しかし、灯影の言ったことが本当なら、千牙は背負ってきた責故に永きに渡って諦めてきたことを、今、叶えているのである。
咲のように無能の生き物でさえ、誰かを欲する気持ちを持った。だったら、ずっと人妖の為に力を尽くしてきた千牙の真なる願いを叶えることは、もっとも大切なことではないだろうか。
(いっときでも私に幸せをくれた千牙さんの願いを叶えたい……)
それがミコトの意にそぐわないのであれば、咲は千牙を神々の呪から解放したい。だって、咲に喜びを教えてくれた千牙が、喜び、安らいで生きていてくれることが、咲にとって何より一番望みだからだ。
――『もし万が一のことがあった場合、真名を用いて、彼を葬ることも、厭わないでください』
風花の言葉を思い出す。彼女は千牙の内なる願いを知っていて、咲にそれを託したのだ。
ミコトに処断されるか、咲に葬られるか。
彼が秘したる望みを持ったときから、おそらく滅びの道は避けられない未来だった。
(千牙さんの思いは叶えたい。それが千牙さんに恩を返すということだから)
でも。
寝台にいる千牙を見る。その瞳は芙蓉を見ていて、彼の望みが彼女の言うとおりだと知らしめており、咲にもはや一縷の望みもないのだと分かる。それでも。
(それでも……。それでも、私は千牙さんに、生きていてほしい……!)
課された役目と、自らの願望。その狭間で軋むように、咲の心は悲鳴を上げる。冷ややかなミコトの気配が、そこにある。
咲は追い詰められた状況で、ふたりの前にいた。そのとき、咲の背後で、扉が開く。そこには灯影がいた。その姿にはっとする。
(ハチは……、ハチはどうなったの……! まさか……!)
咲のさらなる絶望に、灯影は面白そうに口の端を上げた。
「口ほどにもなかったですね、あの朧は。所詮、今のこの僕に太刀打ちできる力など持ちはしませんでしたよ」
彼の嘲る言葉に、咲は絶望を大きくした。
(せっかく私を慕ってくれていたのに……。私のせいで……! ハチ……!)
悄然としている咲の元へ、灯影が近寄ってくる。小夜が威嚇をするが、千牙がその真名でようやく封じられるほどの灯影に、小夜が太刀打ちできるはずがなかった。
「さてところで、あなたがたがここまでやって来たのは、こいつの気持ちを確かめて、あわよくば助けようと思ったからなのでしょう? でも、いかがでしたか? 彼の気持ちはお分かりになりましたか? 彼女とのこのさまを見て、まだあなたは彼があなたを愛しているとでも思うのですか?」
灯影が視線を寝台の方へと向ける。相変わらずそこでは、千牙の隣で勝ち誇った顔の芙蓉が、あらゆることに打ちのめされている咲を嘲笑っていた。
ふたりの様子を見ていたくなくて、首を項垂れてしまう。灯影が咲の傍らに膝をついた。
「彼に捨てられたあなたには、もう僕の人形になる以外の生きる道はないでしょう。ですが、僕は心が広いのです。先ほどお見せした、狭間の悪鬼たちを覚えていますか?」
実ににこやかに、灯影は咲に話し掛ける。
「あの悪鬼たちに人間を襲わせたら、人間の恐怖に反応して彼らはもっと増え、うまくなります。僕は恐怖に縛られた朧の味が、大好きなのです」
灯影の言葉に、悪食ものに対するハチの憎々しげな叫びを思いだす。そんなことのために命を縛られるなんて。いつも明朗で明るかったハチがあれほど怒号していた理由が、今はっきりと分かった。



