Silent heart

Act 01

 夜、23時。
 ミロクセキュリティの事務所は静かだった。
 室内を冷やすエアコンの音だけが響いている。
 花子は自分の席で、煙草を吸いながら、
「明日も30度超えか…あちぃな…」
スマホで天気予報でも見ているのか呟いている。
「夏ですからねぇ」
ベア吉を膝に乗せてソファに座り、タブレットで動画を見ながら、礼真も呟くように答える。
「夏なぁ」
「夏です…」
花子の呟きに礼真が答えて、二人でそれだけ言い合うと、花子はスマホに、礼真はタブレットにまた意識を戻す。
 最近の礼真のお気に入りは、カメの動画だ。動画のカメたちは、鈍いというイメージを完全に裏切るアクティブさだ。
「すごいな」
「!」
カーテンをよじ登っているカメに礼真が呟くと、ベア吉も同意するように肯く。
 しばらく、動画を見ていた礼真だったが、時間が経つにつれ、その視線はマキシがこもっているパソコン部屋のドアばかりに向かうようになってくる。
 マキシは夕方からずっとパソコン部屋で作業している。
 懇意にしている企業がシステムエラーを起こし、契約している管理会社もなぜかお手上げ状態で、ミロクセキュリティに連絡が来たのだ。
 「うち、怪異専門のセキュリティ会社なんですけどぉ」と文句を言いながらも、マキシはずっと復旧作業にあたっていた。
 いつもなら依頼がないこんな夜は、マキシとゲームをしたり、アニメや映画をみたりして過ごす。
 なにより、マキシがいるとそれだけで、空気が一段上がる。
 寂しいのかな…俺。
 そんなことを思いながら、ため息をついていると、ツンツンと腕をつつかれて、見ればベア吉がじっと礼真を見上げていた。
 ベア吉は、飽きられ、手放され、売られてをくり返された挙げ句、一度しがみついたら離れない呪物になってしまったクマのぬいぐるみだ。
 そんなベア吉は、人の心の動きに敏感なところがある。
 今も礼真の気持ちを察したのか、表情こそ変わらないが、愛くるしい顔でじっと見上げてくる。
 礼真はベア吉の頭を優しく撫でると、少し考えて声をかけた。
「ベア吉、ちょっとおでかけしようか?」
「?」
ベア吉は首を傾げた。
 ベア吉はミロクセキュリティが入居している雑居ビルの2階のこの事務所と、4階のマキシと礼真の部屋と、屋上しか知らない。
 礼真は機会があればベア吉を外につれてやりたいと思っていたのだ。
 礼真はベア吉を抱き上げると、窓のそばに行って外を指さして、
「おそと、わかる?」
礼真が聞いた。ベア吉はこくこくと頷く。
「行ってみる?」
「?」
もう一度、礼真が言うとベア吉は嬉しそうにぎゅっと礼真に抱きついた。
「じゃ行こう、バックパック持ってくるから待ってて」
礼真はいつも仕事で使うバックパックを持ってきて、ベア吉の前に置いた。
「窮屈かもだけど、この中に入ってね。顔は出してていいよ」
「♪」
 ベア吉は言われた通りにバックパックに入ると、顔だけバッグの口から出した。
 礼真はバックパックを背負うと、
「ちょっと出かけてきます」
と花子に声をかけて、出て行った。
 花子はバックパックから頭と片手を出して手を振っているベア吉に手を振り返してやりながら、
「深夜にいい年のヤローがリュックにクマのぬいぐるみ…あれは確実に職質されるな」
と呟いた。



 ベア吉が入ったバックパックを背負った礼真は、エレベータで一階まで下りて、外へ出た。
「ベア吉、ここ、朝比奈社長の会社だよ。屋上で会ったことあるだろ?」
礼真がミロクセキュリティが入っているビルの一階をベア吉に見せた。
 『朝日不動産』と少し色褪せた看板が掲げられている。
 今はシャッターが下ろされているが、営業中は物件の情報が書かれたチラシが大きな硝子窓にはびっしりと貼られていていかにも、不動産屋という外観をしている。
