じっと黙っていたハチが、声を荒立て吐き捨てるように言った。その声の鋭さに驚いて咲が彼を見ると、ハチは顔を伏せ、膝の上で手をきつく握りしめていた。こぶしが微かに震えている。
「ハチ……?」
常ならざる彼の様子に、心配になる。気配を感じたのか、ハチはすみません、と小さな声で謝罪し、再び黙った。
「あの……、どういうことですか?」
黙ってしまった彼には聞けず、問いを千牙に向ける。美しい眉宇を寄せた千牙が、こちらも辛そうに口を開いた。
「普通のあやかしが食べないものを食べるあやかしのことだ。あやかしは古の協定通り、十年に一度、人界よりもたらされる贄の命で己が生命を永らえる。しかし、人の命よりあやかしの命を好むものもいるのだ」
ひゅっと、咲の喉が空気を飲んだ。話は続く。
「そういったものにとって、朧は非常に得やすい糧になる。なにせ名を持たぬので、まずそれを屠る罪の意識を持ちにくい。加えて言うなら朧が悪鬼になることにより、そやつの好む味になるらしい。私には到底理解できぬが、嗜好というのはどの口にも存在するものだからな」
ぞわり、と肌が総毛立つ。その嫌悪や恐怖にハチの感情を推し量ろうとしても、人間である咲には到底無理だ。
「悪食ものは悪鬼を得ようと朧に己が力で呪を掛け縛る。卑劣極まりない凶行のため、私はそいつを罰せねばならなかった。しかしそいつが溜め込んだ力は思いのほか大きくて、斬れば犠牲が大きいと判断した。あやかしは力を持って名を有する。私はそいつを私の名に掛け縛るしかなかった。結果、朧の悪鬼化を少なくは出来たが、完全になくすことは出来ていない。私が悪鬼を太刀で斬るのは、その呪を解くためだ」
だから、斬ることが求められる。その行為が彼の心を辛くさせているのだとしても。
(千牙さんは、そういう人からも朧を守っているのね……)
餌にされるよりは、いくらかましと思って。
そうして改めて自分に託された彼の願いの重さを知る。
(名づけによって朧の性質を定めれば、彼らはきちんとこの世界に定着して、無用な殺生に巻き込まれなくて済むから……。千牙さんは人とあやかしの間にも、そしてあやかし同士の間にも、ひたすら無為なる命の搾取がなくなるように、祈っているんだわ……)
なんてやさしい人なんだろう。
その行動が例え任によるものだとしても、目の前の辛そうな表情は彼の心根を示している。その彼が、自分に役目を与え、ともに朧を救ってくれと頼んでいるのだ。自分が助力できることなら何でもしたい。
咲は千牙を改めて見つめた。自分にできることは、ただひとつ。
「わたし……、頑張りますね……。朧を……、千牙さんを、助けるために」
ゆるりと千牙が顔を上げる。
笑えているだろうか。できれば自分を見て憂いなく微笑んでほしい。まだまだ技はおぼつかないけれど。
口角を上げ、持ち上げられた彼の視線をしっかりとらえる。千牙の口の端が、ふ、と緩み、そして深々と頭を下げた。
彼の心の中は、わからないけれど。
でも、少しでもその肩に追う責任が軽くなれば。
静かに咲が見つめる前で、ハチもぽろりと涙をこぼした。



