「おい、笹森。おいって!」
川原の声が聞こえた。
けれど、正直、一分でも惜しかった。
頭の中に浮かんだ場面が消えてしまう前に、文字に残しておきたい。少しでも早く形にしなければ、せっかく思いついた展開が指の間からこぼれ落ちてしまう気がした。
俺は適当に返事をしながら、会話を切り上げようとする。
「なに?」
「お前、最近ずっとスマホいじってるけど、何してんの?」
「小説書いてる」
「ああ、そう……って、なんでそんな急に本気出してんの?」
今まで帰宅してから、ゆっくり時間をかけて書いていた。
思いついたことを少しずつ膨らませて、何度も読み返して、納得できる形に整えてから送る。そんな書き方をしていたはずだった。 川原が疑問に思うのも当然だった。
「続き書いてるの? それともコンテストとか?」
名子も会話に入ってくる。
「ん、まあそんな感じ」
俺は画面から目を離さず、文字を打ち続けた。
会話をしている間にも、頭の中では次の一文が浮かんでは消えていく。今ここで止まれば、その流れごと失ってしまう気がした。
頭の中に浮かんだ物語を忘れないために打つ。プロットというやつだ。
思いついた場面を先に並べておけば、家に帰ってから小説に書き直せる。
それから直美さんに送って、校正してもらってから投稿する。そうやって少しでも早く形にすることが、今の俺には必要だった。
それが、最近の俺の流れだ。
一本でも多く書いて、少しでも早く投稿する。
そうすれば、数字は増えるし、ランキングも落ちない。
そう信じて俺は書くのを止められなかった。
「夏休み近いんだから、休みに入ってからやればいいだろ」
「ああ」
俺は川原の言葉に、適当な返事を返した。
けれど、視線はスマホから離さない。
あと少しで、この場面を書き終えられる。
そう思うと、指を止めることが惜しかった。少しでも早く形にして、忘れないうちに残しておきたかった。
「ヤッピー、あのサイト登録したでしょ」
不意に、テラツナが声をかけてきた。
学年が違うというのによくもまあ頻繁に現れるものだと思いながら、俺は画面を見たまま返事をする。
「……なに?」
「これでしょ? ヤッピーのハンドルネーム」
テラツナが自分のスマホをこちらへ向けた。
「ハンドルネーム変えてなかったから、すぐ分かった」
「だったら何だよ」
自分でも分かるくらい、少し不機嫌な声になった。
せっかく集中していたところを邪魔されたような気がしたのだ。指先に残っていた熱が、少しだけ冷めていく。
作品を覗き込んだ名子が、画面をじっと見つめる。
「これ、あの作品? キャラ名は同じだけど、タイトル違う」
「そう。この方がしっくりきたから変えた」
「じゃあ……俺の絵は?」
名子の声に、少しだけ胸が引っかかった。
ほんの一瞬、言葉に詰まる。けれど、深く考える前に口が動いた。
「ああ、ごめん」
俺は慌てて言葉を続ける。
「担当に頼んで、このキャラデザインを元に表紙を作ってもらったんだ。助かったよ」
「待って、ヤッピー」
テラツナの声色が変わった。
さっきまでの軽さが消え、空気が少しだけ張りつめる。
「契約したの? 高校生で?」
「学生でも大丈夫だって担当が言ってたし」
テラツナは何か言いかけたように口を開き、それから、言葉を飲み込むように閉じた。
「……確かに、あそこは怪しいサイトじゃない」
少し間を置いてから、視線を落とす。
「でも……」
「でも?」
問い返すと、テラツナは小さく息を吐いた。
「いや、何でもない」
その曖昧な言い方が、妙に引っかかった。
何をそんなに気にしているのか、俺には分からなかった。
テラツナが珍しく言葉を濁すのも、川原が黙り込むのも、どこか空気が重くなるのも、全部が少しずつ気に障った。
海外サイトだからといって、最初から疑ってかかるのは違うだろう。
知らないものを怖がって、何でもかんでも否定するような狭い見方はしたくなかった。
少なくとも俺は、そういう大人にはなりたくなかった。
そう思いながら、俺は名子へ視線を向けた。
いつもなら、少し困ったように笑って終わるはずだった。
名子はそういうやつだ。大きな身体をしているのに、声も態度も柔らかい。誰かとぶつかることを避けるようなところがある。だからこそ、今の沈黙が妙に不自然に思えた。
「ねえ」
名子が小さな声で言った。
その声は、いつもの穏やかなものだった。けれど、どこか張りつめたものが混じっている気がして、俺は一瞬だけ手を止めた。