 朝日不動産はミロクセキュリティが入っている雑居ビルのオーナーで、ビルの屋上は店子の共有スペースになっている。
 礼真はベア吉と一緒に屋上でよく昼寝をしていて、そこでタバコを吸っている朝比奈社長とは頻繁に顔を合わせていた。
 ちなみに、この雑居ビル…朝日ビルはミロクセキュリティの他に3階に奥村法律事務所が入っていて、奥村弁護士も屋上の常連だ。
 礼真の言葉にベア吉が、こくこくと頷いているのが伝わってくる。
 礼真は、ちょっと表情をゆるめて、歩き出した。
「どこに行こうかー」
独り言のように礼真は呟きながら歩く。
 深夜でだれともすれ違うことはない。
 ベア吉はきょろきょろしているが、おとなしい。
「ほら、ベア吉。ここーいつも行くコンビニ。ここ、所長のタバコとかマキシの水買うところな」
朝日ビルから一番近いコンビニの前で立ち止まる。
 雑居ビルが多い場所で深夜に明りがついているのはコンビニだけだった。
 なにか買い物があるわけではないのに、明りに引き寄せられるように入りたくなったが、今日はベア吉と散歩だと礼真は、踏みとどまる。
「今度、マキシと一緒に来ような」
ベア吉にというより、自分に言い聞かせるように言って、礼真が歩き出す。
 コンビニの前を通り過ぎて、しばらく歩くと駅前通りに出る。
 終電を過ぎている時間で、ときどき車は通るが、歩道に人の姿はない。
 それにほっとして、礼真はゆっくり歩きながら、深呼吸する。
 アスファルトはまた少しだけ昼間の熱さを残しているが、深夜の外の空気は気持ちいい。
「そうだ、公園に行こうか」
少しだけでもベア吉を自由に歩かせてやりたくて、礼真は言うと、行先を決めた。
 駅前通りを少し歩くと、比較的大きな公園がある。
 礼真が人形の体に慣れる為に、走ったり、飛んだりと基礎的な訓練をしていた場所だった。
 子供が遊ぶようなゾーンなら、夜は誰もないことを礼真は知っていた。
 入口から、遊歩道を歩き、子ども広場へ入る。
 夜の子ども広場には、滑り台と登り階段、ロープと網で組まれた立体遊具やうんていが並んでいて、街灯の下で金属とロープだけが静かに形を保っている。
 人の気配がない分、遊具の構造だけがくっきり浮かんで見えた。
 礼真はゆっくりとベア吉の入っているバックパックをベンチの上に下ろす。
「♪」
ベア吉はきょろきょろしながら、バックパックから出てきて、滑り台の方へ手を向けて、礼真を引っ張る。
「うん、行こうか」
礼真が抱っこしようとしたが、ベア吉はふるっと首を振ってから、ぴょんとベンチから飛び降りて、滑り台へ弾むように走っていく。
 その姿に礼真の顔に笑みが浮かぶ。
「ベア吉、登れる?」
身長30センチほどのベア吉がよじよじと階段を登っているのを見ると、つい手を貸したくなるが、礼真は見守ることにする。
 眺めていると、あっと言う間に階段を登って、滑り台から滑り降りる。
「♪!♪」
ベア吉はすぐにまた階段を登る。
 それから、何度もそれを繰り返す。
 ベア吉は、何度かに一度は、滑り台のすぐ近くに立つ礼真に「見てる?」というように手を振ってくる。
「見てるよーほら、よそ見すんなー」
そんなベア吉に手を振り返しながら、
「子供って気に入ったヤツ無限ループするよなぁ」
と笑いながら呟いて、礼真はふっと真顔になった。
 自分の子供の頃はどうだっただろうと思ったのだ。
 公園で滑り台やブランコをした記憶はあるが、誰と来ていて、ベア吉のように誰に手を振っていたかとなると、途端にその部分だけがあやふやになる。
 人形になった礼真は、人間だった頃の家族に関する記憶だけがごっそりと抜け落ちていた。
 実際のところ、それで困ることはないし、思い出せないことで悲しいと思うこともなかったが、記憶の中で鮮明な部分とあやふやな部分が混ざるときは、戸惑うことがある。
