ひゅ……っ、と息を呑む。
まるで氷水を頭からかぶせられたように背筋に冷たさが走った。恐ろしさに身じろぎしようとしたが、しかし風花の口から零れた言葉は咲の体を縛り付けた。
動けない……。嫌です、と、何故なんですかと、問うことが出来ない。風花が申し訳なさそうに口を開く。
「ごめんなさい……。咲さんにひとつ、枷を与えてしまいました……。ですが、これは調停者さまも望まれたことなのです……。咲さんには、調停者さまのお傍で、そんな未来が訪れないよう、心を砕いて差し上げてほしいのです……」
まつげを伏せ、彼女が咲に頭を下げて、「汝、任を負い、果たせと【役】する」と呟いた一瞬のち、咲の体のこわばりは体に染みこむように解(と)けた。それで実感する。言葉の力とは、こうして対象者に影響をもたらすのだと。
風花の課した命も重いが、それ以上に言葉の力というものを、重たいと、咲は感じて身を震わせた。
そんな咲に手にしていた書物を渡すと、風花は元のおだやかな微笑みを浮かべた。その表裏(ひょうり)に、彼女の深い慈しみと憂慮、それから、ただひたすらに言葉を扱うものとしての真っ直ぐな責務を見た。
(これが……、巫女という責を負った方……)
言葉を操る力を持つというだけではない、その姿勢に、咲は胸を突かれたような思いを深くする。
「……、…………」
ごく自然に、腰を折り、頭を下げた。風花の、巫女であろうとするその姿勢に、敬意を表したかった。
そして彼女の言葉を振り返る。
(千牙さんは、私に、そんな未来を預けたというの……)
邑で咲の手を取った彼の瞳を思い出して、苦い何かがこみ上げる。
調停者という、緊張感を維持しなければならない道を生きる千牙は、今までどれほど大変だったのだろうと、思いを馳せる。そんな恒久的に続く生に終止符を打ちたいという願いを、彼が持っていたとしても、それを否定することなど、咲には到底出来ない。
でも、こんな何の妖力も持たないちっぽけな人間の小娘に、その人生を預ける千牙の選択に、胸を裂かれる思いがする。
(わたしの名付けは、そんな運命を、彼に選ばせてしまったというの……?)
咲が名付けさえしなければ、千牙は命を諦める未来を手に入れることはなかった。
咲を邑から救い、新しい生を与えてくれた人に、自分はそんな恩の返し方しか出来ないのだろうか。
神々から本当の名を封じられて生きてきたことを教えてくれた彼。新しい名前を捧げたことで、彼に幸いがあるのだと思っていたのに……。
(でも……)
ぐっと、手を握る。
自分の尺度で測るから、千牙の選択を悲しく思うのだ。彼が役目を負って生きてきた中で、自分の周りに居たはずの人が次々と居なくなっては新しく周りを囲み、いなくなる。それが繰り返されていく人生が、彼の中でいったいどれだけ続いたのだろう。
月が、星が、永遠に輝いているのと同じくらいにお前も輝き続けろと言われたら、咲だって自分というものの限界を超えてしまうかもしれない。
周りを囲むのは、みんな過去になる人ばかりと思っていたら、自分だけ取り残された気持ちになったっておかしくない。
時間の軸に取り残されたわけではないが、咲だって邑でひとり、無能ものとして爪弾きだった。孤独というくくりでは、同じことだろう。咲の場合は、死ねば無能ものである時間が終わったのだから、千牙の孤独感を分かち合えるなどとは、到底思わないが……。
(私が分からないことを、分かったようなふりをして千牙さんの希望を曲げてしまうのは、おかしいのかもしれない……)
だったら、彼の望むようにしてやった方が良いのかもしれない。千牙の決断は、彼の意志であり、それは尊重すべきだと思ったのだ。
咲の決意が固まったことを、風花も分かったのだろう。「何か、良い未来があると良いのですが……」と、悔しさを滲ませていた。



