【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


「……っ」

自分と咲を隔てた扉をガチャリと開け、半身だけ小さな部屋に入り込む。咲は背中の釦を店員にはずしてもらって、少し上衣が緩んだ状態だった。
ぱあっと、咲の頬に朱が走る。

「せ……」

小さな悲鳴にも似た声が上がる。それを最後まで聞かないうちに、千牙は彼女を素早く抱きしめると緩んだ上衣から覗く鎖骨の際に口づけた。

「……っ」

小さく湿った音が小さな部屋で鳴り、白い肌に緋色のうっ血痕が浮かび上がる。その鮮やかさに、己が内で衝動が首をもたげる。
それを素知らぬふりをし、千牙がゆるりと顔を上げると目の前にあわあわと目を白黒させた咲がいた。……しかし、驚いているが、拒絶の色はない。その表情に、再度、昏い歓喜が首をもたげる。

「……おぬしと、底なしの沼に落ちられたらな……」
「え……」

不意に口から零れてしまった本音に、咲が不安そうな顔をする。
……そうだ。彼女は自分が責を果たすことを望んでいる。それが彼女の愛する命を守ることにつながり、彼女もまた、そのために努力することを喜びと感じている。
自分の昏い欲望とは相容れない。しかしそれでいいと思う。彼女さえいてくれれば、命尽きるときまで自分は責を果たしていける。

いっときの喜びを得た。ならばそれを礎にこれからも己を律し続けることが出来るだろう。千牙は全ての感情を心の奥にしまい込んで、穏やかな笑みを先に向けた。

「パーティーでの虫除けだ。たいした意味はない」

その言葉をどのように受け取ったか、咲は幾分肩の力を抜き、眉を下げた。千牙はすまなかったと謝罪をして小さな部屋から出る。

(本音が零れるなど……)

自分の失態に苦笑いが浮かぶ。やがて試着室から出て来た咲には詫びとして店内のカフェーでアイスクリンをごちそうした。アイスクリンは気に入ったらしく、里への土産に持って帰れないかとしきりに気にしていた。

「そのうちに材料を狭間で仕入れよう。作り方さえ分かれば、スズも作れるだろうからな」
「こういうものは作ったことがないので、私も一緒に作ってみたいです」

楽しそうに言う咲に、そうするといい、と頷いてやる。

「なんだか楽しいことばかりで、ばちが当たりそうです。邑にいた頃はこんな時間を私が過ごせるなんて、思ってもみませんでした」

妹だって、アイスクリンを食べていたかどうかは分からないのに、と眉を下げる。その表情に、やはり咲にとってあんな家族でも肉親なのだと痛感した。

彼らを裁かなければならなかった理由は明確だが、それによって咲に寂しい思いをさせてしまったのであれば、里でのハチやスズ、小夜たちとの交流がその代わりになっていれば良い、と真剣に思う。たとえ自分のための時間より、彼らのために割く時間を優先されたとしても。
千牙は彼女の向かいで静かに珈琲を傾けた。