 礼真は軽く息をつくと、電子タバコを取り出した。
 本来はちゃんとした喫煙スペースで吸うべきだとはわかっていたが、気持ちを鎮めたかった。
 今だけすみません、と誰に向けるでもなく、心の中で謝って、すうっと揮発したミストを吸い込む。クールメントールの冷たさを感じる香りが鼻から抜けて、頭の中でモヤついていたものがすっきりする。
「ベア吉、あっちにもちょっとでかいのあるよ」
声をかけて、滑る部分がチューブのようになって、カーブしている遊具を指さす。
 階段を登ろうとしていたベア吉は、それを見ると、
「?っ」
と、そっちへ走っていく。
 礼真もゆっくりとその後を追っていると、スマホが鳴った。
 ポケットから取り出してみると、画面には「マキシ」と表示されている。
『レイマっ大丈夫?無事っ?』
礼真が「はい」と言う前に、マキシの声が飛び出す。
「は?」
完全に焦っているマキシの声と、その内容に礼真は首を傾げた。
『職質されてるって』
「は?されてないけど…」
『えっだって、所長がレイマが絶対っ職質されるって』
「だから、なんでだよ」
マキシがなにを言っているのか、まったく意味がわからない礼真とマキシの会話は噛み合わない。
 スマホの向こうで、花子がなにか言っている声がして、それにマキシが答えている。
『えっ?可能性?いい年したヤローがリュックにクマをいれて夜中に歩いてたら職質されるだろうって…いやいや確かにそうかもだけど…』
「なにげに失礼な話してんな…」
スマホの向こうで、多分花子と会話しているマキシの声に、レイマはむうっと顔をしかめた。
 どうやら、花子が適当なことを言って、それをマキシが真に受けて礼真を心配して連絡してきたということらしい。
 やれやれ…と思いながら、大丈夫だと伝えようとしていると、
「公園とか久しぶり」
「ブランコあるじゃん」
「小せぇだろ」
深夜にふさわしくない音量の会話が近づいてきて、礼真ははっとした。
「マキシ、いったん切るから」
まだ何か話そうとしているマキシは無視して、礼真は通話を終わらせると、ベア吉の姿を探した。
 一般人に動いているクマのぬいぐるみの姿を見せるわけにはいかない。
 礼真はベア吉が登っていた大きい滑り台を見上げて、小さく声をかけた。
「ベア吉、人がきたから、帰るよ。ベア吉」
声をかけながら、チューブ状になっている滑り台を下からのぞいてみたが、ベア吉の姿はない。
「ねぇこんなところで飲みはじめていいのかなー」
「誰もいないからいいだろ」
「そうそう、ゴミ持って帰ればいいんだろ」
複数の男女の声は、礼真がベア吉を下ろしたベンチの辺りから聞こえてくる。
 ビニール袋の音や、パシュとプルタブを開ける音も聞こえて、ここで飲み会をするらしいことが伝わってくる。
 礼真は陰へ入って気配を抑えながら、大きな遊具の反対に回って、ベア吉に呼びかけた。
 そちら側にも滑り台がついている。
「ベア吉ー」
呼びかけて、目と耳に意識を集中させる。
 仕事柄、夜目は利く方ではあるが、小さいベア吉を探すためにさらに見ることへ意識を向ける。
 遊具の上まで上がり、ベア吉がどこかでひっかかっていないか見てまったが、どこにもその姿はない。
 心臓はないが、体の中がざわざわしてくる。
 ベア吉がいない…。
 ざぁと全身から血の気が引くような感覚がして、礼真は一瞬その場に立ち尽くした。



「切られた」
マキシはスマホを見つめた。
「フラれたな」
花子がくくっと笑う。
「所長がレイマが職質にあってるって言うからー」
「あっているとは言ってない、あうかもな、と言っただけだ。それで、過保護発動させたのはお前だろうが」
「うぐぐ」
「それより、礼真があんな風に通話を切ったのは気にならないのか?」
花子が煙草に火をつけて、ふぅーと煙を吐いた。
