここへの仲間意識が薄く、自ら周りに潜む悪と交わろうとする。
こいつからだ。ほしかげ界隈が、悪い注目を浴び始めたのも。全部こいつが。
でも、それを止められなかったあたしにも…。
キンと耳鳴りがする。
「でも、もうここには来ちゃだめって言われてんの。最後の見納めに来ただけ」
別に変なことしないから安心しなよ、というニアからは、警察署に入ってからの少しの間だけでも、僅かな柔らかさを持ち合わせた感じがした。
見納めなんて言葉、笑ってしまう。今更何を言っているのか。
ニアがあたしの隣に座る。気がつけば、ゆのあとるのあはいなくなっていた。
…あの二人だけは、もう絶対にこいつと関わらせたくなかった。あの事があるから。
それでも、あたしは一生涯をかけて、こいつと向き合わなければならない。
こいつが暗闇に身を投げ捨てたのは、あたしがそれを止められなかったからだ。
ねぇねぇ、と、ニアが口を開く。
「みゆちゃん、新しいお友達できたねー」
ドクン、と、また大きく心臓が脈を打つ。それでも、ニアの前では絶対に動揺してはならない。
さなのことか、それとも最近よくここに来るようになった女の子か…。
いずれにせよ、なぜそんなことがわかるのか理解できない。ここへ来たのは、釈放されてから初めてではないのか?
「誰のこと言ってんの」
心当たりのないように言ってみる。
「さなちゃんに決まってんじゃん」
いきなり、ニアの声のトーンが低くなる。ニアは態度をコロコロ変えて、人を責める。
…変わらない、いじめの元凶のコピーをしたニアの話し方。
やっぱり、さなだ。
「ここに来てすぐの頃は、友達なんかいたことないって言ってたのにね。それで今更、親友?幼馴染?何それ」
くだらねーな、と言うニアは、本気で言っているというよりも、思っただけのことを口に出しているようだった。
きっとニアは、あたしとさなが話している間、ずっと広場の外で盗み聞きをしていたのだろう。
それか、勘が鋭いニアの適当な噓か。
噓として言っているならば、あたしも噓で返してみよう。
「誰?そんな人いないけど」
「噓つくなよ。話してるところ見ちゃったよ?ふ、さなちゃん可哀想」
やはり見られていたのか。…さなとニアの接触もできるだけ避けたい。
きっとさなは、あたしがこんなやつと関わっていると知ったら、他人事にはしない。
ニアは危ない。何をするかがわからない。カッとなると、すぐに手が出る。
いじめられた経験と、両親に育児放棄をされた経験があるという特に異色な立場にあり、予測ができない。
もしもそれで、ニアがさなを傷つけたら…。
またニアは警察に捕まるかもしれない。さなには、あたしがどんな風に責任を取ればいい?
「一般市民」と「ほしかげ界隈」のトラブルとして、ニュースになったら?
まあ別にどうでもいいけどさ、と、ニアが話題をそらしたので、それがあたしの思考を止める助け舟になった。
「いつまでこんなことするのかなぁ、君は」
ニアが長く息を吐く。
「あたしがやりたくてやってるんだから、勝手でしょ」
我ながら、お母さんに反抗する娘のようで少し情けなかった。
周りの静けさと共に、あたしたちも夜の静寂の一部と化していく。
「そんなこと、もうやめなよ」
暗い夜空に、ニアの声が波紋のように広がる。
「自己満足だろ、そんなの。それでみゆの心が崩れていくんだよ。…馬鹿みたい」