白紙の契りに愛を漉く

 園遊会の終わった紅梅家の漉姫たちは、どこか気持ちがそわそわしていた。というのも、園遊会の目的を考えれば、これから漉姫に対して縁談を申し込もうとする漉守もいるわけで、その相手が本家の血筋に近ければ近いほどよい縁とされている。
 同じ一族の者との縁を望むものも多いが、他族であったとしても本家の血筋に嫁ぐというのは名誉であった。
 だが、園遊会に参加できない千咲には関係のない話である。いや、千咲は一生を紅梅家に捧げると決まっているのだ。
 今日も、紙を漉こうと準備していたところ「千咲さんは、今日も精が出るわね」と小夜がおっとりした口調で声をかけてきた。
 彼女は、紅梅家の漉姫序列の中でも上位におり、環の正妃候補としても名を連ね、結婚も秒読みとすら言われている。そんな彼女に逆らおうとする漉姫は誰もいない。
「ありがとうございます」
 そして小夜は、相手が誰であっても露骨な差別をしない。
「千咲さん。悪いけれど、白皮を水に浸してくれないかしら?」
「はい」
 刈り取った楮は白皮の状態で保存し、必要なときに必要な分だけ煮熟して加工する。舟の中で簀桁を振るだけが漉姫の仕事ではなく、楮から紙漉きに必要な原料を作るのも漉姫の役目なのだ。
 冬の足音が近づくころ、落葉した楮を収穫して蒸したあとに皮を剥ぐが、このとき樹皮も含んでいるため見た目は黒い。この状態からさらに外側の黒皮や青皮を丁寧に削って白皮にする。紅梅家では、この白皮の状態で冷暗庫に保管しており、紙を漉くときに白皮から原料をつくる。
 小夜は、最初の手順である白皮の繊維をやわらかくする工程を千咲に命じたのだ。千咲だって、いつも紙漉きだけを行っているわけではない。楮の皮を剥いだり、煮たり、ちりを取ったり、そしてたたいたり。そうやって楮を加工して、やっと紙漉きができる。この工程は、状況に応じて小夜が各漉姫に指示を出していた。
 千咲は、漉場にある冷暗庫から白皮を取り出すと、それを持って川のほうへと向かった。漉場の裏側には小川が流れているが、山からの湧き水が流れてきているため、水は清んでおり、川底の石もきれいに見える。
 川には白皮をくくりつけるための一枚板が渡してあって、千咲は白皮が流されないようにと、板にしっかり結んだ。こうやって、一昼夜、白皮を川の水に浸して繊維を柔らかくする。
 白皮をくくりつける作業は意外と大変なもので、川の中に入って千咲自身が流されないようにとふんばりながら、紐にとおした白皮を板にしっかり結ぶ。この結び方が甘いと、白皮は流されていってしまう。
 着物の裾をたくしあげて川に入った千咲は、作業を終えたところで川からあがり、裾をおろした。秋も深まるこの季節に川に入るのは手足が冷えるため、この仕事を積極的にやりたい者はいない。
 たすきもかけて水に濡れないようにと細心の注意を払ったつもりなのに、着物はところどころ水分を含んでぐっしょりしていた。
 軽くしぼってから漉場へ戻ろうとすると、白皮を煮熟している漉姫たちのこそこそ話が聞こえてきた。
「蒼井の当主様がいらしているって」
「え? それってもしかしてここの漉姫から、伴侶をってこと?」 
「奥さんに逃げられたんだよね? いくら当主様でも子持ちでしょ?」
「私は、当主様が奥さんを殺したって聞いたけれど?」
 どこの当主が嫁探しにこようと、千咲には関係のない話だ。
 白皮を川水にさらし終えたと小夜に報告して、次の仕事をもらおう。
 と、いつも小夜が紙を漉いている場所へ行こうとしたら、そこに環の姿もあった。邪魔したらまずいと思い、回れ右をして川に戻ろうとした千咲を、小夜が呼び止める。
「千咲さん、ちょうどよかったわ」
「彼女が、そうなのか?」
 明るい声色の小夜とは対照的に、環の声には不審が込められている。
「えぇ、環様。彼女が千咲さんよ?」
 蛇に睨まれた蛙とはまさしくこのことだろう。環からぶしつけな視線を投げつけられた千咲は、前にも後ろにも進めない。
「なぜ、この娘を……?」
