【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


「無能! なにぐずぐずしてるんだい! 洗濯は昼飯前までに終わらせなっていつも言っているだろう!」

邑の東にある山から陽が昇り、邑全体が朝の陽気に包まれた頃、咲(さき)は母である富子に鞭で打たれた。痛みに、洗ったばかりの洗濯物を落としてしまう。地面に落ちた美しい着物は妹・芙蓉の着物で、愛娘である彼女の着物を汚したことに、富子の怒りは更に増す。

「なにやってんだい! それは芙蓉が今日、帝都に着ていくはずの着物だろう! お前は楽しみにしてる芙蓉の着物を汚せる立場なのかい!?」
「すみません、お母さま」

咲が謝罪すると、また一閃、鞭が飛んだ。

「奥さまとお言い、といつも言っているだろう! 何度言っても言い間違えるお前は、本当に馬鹿で愚図で無能だね! まったく、破妖の力のないお前みたいな役に立たないお荷物を養ってやってるんだから、もうちょっと感謝の気持ちを持って働くべきなのに、畑仕事も水仕事も、牛の世話も不出来と来ては、お前に食べさせる食事が無駄に思えてくるね!」

ピシッとまた一閃。袖から出ているがりがりの腕に赤い傷跡が出来る。うっ、と思うが、声には出さず、堪える。鞭を両手で持った富子が煌びやかな紅の着物の袂を払うと、鼻息を荒く吐いた。紅はこの邑において高価な品。それを身にまとえるだけの収入を、富子たち家族は破妖の仕事の対価として、邑人から得ていた。

「ああ、全くかわいげのない。泣いて謝罪でもしたら、鞭を緩めてやらないこともないのに」

忌々し気に富子はそう言うが、物心がつくまでの間、それをやっていたら、余計に折檻が酷くなった。つまり富子にとって咲は、存在するだけで鬱陶しい存在であり、なにをどうしたって、鞭は飛ぶのだ。

「申し訳ありません、奥さま」
「ふんっ! お前の今日の食事は抜きだよ! ぐずぐずしていた罰だ!」

富子の怒声に、え、と思う。今日まで既に三日も食事を抜かれており、咲はおなかがペコペコだったのだ。今まで三日食事を抜かれることはあったが、四日はなかった。そして、昨夜の話では今日こそは食事をやると言ってくれていたのに。

「あ……、あの、奥さま……。確かに昨日は、今日こそ食事をいただけると……」

よろりと手を伸ばそうとすれば、やはりそこへ鞭が飛ぶ。

「何言ってんだい! 働かないお前が悪いんだろう!」

富子の言い分に、ぐっと黙る。

咲は今朝、きちんと掃除をする前に洗濯に着手した。しかし、たらいに水を張っていたときに、部屋が汚いとその洗濯の手を止めさせたのは富子だ。富子に怒鳴られ、家中を履いてぞうきんがけしていた間に、洗おうと思って山と積みあげていた洗濯物が地面に散らばってしまった。つまり富子が洗濯の手を止めさせなければ、咲は芙蓉の着物を洗い上げ、汚すことなく干すことが出来たのだ。

しかし、そのことを富子に言えば余計に彼女の怒りを買うだけだ。富子にとっては、たった今、言いつけ通りに洗濯が終わっていなかったことの方が、重要なのだから。
こういったことは、咲の日常で頻繁に起きる。慣れてはいるが、流石に四日間食事がないのは辛い。空腹を訴える腹が鳴り、それすらも富子はうるさそうにした。

「おまんまが食いたけりゃきちんと働きな! あたしらはきちんと働くから食事が食えるんだ。その違いを、分からないとは言わせないよ!」

腹の音にうっとうしそうに目をつり上げ、咲のみぞおちに足が飛ぶ。
食事を抜かれるのは当たり前、しかし腹の音すら邪魔になる、ときては、咲がここで富子たちの邪魔にならず生きていくのはかなり難しい。目にも邪魔にならず、音もさせずに生きて行くには、もはや死した方が早い。

だが、家の働き手として使われる身でその道を選べない咲は、結局、何度約束を反故にされ食事を抜かれても、何度腹の虫のせいで鞭を振るわれても、ここで命を繋いでいくしかなかった。
咲は鞭の痛みを堪えながら顔をうつむけ、続く富子の話を聞く体勢を作った。