【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


(どういうこと!?)

動揺に混乱する咲を、青年は楽しそうに見るだけだ。彼の様子に、千牙の言葉を思い出し、ひとつの仮説にたどり着く。

――『力を押さえ込むにはより大きな力で縛るしかなかった』

彼の胸のあざ……。赤いあざが、赤い光と共に消えた。あの、赤い光は……。
咲の気づきに、彼は恍惚とした表情を浮かべる。

「そうです。あなたが僕を解放してくれた……。『逆言葉』を扱えたあなたのおかげで僕は全てを取り戻せました」
(逆言葉……!?)

咲が動揺する中、青年が目をつむると、ふわり、と彼の頭と腰に白くてやわらかそうな物が現れた。それは三角の形をした耳と、豊かに太い尻尾だった。咲が大きく目を見開く。

「分かりましたか。そうです、あのあざはあの忌まわしき調停者が僕を縛ったそのものでした。あなたの唱えてくださった『逆言葉』で、『桜玉』の名は僕を縛る責から逃れ、彼はその名から解放されたのです。名を失ったあやかしがどうなるか……、『桜玉』の真名を握っていたあなたなら、分かるのではないですか?」

名を失ったあやかし……。それは名を持たぬ朧同然だ。朧は環境に左右されやすく、やがてはびこる邪に飲まれる……。
さっと頭から血の引く思いがした。背を冷や汗が伝うが、それを否定するようにぐっと手を握る。しかし、咲の動揺に、青年は悠然とした様子で言葉を継ぐ。

「あの巫女が結局、あなたに逆言葉を教えなかったことは、知っていましたよ。所詮あなたは、付け焼き刃の巫女であると思われたのでしょう。まあ、おかげであなたに唱えていただくことが出来ましたので、僕はあの巫女に感謝せねばなりません。」

そう言われてはっと気がつく。風花に教えを請うていたときに、窓の外から誰かに見られているような視線を感じた。あれはこの青年が風花と咲を見ていた痕跡だったのか……!
悔しさを滲ませる咲の前で、彼は更に言葉を継ぐ。

「あなたに面白いものをお見せしましょう」

そう言って彼はするりと咲の懐を探った。千牙ではない男が自身の身に触れる恐怖に息を呑む。しかし手は怪しい動きをせずに、咲が懐に入れたままのあの鏡を取り出した。そして鏡面に手をかざすとある景色を浮かび上がらせる。

「……っ!」

それは狭間に溢れた悪鬼の数々だった。鏡を通して分かる、邪に縛られて苦しむ朧たちの悲痛な叫び。本来だったらこうなる前に彼らを祝してやらなければならなかったのに、咲がこんな状態だからあんなにも苦しんでいる。

(私のせいで……!)

自分が真言葉の書物を読んだときに、きちんと逆言葉のことまで学んでいれば、こんなことにはならなかった。小さな命がひとつずつ悲しみ苦しんでいる声に、咲の胸に後悔の念が渦巻く。

「これらを斬らねばならなかったあいつも、さぞ辛かったでしょうね。同胞を手に掛けることをあいつが死ぬほど嫌がっていたのを、僕は知っています。でも今あいつは安らいでいる。名を手放したおかげで任という枷から解放されて、この上もなく幸せな生活を送っていますよ」

ほら、見えますか。

そう言って青年はまた鏡に手をかざした。するとそこには、千牙の洋館の中が映る。白い壁に鏡台や机にチェスト。見覚えのあるその部屋は、あの屋敷の咲の居室だった。その寝台にはひとがふたり絡み合うように横になって……。

「っ!」