 疑わしげな環に「よろしいのではなくて?」と、小夜は乗り気のようだ。
「彼女を買ったときの倍の値段で売りつければ」
 小夜のささやきは千咲の耳にも届き、冷水を浴びさせられたように、心臓がぎゅっとちぢこまる。
「そうだな。紅宮(ここ)にはまだ漉姫がたくさんいるしな。下位の漉姫など失ったところで、痛くも痒くもない」
 千咲が環と顔を合わせたのは数える程度。この屋敷にやってきたときと、あとは年始の集まりのときくらいで、彼の人となりもわかっていない。
 ただ、今の環と小夜は、千咲をどうやって売りつけるか、その算段をしているようにも見えた。
「千咲さん。あなたに縁談がきているそうなの。すぐに顔合わせをしたいのだけれど、よろしいかしら?」
 先ほどまでの表情と異なり、小夜はやわらかな笑顔を向けてくる。千咲は「はい」と答えるしかない。
 環と小夜は、そのまま千咲を母屋のほうへとつれていった。
「蓮司殿、お待たせして申し訳ありません。彼女が漉姫の千咲ですが……間違い、ありませんか?」
 母屋の庭で一人の男が立っていた。シャツにズボン姿というくだけたものだが、身なりはいい。
「少し、二人で話せるか?」
「ええ、かまいません。千咲、こちらは蒼井家当主の蓮司殿だ」
 先ほどから環が丁寧に接していたのは、相手が蒼井家の当主だからだ。立場は環と同じだが、蓮司のほうが年長者であるゆえの環の態度なのだ。環は、四つある紙守本家のなかでももっとも若い本家の当主であるため、四家の中では立場が弱いとも聞いたことはある。
 ただ千咲にはどうでもいいことだと思って、聞き流していたが。
「千咲と申します」
「蒼井家当主、蓮司だ。少し歩こうか」
 そう言いながらも蓮司はすたすたとどこかへ行ってしまう。あっけにとられていたところ、小夜から小突かれた千咲は、慌てて彼の背を追った。
 蓮司は歩くのが速い。いったいどこへ向かうのかと千咲は小走りでついていくが、彼が足を向けた先は、楮の畑。
 生い茂る楮の葉の先は、少しずつ黄色くなっている。あと二か月もすれば刈り取りの時期だ。
「朔也と琴葉。二人の子を知っているな?」
「は、はい。先日、お会いしました」
「俺の子だ」
 園遊会に参加できるだけの家柄の子だろうと思っていたが、まさか蒼井家の子どもたちとはこれっぽっちも考えていなかった。
 風が吹き、楮の葉を静かに揺らすものの、千咲の心臓はドキドキと暴れたままだ。
「君に結婚を申し込む」
 唐突な蓮司の言葉に、千咲はコクリと喉を鳴らした。
「だが、君に求めるのは俺――蒼井家当主の妻ではない。子どもたちの母親となることだ」
 子どもたち、つまり朔也と琴葉。
 蓮司の提案を受け、彼らの母となって蒼井家で暮らすか。それとも一生、紅梅家のために、末端の漉姫として紙を漉くか。
 紅梅家に残ったとしても、漉姫として正当な評価がされるとは思えない。誰が漉いた紙でも同じだと自分に言い聞かせて、沈む気持ちを浮き上がらせていたのだ。
 千咲だって、紙守一族として生を受けた以上、漉姫としての矜持がある。千咲が漉いた紙だからよかったと、認めてもらいたい。
 天秤にかけた結果、千咲は決意する。
「はい。この家から出られるのであれば、それはどんな理由でもかまいません」
「なるほど。では、契約成立だな」
 蓮司が静かに手を差し出してきたので、千咲は恐る恐るそれに触れた。
「本物の漉姫の手だな。それにその着物……」
 蓮司の指摘に、千咲の顔はみるみるうちに熱を帯びた。
「申し訳ありません。みっともない格好で」
「いや。白皮でも水に浸していたのだろう?」
 千咲の濡れた着物だけでそこまでくみ取ってくれた蓮司に、ほんのりと好感が湧いてきた。
 求められるのは彼の妻ではないとして、これから家族になるのだから、少しくらい好意を持っても罰は当たらないだろう。
 そしてもう一度、朔也と琴葉に会えるのが楽しみであると同時に、彼らに母親として受け入れてもらえるのかと、そんな不安も胸を横切った。