「!」
その言葉にマキシははっとして、
「行ってきます!」
と、言ってバタバタと事務所を出た。
 マキシはスマホを取り出すと、自作のアプリをタップする。
 マキシホットラインと名づけたそれは、礼真のスマホにも入れられていて、電波のない場所での通話や、霊障の影響も受けないなどの、特別仕様になっている。
 当然、お互いの居場所がわかるGPSも入っている。
 礼真のいる場所を確認しようとしていたら着信音ともに「レイマ」と表示される。
 マキシは足を緩めると、スマホをタップした。
「はい、レイマ、なぁに?」
『ベア吉が!ベア吉がいなくて、いなくなった』
「ま?クマが?」
『探したけどいなくて、ベア吉、外出るの初めてなのに』
「レイマ落ち着いて、俺そっちに向かっているから、そこから動かないでね。すぐ行くから」
『っ…うん』
マキシは通話を切ると、改めて礼真の居場所を確認する。
 駅前通りを過ぎた場所にある公園に、礼真を現すかわいい幽霊マークがある。礼真の「礼」と「霊」をかけていて、マキシは気に入っているが、礼真には不評だ。
 幽霊マークは公園のほぼ中心で止まっている。
「芝生広場か」
 礼真が人形になったばかりの頃その体に慣れるために、自主トレをしていた公園だ。
 礼真が鉄棒で懸垂をしたり、跳んだり、走ったりするのに付き合っていたこともあり、公園のどこに何があるかはマキシも把握している。
 通い慣れた道。すぐに公園に着く。
 入口から入って公園の奥へ向かっていると、
「あーもうビールなーい」
「買ってくる?」
「買い出しジャンケンなー」
「えーみんなで行こうよー」
と、深夜にそぐわない音量の会話が子ども広場の方から聞こえてマキシは小さく舌打ちすると、少し足を緩めた。
 霊力コントロールして自分の気配を薄めて子ども広場の前を通り過ぎる。
 そのまま、さらに公園の奥へ進み、芝生広場の入口の近くのベンチの前に、見慣れた細い人影を見つけて、
「レイマ!」
声をかけると、
「マキシ」
と礼真が少し声を震わせて、駆け寄って来たマキシにしがみついてくる。
「クマがいなくなったって、どこで?」
「子ども広場。真ん中にあるでかい滑り台に登っていくところまで、見てたんだけど、人が入ってきて、ちょっとそっちに気を取られてたから、いなくなってて」
マキシが聞くと、少しの時間も惜しいというように早口で礼真が言う。
「あいつらか」
子ども広場で買い出しの相談をしていた集団を思い出して、マキシはまた小さく舌打ちをする。
「ベア吉も人のいる方には行かないだろうから、隠れたのかと思って、探したんだけど…いなくて」
礼真は首にかけているメモリースティックをギュッと握りしめる。それは、仕事前や、危険な場所に踏み込む前に礼真がするクセだ。
「俺が連れ出したから、ベア吉、外初めてなのに。俺が…」
メモリースティックを握る礼真の手が震えている。
 マキシは俯いていく礼真を下から覗き込むようにして、メモリースティックを握っている手を包むようにして握ると、
「探すよ。俺は公園の監視カメラに片っ端からハッキングするから、礼真はクマが隠れそうなところ探して」
と、仕事の手順を説明するときの口調で言う。
「うん、でもマキシ、監視カメラやり過ぎると霊力が」
マキシの口調につられて、礼真は顔を上げたが、心配そうに眉が下がっている。
 マキシは、霊力をデータ化や電気化することで電子機器に侵入することができる。監視カメラも記憶されている画像を直接見ることができる。が、以前、それをやりすぎたせいで、霊力を消耗しすぎて戦力にならなくなったことがあった。
 かなりの霊力を消耗することを礼真は心配しているのだ。
「大丈夫、大丈夫。無駄な霊力使わないようにコントロールできるようになってるのよー俺。まだまだ成長中よー」
