支度が終わり、部屋にいざなわれた千牙が目を瞠る。咲はやさしい淡水色(うすみずいろ)の地に薄桃色の桜の花が舞うように描かれた桜紋(おうもん)の着物を着ていた。淡水色は千牙の桜が映える、この里の空の色だ。
咲の姿を見て、千牙は困ったように微笑んで歩み寄り、そして彼女をそっと抱きしめた。
「惜しいな」
ぽそりとひと言呟かれて、咲は柄の選択を間違えたかと思った。しかし続く言葉はそれを否定する。
「こんなに美しい咲を、他のものにも見せなければならないとは……。里のものはともかく、帝はなあ……」
嘆息する千牙に咲とスズは顔を見合わせてほっとしたが、帝はなあ、とはどういう意味だろう。疑問が顔に出たようだった。千牙が苦笑して問いに答える。
「私は人妖界の調停者ではあるが、人界の長ではないからな。人の采配は帝に一任の決まりだ。咲は人だから、帝が咲を気に入ったら私から取ってしまうかもしれない」
そういって咲をぎゅうぎゅうと抱き込む千牙に、咲は目を丸くしてスズと顔を見合わせた。スズがぷぷっと笑いを吹き出す。
「お……、長……。そんな子供っぽいことを言われるんですね……」
「お前は人型を取って浅いから、そのように笑うのだ。年を重ねればお前だって分かる」
笑われたことに膨れるように、千牙がスズをじとっと睨むが、スズは笑いを深めるばかりだ。
「そんなことを心配しなくても、私は千牙さんと一緒に生きていくって、決めています……よ……?」
先だっての邑でのやりとり通り、咲は千牙と共に生きていくことを希望している。千牙に助けられてから、咲は多くのものを得た。それは食事や睡眠、休息や安らぎと言った物理的なことだけではなく、気持ちを尊重されることや努力を褒められることなど、邑では得られなかったものだ。彼が咲に与えてくれた全てが、今の咲にとってはなくてはならないものだ。
そう言うと、千牙は目を細めて咲を見た。するりと背に流れる髪を撫でて、腕を解く。
「そう言ってくれることを、とても嬉しく思う」
微笑む千牙は咲をいとおしそうに見つめるが、しかし言葉の通り、満面で喜んでいるようには思えなかった。なにが違うとは言葉に出来ないが、咲に想いを告げてきたあのときの情熱のようなものが、感じられなかった。
(なにかしら……)
じわり、とあたたかかった胸の中に冷たい水が染みこんでくる。しかし千牙は咲の違和感に気付かなかったかのように咲の手を取り、部屋の外へといざなった。