さっきまで指を動かしていたスマホの画面には、打ちかけの文章がそのまま残っている。
視線を上げると、名子はまっすぐ俺を見ていた。
いつもなら、少し困ったように笑って、何でもないふうに話を流してしまうやつだ。
大きな身体に似合わず、声も態度もやわらかくて、誰かとぶつかることをあまり好まない。
だからこそ、今の空気が妙に引っかかった。
「俺の絵……参考にしたの?」
その問いかけには、いつもの柔らかさがなかった。
俺は少しだけ言葉に詰まった。
名子から絵を渡された日のことを思い出す。
不器用なくらい真剣に描いてくれたこと。
自分の作品のために時間を使ってくれたこと。
だからこそ、その絵が形を変えて表紙になったことも、喜んでくれると思っていた。
少なくとも、俺はそう信じていた。
「そう、担当の人が参考にしてくれたんだ」
口にしながら、自分の中にある違和感を押し込めた。
名子の絵を奪ったわけじゃない。勝手に使えと言ったわけでもない。ただ、作品に合うように形を整えてもらっただけだ。
そう考えれば、悪いことをしたわけではないはずだった。
むしろ、自分の作品が初めて誰かに届く形になった。
あの表紙を見た瞬間、胸がいっぱいになったのを覚えている。
自分の頭の中にしかなかった主人公が、ちゃんと目に見える形になっていた。
それだけで、作品が少しだけ本物になった気がした。
ランキング。
閲覧数。
増えていくコメント。
画面の向こうで数字が動くたびに、胸の奥が熱くなった。
やっと、自分にも持てるものができた気がした。
今まで何をやっても手に入らなかったものが、ようやく目の前に現れたような気がした。
だから、その瞬間の嬉しさを手放したくなかった。
けれど、名子の表情は変わらなかった。
むしろ、さっきよりも硬くなっているように見えた。
唇がわずかに結ばれ、目の奥にあったはずのやわらかさが消えていく。
何かを堪えているようにも見えたし、俺の言葉を飲み込もうとしているようにも見えた。
その顔を見て、ようやく胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
何かがおかしい。
そう思ったのに、俺はまだ、それが何なのか分かっていなかった。
川原の声が聞こえた。
けれど、正直、一分でも惜しかった。
頭の中に浮かんだ場面が消えてしまう前に、文字に残しておきたい。少しでも早く形にしなければ、せっかく思いついた展開が指の間からこぼれ落ちてしまう気がした。
俺は適当に返事をしながら、会話を切り上げようとする。
「なに?」
「お前、最近ずっとスマホいじってるけど、何してんの?」
「小説書いてる」
「ああ、そう……って、なんでそんな急に本気出してんの?」
今まで帰宅してから、ゆっくり時間をかけて書いていた。
思いついたことを少しずつ膨らませて、何度も読み返して、納得できる形に整えてから送る。そんな書き方をしていたはずだった。 川原が疑問に思うのも当然だった。
「続き書いてるの? それともコンテストとか?」
名子も会話に入ってくる。
「ん、まあそんな感じ」
俺は画面から目を離さず、文字を打ち続けた。
会話をしている間にも、頭の中では次の一文が浮かんでは消えていく。今ここで止まれば、その流れごと失ってしまう気がした。
頭の中に浮かんだ物語を忘れないために打つ。プロットというやつだ。
思いついた場面を先に並べておけば、家に帰ってから小説に書き直せる。
それから直美さんに送って、校正してもらってから投稿する。そうやって少しでも早く形にすることが、今の俺には必要だった。
それが、最近の俺の流れだ。
一本でも多く書いて、少しでも早く投稿する。
そうすれば、数字は増えるし、ランキングも落ちない。
そう信じて俺は書くのを止められなかった。
「夏休み近いんだから、休みに入ってからやればいいだろ」
「ああ」
俺は川原の言葉に、適当な返事を返した。
けれど、視線はスマホから離さない。
あと少しで、この場面を書き終えられる。
そう思うと、指を止めることが惜しかった。少しでも早く形にして、忘れないうちに残しておきたかった。
「ヤッピー、あのサイト登録したでしょ」
不意に、テラツナが声をかけてきた。
学年が違うというのによくもまあ頻繁に現れるものだと思いながら、俺は画面を見たまま返事をする。
「……なに?」
「これでしょ? ヤッピーのハンドルネーム」
テラツナが自分のスマホをこちらへ向けた。
