【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


ザシュ!
鮮血がその場に飛び散った。振り下ろされた刀により、腕に真一文字の緋色が走る。

「…………っ!」

直前まで逃げ惑っていた相手の思わぬ行動に、鬼たちの動きが一瞬止まる。それだけでも十分だった。周囲に漂っていたうごめく輩も、気配を消した。
ぽたりぽたりと、腕から鮮血がしたたり地面に落ちる。しかし傷は深くはなく、肉も削がれていない。千牙の大太刀を見ていたから分かった、彼らの刀の古さに気がついたのだ。
いつから研いでいなかったのか、木刀を打力で傷つけることは出来ても、人の肉を斬るまでの鋭さを持たない鈍い光に、咲は賭けてみたのだ。

「さ……、咲さま……」

青い顔をしてこちらを見るハチを手で静かに制し、咲は道の脇に咲く蒲公英に腕から零れる赤い血を滴らせる。そして血を浴びた蒲公英を丁寧に摘んで、鬼たちに差し出す。三人が、ごくり、と喉を鳴らした。

「今、私の命を差し出すことは出来ないです。千牙さんと約束したことがありますので……。でも、贄であった私が、みなさんの命を継がなければならないのも事実。ですから、贄であった私の命に近いものなら、少しはおなかの足しになりませんか。この花は、私の腹の虫を慰めてくれていた花なのです」

周囲がざわざわとうごめく中、鬼たちが蒲公英に引き寄せられるように震える手を伸ばしてくる。血から、生気のにおいでもするのかもしれない。血を浴びたその花を、三人は同等に分け、口の中に放り込んだ。ごくん、と飲み込めば、飢えで血走った眼(まなこ)はやわらぎ、悪かった血色が、いくらか戻る。ひとりの鬼が、ぶるり、と体を震わせた。目に涙を浮かべている。

「あ……、悪食ものに……、ならずにすんだ……」

それは、心からの安堵の声だった。おそらくハチを脅してしまったのも、飢えに耐えかねた失言だったのだろう。それほどに、同種喰いは忌避される行為なのだと咲も知る。しかし、別の鬼は、まだ咲のことを軽蔑した目で見ていた。

「こんなこと、一時しのぎだ。お前が今後、妖界の全てに血の花を配って歩くわけにもいかないくせに。俺たちは、妖界は、お前が喰われないんだったら、次の贄を喰うまで飢えなきゃいけない。人界が贄を出し渋ってる以上、いずれお前は喰われる運命なんだ」

そうなのかもしれない。でも、なんとかして彼らの飢えと千牙の願い、どちらも叶えたい。

「長は今、人界に行っておられるのだろう。きっと俺たちのように飢えたあやかしのことはご存じの筈。長がお帰りになって、人界から新たな贄が出されない限り、俺たちはお前を御寮とは認めないし、もし贄が出されないのであれば、お前を喰うしかない。長もそれはお分かりになる筈だ」
「……分かったわ」
「咲さま!?」

静かに発された咲の返答に、ハチが驚いている。
だが、贄であるはずの咲が生き延びているのだから、彼らの言うことは正しいのだ。人妖界で結ばれた協定にはそれが謳われており、咲だけがその仕組みから逃れられるわけがないのだから。

咲の決意に、鬼たちが剣を収める。鈍い光ではあったが、視線から殺意が消えたことでほっと息を抜く。

「でも、ひとまず剣を降ろしてくれて、ありがとう。あとは千牙さんのご判断に従います」

結局、妖界の存在ではない咲が、そこに居ようとするのなら、彼の判断が全てなのだ。彼なら調停者として正しく導いてくれるに違いない。

(でも、その前に……)

千牙がいつ里に帰ってくるか分からないなら。
可能性のあることは、全てやっておこう、と、咲は思った。