【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


夕食のあと、千牙は鏡の使い方を教えてくれた。ハチも見守る中、鏡を見つめる。

千牙が手をかざすと、どこかの境界の様子が映った。暮れてしまった夜の闇の中、ふわふわと朧が浮かび上がっている。ハチがすごい、と感嘆するそばで、千牙は咲に言葉を向けた。



「咲。これに名づけを行えるか」



千牙の言葉に緊張で背を伸ばす。これまでは目の前にいる朧を相手に名前を付けてきた。目の前にいない朧には、どうやって名前を付けたらいいのだろう。昼間、風花からは、やり方が通常と違うと言われたばかりなのに。

でも、朧の名づけは千牙と約束した大切な咲の役目。やらないということは、ありえなかった。



「やってみます」



こくりと喉を鳴らして、邑の境界で名付けた時を思い出す。生まれたばかりの彼らに幸多からんと願いを乗せて。



「キササゲ、ミズメ、キ……」



次の名を音に乗せようとしたとき、パチン、と何かに阻まれるような音がした。鏡の中で、ひとつの朧がまがまがしく黒変していく。それが鏡に向かって突進しようとした、次の瞬間。



千牙がひらりと後ろに飛び、鏡を相手に太刀をふるった。刀風に当たってぱしっと、明らかに何かが切れる音がして、黒変した朧は消え去った。



「え……っ?」



さあ、と、咲の頭から血の気が引く。ハチも何も言わずにその場にいる。カチンと刀が鞘に納まる音がして、彼女は千牙を振り返った。彼は目を閉じゆるく首を横に振り、そして何かを振り切ったように目を開くと咲の頭をやさしく撫でた。



「気にすることはない。どうも引っ張られたようだ」

「引っ張られた……?」



千牙の言葉に、ハチがぐっと奥歯をかみしめるような表情をした。彼らの言動の意味が分からず、視線で問う。千牙が刀を抱きかかえながらソファに埋まると、少し思案の様子で語り始めた。



「朧が環境に左右されやすいことは以前話したと思うが、逆に言えば、朧の性質に影響するような環境さえ整えてしまえば、彼らはたやすく邪に飲まれ悪鬼となるのだ」

「環境を……、整える……?」



どうしてそんなことをするのだろう。そんなことをすれば、朧が苦しむだけだ。咲には全く理解ができず、語尾に疑問を浮かべた。千牙とハチが苦々しい顔になる。



「世の中に住むものが、みな等しく美食家であるわけではない。まれに悪食ものと言われるものがいる」

「悪食もの?」

「朧の敵ですよっ!」