マキシはヘラっと笑って、いつもの軽い口調で言うと、くしゃくしゃっと礼真の頭を撫でた。
 いつもの声、いつものスキンシップに、礼真の硬くなっていた心が少しだけ緩む。
「ふっはは、そっか、やっぱりマキシすごいな」
「でしょー惚れ直した?」
思わず笑った礼真に、マキシも笑顔になって、ここぞとばかりに聞いてくる。これもいつものマキシだ。
「はいはい、直した、直した。」
くくっと笑いながら、かがみ込んで礼真の顔を見るマキシの頭を、自分がいつもされるように撫でてやる。大型犬を撫でているような気分になって、ちょっと楽しくなる。
 礼真の表情、声がいつもの調子に戻ったことを見たマキシは、
「よし。じゃあ二手に分かれよう。マキシホットラインの回線は開いたままね」
と、指示を出しながら、インカムをつける。
「了解」
応える礼真もインカムをつけた。
 お互いに通話の状態を確認して、礼真は子ども広場の方へ、マキシは近くの監視カメラの下へ向かった。



「捜査の基本は現場100回…っ誰が言っていたっけ?」
『U京さんじゃない?』
「いや、U京さんは多分そういうことは言わない」
『じゃあ、K山くんだ』
「あー言いそう」
独り言で呟いた言葉はしっかりインカムに拾われていた。マキシから返事がきて、軽口を叩き合う。
 さっきまで、ひとりで押しつぶされそうな思いで探していたときは気持ちが全く違う。
 今も、心配でたまらない。
 それでもこうやって、マキシと繋がっていて、いつもの仕事のときのようにする不真面目にも聞こえる会話は、凝り固まった思考と、視野をほぐしてくれる。
 子ども広場に戻ると、騒いでいた若者たちの姿はなかった。
 それにほっとしつつ、礼真は子ども広場に入って、ここに来たときから、行動を振り返りながら、ベア吉の痕跡を探していく。
 最初の滑り台から、いなくなった大きめの滑り台へ。
 丁寧に見ていく。
「あ…」
『どうした?』
すぐにマキシから声がかかる。
 滑っておりてきたところにある砂場に、ちょうどベア吉の足のサイズくらいの窪みをみつける。
「多分だけど、足跡発見」
『おっさすがレイマ、どっちに向かってる?』
「入口とは逆方向、人が来たら慌ててたんだろうね。砂蹴ってるって感じ」
かがんで、砂場に目をこらしていると、ベア吉の様子が見えてくるようだった。
『こっちも発見ー』
「えっ」
『入口の逆に向かったみたいだから、そっち側のカメラ集中的に見たら、一か所映ってた。今から15分前。芝生広場横、俺らが入ってきた入口と逆方向に向かってる』
マキシの言葉が続いている中で、礼真はもう走り出していた。
 15分前なら、ベア吉の足でも公園の外に出ようとすれば出れられる。もし公園から出てしまっていたら、探すのはさらに困難になる。
「お願いだから、公園の中にいてくれよ」
礼真は走りながら呟いた。
「そこは大丈夫だと思う、逆側の入口の防犯カメラにはそれらしいのは映ってなかったから」
いつの間にかマキシが後ろから追いついてきていた。
「っても、クマが陰に隠れながら移動してたら、わかんないけど」
横に並んだマキシがいう。
 礼真は走りながら、メモリースティックをぎゅっと握った。また不安がむくりと湧き上がってくる。
「レイマ」
マキシがいつもより強く呼びかけてきた。
「大丈夫だよ、俺らなら、絶対クマを見つけられる。でしょ?」
マキシの言葉に礼真は少し目を見開く。
 いつも調子のいい冗談は言うが、マキシは確信のないことは言わないし、根拠のない慰めも言わない。
 そんなマキシが絶対と言ってる…礼真はメモリースティックから手を離して、
「うん、見つける」
と、頷いた。
 芝生公園の横の遊歩道を駆け抜けると、出口まではもうすぐだ。
「こんどは…マさ…のばんねー」
