「あなたが人を傍に置きたいと思うとは。人は簡単に裏切ると嘆いておられたあなたが……」
感慨深そうな眼差しで、帝は千牙を見た。当人はどこ吹く風である。
「命じられた任故にそういう経験が多かったからな。しかし全ての人がそうではないのだと、知ったのだ」
「そうであれば、あなたにとって良いことだったのでしょうね、彼女との出会いは。まさか真名を握らせるとは思いませんでしたが」
空気を揺らして、肯定を表す。偶然の出会いだったが、得がたいものを得たと思っている。
「彼女の力は未知数だ。その姿はたどたどしい足取りで必死に蝶を追いかける幼子のようで危なっかしい。しかし歩みを覚え、蝶を手に包む技さえ覚えれば、人妖界にとって幸いがもたらされるだろう」
「それ故に、神々から所望されるかも知れなくても?」
細く、帝の目が細められると、ふ、と千牙が黙る。自分の真名を封じ、任の為の名を与えた存在を、彼は複雑な思いで思い出した。
(この役目を負わなければ、咲には出会えなかった。そういう意味では、感謝をしている)
しかし、己の手から彼女を奪うものは、何人たりとも許さない。たとえそれが神であろうと、あらがってみせる、と手を握る。
脳裏に咲の姿を思い出す。朧に言祝いだときの、あの顔だ。とても美しい人間がいるものだと、感動した。彼女のやさしさ、心の美しさに、黒々としたものにまみれていた自分は、浄化されたような気持ちになったのだ。
あの美しさを奪われたら、きっと己はこの先、生きていけない。命はあっても、中身はまるでがらんどうの空洞になるだろう。
そう思う心は、まだ誰も知らない彼女の美しさを、自分だけのものにしてしまいたいと渇望する。なにも知らない彼女の自由を奪うわけにはいかないから、表には出さないが。
「……怖い顔をしておられる。滅多なことは、考えなさるな」
「……、別に、なにかをしようと思ったわけではない」
「いやしかし、極悪人のような顔をしておられた」
そうか……、と己が顎を撫でる。それを苦笑して帝が見た。
「咲殿には見せられぬ顔だな。重々上手く隠されよ」
「心配には及ばぬよ。私を誰だと思っている」
口の端を上げた千牙を、帝がため息を吐いて見つめた。