「ハンドルネーム変えてなかったから、すぐ分かった」
「だったら何だよ」
自分でも分かるくらい、少し不機嫌な声になった。
せっかく集中していたところを邪魔されたような気がしたのだ。指先に残っていた熱が、少しだけ冷めていく。
作品を覗き込んだ名子が、画面をじっと見つめる。
「これ、あの作品? キャラ名は同じだけど、タイトル違う」
「そう。この方がしっくりきたから変えた」
「じゃあ……俺の絵は?」
名子の声に、少しだけ胸が引っかかった。
ほんの一瞬、言葉に詰まる。けれど、深く考える前に口が動いた。
「ああ、ごめん」
俺は慌てて言葉を続ける。
「担当に頼んで、このキャラデザインを元に表紙を作ってもらったんだ。助かったよ」
「待って、ヤッピー」
テラツナの声色が変わった。
さっきまでの軽さが消え、空気が少しだけ張りつめる。
「契約したの? 高校生で?」
「学生でも大丈夫だって担当が言ってたし」
テラツナは何か言いかけたように口を開き、それから、言葉を飲み込むように閉じた。
「……確かに、あそこは怪しいサイトじゃない」
少し間を置いてから、視線を落とす。
「でも……」
「でも?」
問い返すと、テラツナは小さく息を吐いた。
「いや、何でもない」
その曖昧な言い方が、妙に引っかかった。
何をそんなに気にしているのか、俺には分からなかった。
テラツナが珍しく言葉を濁すのも、川原が黙り込むのも、どこか空気が重くなるのも、全部が少しずつ気に障った。
海外サイトだからといって、最初から疑ってかかるのは違うだろう。
知らないものを怖がって、何でもかんでも否定するような狭い見方はしたくなかった。
少なくとも俺は、そういう大人にはなりたくなかった。
そう思いながら、俺は名子へ視線を向けた。
いつもなら、少し困ったように笑って終わるはずだった。
名子はそういうやつだ。大きな身体をしているのに、声も態度も柔らかい。誰かとぶつかることを避けるようなところがある。だからこそ、今の沈黙が妙に不自然に思えた。
「ねえ」
名子が小さな声で言った。
その声は、いつもの穏やかなものだった。けれど、どこか張りつめたものが混じっている気がして、俺は一瞬だけ手を止めた。
さっきまで指を動かしていたスマホの画面には、打ちかけの文章がそのまま残っている。
視線を上げると、名子はまっすぐ俺を見ていた。
いつもなら、少し困ったように笑って、何でもないふうに話を流してしまうやつだ。
大きな身体に似合わず、声も態度もやわらかくて、誰かとぶつかることをあまり好まない。
だからこそ、今の空気が妙に引っかかった。
「俺の絵……参考にしたの?」
その問いかけには、いつもの柔らかさがなかった。
俺は少しだけ言葉に詰まった。
名子から絵を渡された日のことを思い出す。
不器用なくらい真剣に描いてくれたこと。
自分の作品のために時間を使ってくれたこと。
だからこそ、その絵が形を変えて表紙になったことも、喜んでくれると思っていた。
少なくとも、俺はそう信じていた。
「そう、担当の人が参考にしてくれたんだ」
口にしながら、自分の中にある違和感を押し込めた。
名子の絵を奪ったわけじゃない。勝手に使えと言ったわけでもない。ただ、作品に合うように形を整えてもらっただけだ。
そう考えれば、悪いことをしたわけではないはずだった。
むしろ、自分の作品が初めて誰かに届く形になった。
あの表紙を見た瞬間、胸がいっぱいになったのを覚えている。
自分の頭の中にしかなかった主人公が、ちゃんと目に見える形になっていた。
それだけで、作品が少しだけ本物になった気がした。
ランキング。
閲覧数。
増えていくコメント。
画面の向こうで数字が動くたびに、胸の奥が熱くなった。
やっと、自分にも持てるものができた気がした。
今まで何をやっても手に入らなかったものが、ようやく目の前に現れたような気がした。
だから、その瞬間の嬉しさを手放したくなかった。
けれど、名子の表情は変わらなかった。
むしろ、さっきよりも硬くなっているように見えた。
唇がわずかに結ばれ、目の奥にあったはずのやわらかさが消えていく。
何かを堪えているようにも見えたし、俺の言葉を飲み込もうとしているようにも見えた。
その顔を見て、ようやく胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。
何かがおかしい。
そう思ったのに、俺はまだ、それが何なのか分かっていなかった。