とマキシと礼真の足音しかしない深夜の公園に子供の声が聞こえてきて、礼真は足を止めた。
「マキシ…今のって俺だけ?」
「いや、俺も聞こえた」
礼真とマキシは顔を見合わせると、その声がした方へ走った。
 ひよこ広場と書かれた入口があって、ベア吉が最初に遊んでいた遊具より小さいものが並んでいる。
 名前からも、幼児を対象にしているのだろう。
「つぎ、ここあがすべるよークマさんみててー」
楽しそうな女の子の声がする。
 公園に駆け込んだ二人の目に、マキシの腰くらいの高さの小さい滑り台の上から、手をふる女の子と、滑り台の下で手を振り返しているベア吉の姿があった。
「ベア吉…いた…」
礼真は息を吐くように言うと、へなっとその場に座り込んだ。
「!」
その礼真の声に、ベア吉はピコンと、反応して振り向いた。
 ベア吉の目が輝いたように見えて、だっと走ってくる。
「ベア吉ぃー」
泣きそうに顔を歪めて、手を広げる礼真にぶつかるようにベア吉が飛びついてくる。
 ベア吉を抱っこしたままで立ち上がった礼真は、
「はぁーよかったぁ」
と、まだ半分魂が抜けたような声を出して潰れるくらいに抱きしめる。
 その礼真をじぃと見つめるベア吉は、
「?っ?!?」
と、礼真の頬のあたりを慰めるようによしよしとさする。
 それを横で見ながら、
「ったく礼真に心配かけやがって、このクマ!なにしてたんだよ!」
マキシが少し怒ったように言う。
「そうだよ、人が来てびっくりしたかもだけど、どうしてこんなところに」
礼真は静かな口調で聞く。
 ベア吉は少し首を傾げてから、礼真の腕の中で身を捩ると、手をあげて滑り台の方を指した。
「?」
つられてマキシと礼真が滑り台の方を見ると、小さい女の子がじぃとこっちを見ている。
「あのさ、マキシ、俺的には生きてる子見えるけど、どっち?」
礼真がこそっとマキシに聞く。
「残念ですが、礼真の目が正解。ナマモノです」
夜中の公園に小さい女の子がひとりという状況で、少女が生きているか、霊かという問題で、面倒な状況は、明らかに前者だとマキシはため息をついた。
 それは礼真も感じているのだろう、礼真はベア吉を抱っこしたままゆっくりと、女の子に近づいて行く。
「こんばんは。うちのベア吉と遊んでくれてたんだね。ありがとう」
と柔らかく声をかけた。
 女の子はふるふると首を横に振って、
「ううん、ここあがね、クマさんに遊ぼうって言ったから…。」
礼真の反応を伺うように上目で見てくる。
「そうなんだ、ここあちゃんって言うの?」
「うん、まつもと ここあ。よんさい」
女の子、ここあは手のひらを礼真に見せるようにしながら、親指をまげて、四本の指を見せた。
「そっか、ありがとう。俺は佐藤礼真です。この子はベア吉」
礼真はゆっくりと名乗り、ベア吉を下ろして、ちらっとマキシを見た。
「ココア…ココア…カカオ豆から採れるヤツ…」
マキシがブツブツ言っていると、
「マキシもっ!」
と、礼真が声をかけてきて、名乗れという圧をかけてくる。マキシはため息をつきながら、
「マキシ」
と、それだけ言った。
 ここあがちょっと首をかしげている。
「あーマキシっていうのがこのお兄ちゃんの名前ね」
礼真が微笑みながら言うと、
「ベアちゃんのお兄ちゃんと、ベアちゃんと、マキシ」
ここあが、滑り台を滑って降りてきて、礼真、ベア吉、マキシの順に指を指しながら言って、礼真はちょっと吹き出した。
 マキシだけ呼び捨てだ。
「そうだよ、よろしく…ね」
礼真は目の前に来たここあを見て、眉をひそめた。
 夜とはいえ真夏に長袖、ウエストのゴムが緩んでいるスカートは少しずり下がっている。足もとは大人サイズの白いクロックスもどき。そして、肩より長い髪はべったりして、ところどころぐしゃっと絡んでいる。
 礼真はマキシの方を見た。
