【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる






栽培した命の草は、千牙の指示の下、小夜たちによって妖界全体に行き渡った。これまで十年に一度の贄の生気をみんなで順番に分け合い、力を保っていたそうだが、草の配給により、腹が減ったときにいつでも生気が補充できるとみんなが喜んでくれたのが、咲は嬉しかった。

そして畑仕事もひと段落した今、咲は屋敷の与えられた私室でひとり、書物の頁をめくっていた。風花に渡された古いあの教本である。

(『真言葉』以外にも、いろいろな役割を持つ言葉があるのね……)

『真言葉』がとても強力な使役の言葉だとしたら、『縛(ばく)』は言霊の力をより強固にする言霊、『緩(かん)』は逆に言霊の力を緩める言葉のようだった。
他にも補助的に使う言葉がたくさん記載されており、おそらくこれらの言葉は、術者の実力に寄らず言霊の効果を加減するのに使われているのだろう。風花が咲に架した言霊のような力を咲が使おうにも、おそらく自分はまだ鍛錬が足りないから、『縛』を使ったりすると同じ効果が出るのかもしれない。風花から直接使用して良いと言われていないから、しないが。

ぺらりぺらりと頁をめくっていく。さして厚みのある本ではないが、最後の頁に来ると、書いてある文字の上から、朱色でばつ印が打たれた言葉があった。

(……『逆言葉(さかさことば)』……?)

書いてある古代文字を、『真言葉』について読んだように文字教本に照らし合わせて読み解くと、この言葉は使役を反転する作用を持つようだった。どうやら隠密の場面で使うらしい。確かに帝の内々の命などを普通の言霊で述べたら、聞いた人が内容を知ってしまうことになる。この言葉を知っている人しか、意味が分からないような、そういう使い方をするようだった。しかし、咲の視線はその言葉の説明の、とある一文で止まった。

――『決シテ他ノ言霊ニ被セルナカレ』

なるほど、と咲は思う。この言葉が使役を反転させる力を持つなら、確かにそんなことをしてはいけない。
だが、肝心の言葉の使い方が書いてなかった。他の言葉には使いこなせるように凡例が書いてあるのに、この言葉についてだけ、その記載がない。しかし、紙の上には過去の人が何度も文字を辿った形跡があり、絶対にこの言葉を覚えた巫女がいるのだと分かる。

(もしかして、口伝?)

文字で記録すれば、見ようと思えば誰でも見れてしまう。口伝なら、その心配はない。そして風花が咲にそれを教えていないということは、咲はこの言葉を知る必要はないのだ。

(そうね。私は千牙さんが悲しい運命を辿らないように、『真言葉』で導いてあげれば良いんだわ)

千牙の希望を叶えるべきだと思ってはいるが、一方でやさしい彼にいなくなってほしくない。それはおにかみの里のみんなだってそう言うだろうし、妖界のみんなもそう言うだろう。彼がいるから人界との諍いが最小限にとどめられ、平和な時間が送れているのだから。

(でも、千牙さんはきちんとお仕事をしてらっしゃるし、別に辛そうな感じではない。風花さんの思い違いなのではないかしら……)

咲も贄問題の解決に助力できたし、彼の荷がひとつ減ったことは確かなので、風花が知ってきた千牙の状態と変わってきていると思う。
風花が言うような『真言葉』を使わないで済めば良いな、と思いを馳せて、咲は庭の桜玉を見た。