【長編版】無能の少女は鬼神に愛され娶られる


「きゃっ!」

咲は驚きで千牙の袷にしがみつき、はっと我に返って、身を離した。千牙のひと蹴りで、里の屋敷や、他のあやかしたちの住まいの灯りが光の粒ほどに小さくなる。夜の空気を駆けて、咲は千牙と出会った場所に運ばれた。

「こういう狭間で、朧は生まれる」
「ハザマ?」
「そうだ。人妖(じんよう)の気がうすく交じり合うところで、両界の緩衝地帯のことだ。古き協定に人妖が調印したとき、神々が両界を繋ぐ場として設定した。両界の結界同士が隣り合っては、無用の争いが起こるだろう?」

なるほど。確かに敵対する相手と軒が触りあっていては、争いは起きやすかろう。千牙の話は続く。

「人界集落の結界と結界の間は狭間で繋がっていて、人間が結界の外の集落へ移動するのに、この緩衝地帯を伝っていく。人間の多くは、その移動に破妖師を伴っているな。用心、警戒の意味と共に、緩衝地帯でのいざこざを未然に防ぐ意味もある。破妖師のよい運用方法だ。妖界側も無用に争いを起こしたいわけではないのでな。それに、あやかしにも人間慣れしたものがいるから、人界から供給されるものを買うものも居る」

初めて聞く世界の様子に、咲はぽかんと千牙の説明を聞く。しかしそれで合点がいった。芙蓉が邑長を帝都まで護衛するというのは、千牙の話通り、この狭間で邑長があやかしに喰われないよう、破妖師である芙蓉が守る必要があったからなのだ。咲は邑の外のことはなにも知らなかったから、世界がこのようにして成り立っていることを初めて知って、驚いている。

そして、狭間と邑の結界の交わる際の接地面から、淡い光の粒が、ポコポコと浮かび上がっていた。まるで、地上から星が生まれ、天に昇っていくようだ。

「きれい……」

咲が光の浮遊に見とれて呟くと、呑気にしている暇はないぞ、と千牙が厳しい目で言った。

「これらに、名をつけてもらわねばならない。名を得た朧は、私が器を与えてこの場に顕現させる。顕現出来れば、悪鬼になることがなくなるのだが……」

名を得て、朧が顕現する。その様子を咲は、ハチやスズの人型と言う事象として実際に体験している。顕現することによって、どうなるのか、顕現できなかったら、どうなるのか、と言うことについては知識がなかったが、今の千牙の言葉でおのずと知れた。

「では、朧たち。あなたがたを、こう呼びましょう。ミノリ、ナギ、チヨ、アズサ……」

咲が光の粒ひとつひとつを指さし、名を呼んでいくと、光の粒がゆうらりと地上に降りてその場に留まり、その光の粒に千牙が手をかざすことで人型を取っていく。光を放つ透けた人型が、みるみるうちに光を手放し、質感のある人型の朧となる。こうなるともう、見た目は人間の子供だ。

「ユキ、アカツキ、ヒナ、リク……」

浮き上がろうとしていた光の粒が、どんどん地上に集まってくる。千牙がもれなくそれらに人型を与えていく。

「シロガネ、ムツミ、タイラ、ヒジリ……」

発生していた全ての朧に名をつけ終わり、千牙が器を与えきると、その場には幼い子供の成りをした朧がずらりと揃った。彼らはきらきらした目で咲を見ている。みな、生を受けて喜びを隠しきれない子供の顔をしていた。

「見事だな、咲。一気にこれだけの数の朧を顕現とは。しかも全て、彼らを慶する名だな」
「母には、素敵な名前を付けてもらいました。私は長女だったので、両親の期待のもと、破妖の力が満開に花開くようにと、『咲』と名付けられたんです。……期待に沿えなくて、申し訳ないばかりでしたが……」

だから、自分の分も朧たちには幸せになって欲しかった。朧たちが、名を得ることで良き生を生きられるならと、そう願って付けたのだ。

「おぬしのような考え方は新鮮だな。私は朧に名を与えてくれとは言ったが、名に言祝ぎを与えてくれとは言わなかった」

おかしなことを言う。名をつけるとはつまり、その相手の未来を祈ること。幸多からんと祈らないなんて、聞いたこともない。
咲がそう言うと、千牙が口端を歪めて目を伏せた。