「これ、AIでしょ」
「え?」
思わず聞き返す。
名子は俺の反応を見ても、もう引かなかった。
いつもなら、そこで言葉を飲み込んでしまうはずなのに、今日は違った。胸の奥に溜め込んでいたものを、ようやく外に出したみたいに、はっきりと続ける。
「AIに俺の絵、使ったの?」
その声は、いつも小さな声で話す名子からは想像できないほど大きかった。
教室の空気が、そこで一段冷たくなった気がした。俺は、何かまずいことを言ったのだと、そのときになってようやく薄く理解し始めていた。
「何だよ急に。俺は知らないって。友達が描いてくれた絵だって担当に伝えただけで、参考にするって言われたんだよ」
「どう見てもこれ、AIだから!」
「そうなのか? ……だからって、なんでそんなに怒るんだよ」
自分でも、言い訳みたいな言葉だと思った。
「俺は別に、名子の絵を勝手に使えって言ったわけじゃない。ただ、参考にしてくれただけで……」
そこまで言って、言葉が止まった。
名子が怒っている理由を、俺はまだ理解できていなかった。
ただ、自分の作品が評価され続けること。せっかく掴んだ場所を失わないこと。
そのことばかりを考えていた。
俺は自分を守る言葉を探していた。
ダンッ、と机が叩かれる音が響く。
業間休み。教室の中が一瞬で張りつめる。
「人の絵を勝手に……ましてやAIなんかに!」
名子が怒りをあらわにするのを見るのは、初めてだった。
いつもは小さな声で、できるだけ角が立たないように話すやつだ。大きな身体に似合わないほど気を遣って、言葉を選んで、誰かを傷つけないようにしている。そんな名子が、机を叩いてまで声を荒げている。その事実だけで、教室の空気が変わったのが分かった。
「待て、名子。落ち着け」
大きな身体を止めることができたのは、川原だった。名子の腕を押さえながら、川原も少しだけ困ったような顔をしている。怒鳴り返すでもなく、ただ必死に間に入っていた。
けれど、テラツナは俺を責めるような目で見ていた。さっきまでの軽い調子は消えていて、そこにあるのは明らかな失望だった。
「あのさ、ヤッピー。AIが悪いって言ってるわけじゃない」
川原が続ける。声は落ち着いているのに、言葉の端々にははっきりした苛立ちが混じっていた。
「便利なものだし、使うこと自体は悪くないと思う」
「じゃあ……」
思わず口を挟みかけたが、川原はそれを遮るように視線を向けた。
「でもさ」
その一言で、俺は黙るしかなかった。
「その絵を描いた名子が、どう感じるか考えなかったのか?」
「……」
言葉が出ない。出そうとしても、喉の奥で引っかかってしまう。
俺はただ、作品のためになると思っただけだった。表紙がつけば目に留まりやすくなる。目に留まれば、読まれる。読まれれば、数字が伸びる。そうやって少しずつ積み上げてきたものが、ようやく形になった気がしていた。
だから、名子の絵を使ったことを悪いとは思っていなかった。むしろ、助かったと言われる側だと思っていた。
「AIがどうとかじゃなくて、そこだろ」
川原の声は、責めるというより、呆れに近かった。
「SNSで最近よく見かけるだろ? 生成AI議論。そういう世界なのもそうだけどさ。絵を描く人たちが今、どんな気持ちで向き合ってるか、少しは考えてもいいんじゃないか」
「はあ?」
思わず、そんな声が漏れた。
「もう少し視野を広く持った方がいい」
その言葉が、やけに耳に残った。
何を分かったように言っているのか。
教室の空気が少しずつ冷えていくのを感じながら、俺は胸の奥にじわじわと湧いてくる苛立ちを押し殺せなかった。
大人ぶった言い方が、どうしようもなく腹立たしい。
こっちは何も悪いことをしていないはずだ。むしろ、作品のために最善を選んだだけなのに、どうしてそんな目で見られなければならないのか。
「もしもAIだったとして、他にもたくさんいるだろ」
自分でも、少し強い声が出たのが分かった。
言い返したところで状況が変わるわけではない。それでも、黙っている方が負けた気がしてしまった。
「うん、そうだね」
川原はすぐには否定しなかった。その落ち着いた返事が、かえって俺の神経を逆なでした。
「けど、勝手に人の絵を学習させて使うのは……俺は違うと思う。お前だって前に、絵をAIに修正させた投稿を見て、非難してたじゃないか。全く同じことをお前は間接的にやったんだ」
川原の声は、責めるというより、困ったような響きを含んでいた。
その言葉を聞いて、俺はふと、以前見たSNSの投稿を思い出した。
俺が使っているSNSで、話題になった絵描きの絵を生成AIで加工して、本人に見せるという投稿が流行ったことがある。
俺は、それを見たとき、嫌な気持ちになった。