 マキシは、スンっと冷えた表情でここあを見ていて、礼真の視線に気付くと、ポンとその肩に手を置いた。
 ここあのその姿と、夜中に一人で公園にいる理由を察することができて、礼真は眉間にしわを寄せて、俯いた。
「ベアちゃんもう一回滑ろう」
二人の様子に気付くはずもないここあは、ベア吉の手を取って誘っている。
「っ??」
ベア吉につつかれて、はっとした礼真は、
「いいよ、ここあちゃんと一緒に滑っておいで」
と、ベア吉に言うと、
「♪」
ベア吉はここあと手を繋いで、滑り台を登り始めた。
「子供ってさーなんで同じヤツばっかり無限ループするだろうな」
マキシがぽつっと呟いた。
 礼真は自分も同じことを考えていたと思いながら、
「それ、俺も気になるから、マキシ、調べて教えてよ」
と、答えてベンチに腰を下して、また滑り台を登りはじめたここあとベア吉に目を細めた。
 マキシが礼真の横に座って、ポケットから電子タバコを取り出して吸い始めた。
 バニラの香りが辺りに漂う。
 礼真は自分が吸うときはメントール系を好むが、マキシが次々に新作と言って吸うスイーツやフルーツ系の匂いは嫌いではない。
 礼真は横に座るマキシとの距離を肩が触れるくらいまで詰めて、マキシから漂う甘いバニラの香りを吸い込んで目を閉じた。
 マキシは何も言わずに、吸い続けている。
 と、二人の前にベア吉とここあがやってきた。
 礼真は少し慌てて、マキシから離れて、
「どっどうかした?」
と、聞くとここあがじいっとマキシの口元を見て、ごくっと喉を鳴らしている。
 礼真はあっと小さく声を上げると、
「ここあちゃん、なにか食べる?」
ここあに声をかけた。
 ここあは、その言葉にぴくっとして、ぶんぶんと大きく首を振った。
 なにか食べたいと言うことを許されていないのだろうと、わかってしまう。礼真は小さく息をついた。
 その礼真の横で、マキシがカートリッドを入れ替えた。
 すると、今度はふわっと甘く香ばしいチョコレートの香りがして、ここあの目がマキシに釘付けになっている。
「お腹空く匂いだよねーここあちゃんもお腹すいたでしょ?」
礼真がさりげなく聞くと、ここあは思わずというようにこくんと頷いた。
「そっか、そっか。じゃあなにか買ってくるよ。パンは食べられる?」
「食べられるよっクリームが入ったのも食べられるよっ」
礼真が立ち上がりながら聞くと、ここあは、はーいと手を上げて言う。
「そうか。じゃあクリームの入ったヤツにしようね。マキシは?」
「トロピカルフルーツ系」
礼真はポケットのスマホを確認してから、マキシにもわざと声をかけた。
 ここあに、ここあが食べるものだけを買いに行くと思わせたくなかったからだ。マキシもわかっているのか、いつも通りの緩さでふぅーと煙を吐きながら答える。
「おっけーすぐ戻ってくるからね」
礼真は言うと、その場所から見えるコンビニの明かりの方へ走って行った。
 ここあは礼真の後ろ姿が見えなくなると、マキシに向き直って、
「それなに?」
と、マキシの電子タバコを指さしてくる。
「電子タバコ」
「パパのタバコは臭いよ。マキシのはいい匂いする」
「せっかく吸うなら、いい匂いの方がいいでしょ」
「うん、けど、パパはなんで臭いの吸うの?」
「さぁ、カカオのパパにはいい匂いなんじゃないの?」
マキシが言うと、ここあは首を傾げた。『カカオ』が自分のことを言っているとわかったらしい。
「…カカオ?…ここあはここあだよ」
ここあが少し口を尖らせて言うと、マキシはここあを見下ろして、ポケットからさっき吸っていたカカオフレーバーの箱を取り出して見せた。カカオの実のイラストがついている。
「だから、カカオじゃん、ココアはカカオが原材料ー」
マキシが、カカオの実を指さしながら、この実からココアやチョコレートができることを説明すると、理解したのか、していないのか、