時間をかけて描いた絵を、まるでAIで作り直したほうが上だと言わんばかりの投稿だったからだ。描いた本人の気持ちを考えれば、そんなことをしていいはずがない。そう思って、俺はその投稿を批判した。
――なのに。
今、自分が同じようなことをしている。
胸の奥が、ひやりとした。
名子の絵も、きっと同じだったのかもしれない。
そこまで考えて、俺ははっとした。けれど、すぐに別の考えが浮かんだ。
俺が勝手に使ったわけじゃない。
担当の人に友達が描いてくれた絵だと伝えただけだ。参考にすると言われたから、任せただけ。
俺がやったわけじゃない。
そう思えば、まだ自分を悪者にしなくて済んだ。
せっかく手に入れたものを、ここで否定されたくなかった。
名子は何も言わなかった。
ただ、怒りを抑えるように唇を噛みしめている。
その表情が、いつもの穏やかな顔とあまりにも違っていて、俺は一瞬だけ言葉を失った。
「何してんだお前ら。チャイム鳴るぞ」
少し早く、先生が教室へ入ってきた。
教室の入口に立った先生は、まだ何が起きているのか分かっていない様子だった。業間休みのざわつきの中で、ただ一人だけ状況から取り残されている。
「寺ノ下、またここに来てんのか。お前三年だろ」
「はーい。今帰りまーす」
テラツナは、いつもの軽い調子で返した。
その声だけは、何事もなかったみたいに明るい。けれど、俺の横を通り過ぎる瞬間、その空気は少しだけ変わった。
「もう少し、大人になれよ。俺たちもう一七歳なんだから」
先生に向けた声とは違う、低い声が耳元に落ちる。
その一言は、叱責というより、呆れと失望が混じったものだった。
テラツナはそれ以上何も言わず、そのまま教室を出ていく。
背中を見送ることしかできないまま、俺はしばらくその場に立ち尽くした。
怒りを押し込めるように、名子は唇を噛みしめながら自分の席へ戻る。
その肩はわずかに震えているようにも見えた。普段は静かで、感情を表に出さない名子が、ここまで怒るのは初めてだった。その事実が、ようやく遅れて胸に刺さる。
川原も、何か言いたそうな、それでも呆れたような表情のまま席へ戻っていった。
誰も俺に追い打ちをかけるようなことは言わなかった。けれど、その沈黙の方がよほど重い。
俺はスマホを開き、自分が投稿した小説の反応を目にした。
数字を嫌っていたはずなのに。
数字に救われた俺は、いつの間にか数字ばかりを追いかけていた。
そのことに、俺は少しずつ気づき始めていた。
「え?」
思わず聞き返す。
名子は俺の反応を見ても、もう引かなかった。
いつもなら、そこで言葉を飲み込んでしまうはずなのに、今日は違った。胸の奥に溜め込んでいたものを、ようやく外に出したみたいに、はっきりと続ける。
「AIに俺の絵、使ったの?」
その声は、いつも小さな声で話す名子からは想像できないほど大きかった。
教室の空気が、そこで一段冷たくなった気がした。俺は、何かまずいことを言ったのだと、そのときになってようやく薄く理解し始めていた。
「何だよ急に。俺は知らないって。友達が描いてくれた絵だって担当に伝えただけで、参考にするって言われたんだよ」
「どう見てもこれ、AIだから!」
「そうなのか? ……だからって、なんでそんなに怒るんだよ」
自分でも、言い訳みたいな言葉だと思った。
「俺は別に、名子の絵を勝手に使えって言ったわけじゃない。ただ、参考にしてくれただけで……」
そこまで言って、言葉が止まった。
名子が怒っている理由を、俺はまだ理解できていなかった。
ただ、自分の作品が評価され続けること。せっかく掴んだ場所を失わないこと。
そのことばかりを考えていた。
俺は自分を守る言葉を探していた。
ダンッ、と机が叩かれる音が響く。
業間休み。教室の中が一瞬で張りつめる。
「人の絵を勝手に……ましてやAIなんかに!」
名子が怒りをあらわにするのを見るのは、初めてだった。
いつもは小さな声で、できるだけ角が立たないように話すやつだ。大きな身体に似合わないほど気を遣って、言葉を選んで、誰かを傷つけないようにしている。そんな名子が、机を叩いてまで声を荒げている。その事実だけで、教室の空気が変わったのが分かった。
「待て、名子。落ち着け」
大きな身体を止めることができたのは、川原だった。名子の腕を押さえながら、川原も少しだけ困ったような顔をしている。怒鳴り返すでもなく、ただ必死に間に入っていた。
けれど、テラツナは俺を責めるような目で見ていた。さっきまでの軽い調子は消えていて、そこにあるのは明らかな失望だった。
「あのさ、ヤッピー。AIが悪いって言ってるわけじゃない」
川原が続ける。声は落ち着いているのに、言葉の端々にははっきりした苛立ちが混じっていた。
「便利なものだし、使うこと自体は悪くないと思う」
「じゃあ……」
思わず口を挟みかけたが、川原はそれを遮るように視線を向けた。
「でもさ」
その一言で、俺は黙るしかなかった。
「その絵を描いた名子が、どう感じるか考えなかったのか?」
「……」
言葉が出ない。出そうとしても、喉の奥で引っかかってしまう。
俺はただ、作品のためになると思っただけだった。表紙がつけば目に留まりやすくなる。目に留まれば、読まれる。読まれれば、数字が伸びる。そうやって少しずつ積み上げてきたものが、ようやく形になった気がしていた。
だから、名子の絵を使ったことを悪いとは思っていなかった。むしろ、助かったと言われる側だと思っていた。
「AIがどうとかじゃなくて、そこだろ」
川原の声は、責めるというより、呆れに近かった。
「SNSで最近よく見かけるだろ? 生成AI議論。そういう世界なのもそうだけどさ。絵を描く人たちが今、どんな気持ちで向き合ってるか、少しは考えてもいいんじゃないか」
「はあ?」
思わず、そんな声が漏れた。
「もう少し視野を広く持った方がいい」
その言葉が、やけに耳に残った。
何を分かったように言っているのか。
教室の空気が少しずつ冷えていくのを感じながら、俺は胸の奥にじわじわと湧いてくる苛立ちを押し殺せなかった。
大人ぶった言い方が、どうしようもなく腹立たしい。
こっちは何も悪いことをしていないはずだ。むしろ、作品のために最善を選んだだけなのに、どうしてそんな目で見られなければならないのか。
「もしもAIだったとして、他にもたくさんいるだろ」
自分でも、少し強い声が出たのが分かった。
言い返したところで状況が変わるわけではない。それでも、黙っている方が負けた気がしてしまった。
「うん、そうだね」
川原はすぐには否定しなかった。その落ち着いた返事が、かえって俺の神経を逆なでした。
「けど、勝手に人の絵を学習させて使うのは……俺は違うと思う。お前だって前に、絵をAIに修正させた投稿を見て、非難してたじゃないか。全く同じことをお前は間接的にやったんだ」
川原の声は、責めるというより、困ったような響きを含んでいた。
その言葉を聞いて、俺はふと、以前見たSNSの投稿を思い出した。
俺が使っているSNSで、話題になった絵描きの絵を生成AIで加工して、本人に見せるという投稿が流行ったことがある。
俺は、それを見たとき、嫌な気持ちになった。
時間をかけて描いた絵を、まるでAIで作り直したほうが上だと言わんばかりの投稿だったからだ。描いた本人の気持ちを考えれば、そんなことをしていいはずがない。そう思って、俺はその投稿を批判した。
――なのに。
今、自分が同じようなことをしている。
胸の奥が、ひやりとした。
名子の絵も、きっと同じだったのかもしれない。
そこまで考えて、俺ははっとした。けれど、すぐに別の考えが浮かんだ。
俺が勝手に使ったわけじゃない。
担当の人に友達が描いてくれた絵だと伝えただけだ。参考にすると言われたから、任せただけ。
俺がやったわけじゃない。
そう思えば、まだ自分を悪者にしなくて済んだ。
せっかく手に入れたものを、ここで否定されたくなかった。
名子は何も言わなかった。
ただ、怒りを抑えるように唇を噛みしめている。
その表情が、いつもの穏やかな顔とあまりにも違っていて、俺は一瞬だけ言葉を失った。
「何してんだお前ら。チャイム鳴るぞ」
少し早く、先生が教室へ入ってきた。
教室の入口に立った先生は、まだ何が起きているのか分かっていない様子だった。業間休みのざわつきの中で、ただ一人だけ状況から取り残されている。
「寺ノ下、またここに来てんのか。お前三年だろ」
「はーい。今帰りまーす」
テラツナは、いつもの軽い調子で返した。
その声だけは、何事もなかったみたいに明るい。けれど、俺の横を通り過ぎる瞬間、その空気は少しだけ変わった。
「もう少し、大人になれよ。俺たちもう一七歳なんだから」
先生に向けた声とは違う、低い声が耳元に落ちる。
その一言は、叱責というより、呆れと失望が混じったものだった。
テラツナはそれ以上何も言わず、そのまま教室を出ていく。
背中を見送ることしかできないまま、俺はしばらくその場に立ち尽くした。
怒りを押し込めるように、名子は唇を噛みしめながら自分の席へ戻る。
その肩はわずかに震えているようにも見えた。普段は静かで、感情を表に出さない名子が、ここまで怒るのは初めてだった。その事実が、ようやく遅れて胸に刺さる。
川原も、何か言いたそうな、それでも呆れたような表情のまま席へ戻っていった。
誰も俺に追い打ちをかけるようなことは言わなかった。けれど、その沈黙の方がよほど重い。
俺はスマホを開き、自分が投稿した小説の反応を目にした。
数字を嫌っていたはずなのに。
数字に救われた俺は、いつの間にか数字ばかりを追いかけていた。
そのことに、俺は少しずつ気づき始めていた。