「……ふーん…げんざいりょーならしょうがないね」
と、ここあが頷いた。
「そっ原材料だからね」
マキシも頷く。
 たったっと軽い足音がしてビニール袋を下げた礼真が戻ってきた。
「おまたせ、なに話してたんだ?」
わずかな時間でも、この二人をベア吉がいるとはいえ、二人っきりにしたことが心配だった礼真が聞く。
「ここあはカカオなんだって、げんざいりょーなんだよ」
ここあが少し得意気に言う。
「おっわかってんじゃん」
マキシの方もちょっと眉を上げて応えている。二人の間では通じる話らしいが、礼真には理解できない。
「へぇ…よくわかんないけど、話が弾んだんならよかったよ。それより、はい、マキシ」
「さーんきゅ」
理解することは早々に諦めて、礼真はコンビニのビニール袋からカートリッジの箱を出してマキシに渡し、
「ここあちゃんはこれね」
と、ここあの拳くらいの小さい丸いパンが4つ入った袋を見せた。
 ここあがぱぁと目を輝かせて、手を伸ばしてくる。
「カカオ、座って食べろよ」
マキシは言うと、立ち上がって自分が座っていたところに、ここあをひょいっと座らせた。
「開けてあげるからちょっと待ってね。あと、麦茶もあるからね」
礼真が袋を開けている横で、わくわくと待っているここあの服の袖が、指先まであることにマキシが気付く。
 マキシはここあの前にしゃがむと、
「カカオ、袖邪魔そうだな。折ってやるから、手出せ」
と、ここあの手を取った。
 マキシは、なにかの染みがついているきれいとは言えないここあの服の袖を、くるっと折って、また一つ折って行く。
 手首が見えて、もう一つ折ろうとしていたマキシの手がそこで止まった。
 マキシの表情が変わったことに気付いた礼真は眉をひそめた。
「マキシ?」
「カカオ、もう片方もなー」
マキシは表情をわずかに硬くしたままで、軽く言いながら、今度は手首まで見えるところで折るのを止めた。
 ちらっと礼真の方を見たマキシは立ち上がる。
 なにかあったのかと、礼真がマキシに声をかけようと口を開きかけたが、
「ベアちゃんのお兄ちゃんっパンっパンっ」
待ちきれなくなったのかここあが声を上げる。
「あっごめん、ごめん。はいどうぞ」
礼真は袋から一つ取り出して、ここあに渡した。
 ここあはすぐにパンにかぶりついて、あっという間に一個食べてしまって、まだ3つパンが入っている袋をじっと見ている。
「これは、全部ここあちゃんのだから、食べていいよ。お茶もね。ベア吉、ここあちゃんの横でお茶持ってあげてて」
礼真は袋からパンを取り出して、ここあに渡すと、ベンチから立ち上がって代わりにベア吉を座らせた。
 そして、蓋をあけた麦茶のペットボトルと、残っているパンが入っている袋をベア吉に持たせた。
 ベア吉は、最近、事務所に来るお客さんにペットボトルの水を出したりしているので、ペットボトルの扱いは上手いし、よく気がつく。
 ベア吉は、二つ目のパンを食べ終わったここあに、落とさないようにしっかり麦茶のボトルを渡している。
 それを見ながら、礼真はマキシの傍に行った。
 ここあとベア吉に視線を向けたままのマキシは横にきた礼真にだけ聞こえる声で、
「ここあの左腕に痣があった。手首の上、ぶつけたみたいなヤツだけど、けっこうでかい。右腕には掴まれたみたいなのがあった」
早口に言った。
 ここあの様子からどんな暮らしをしているかとだいたい想像はついていたが、そこまで予想していなかった…というより、予想したくなかった礼真は、マキシの言葉に、ひゅっと息を飲んだ。
 そして、ぎゅっときつく拳を握って、しばらくそうして、はぁ…と深く息を吐いた。
 なんとか自分の中に吹き荒れそうになったものを抑える。
 礼真は4つのパンを全部食べて、麦茶を飲んでご機嫌のここあを見て、もう一度息を吐いた。