正解探しの僕らの話

『とても素晴らしい作品です。ぜひこの作品についてお話ししたいので、DMさせてもよろしいでしょうか?』

 初めてついたコメントだった。
閲覧数も評価も動いていない作品に、なぜ。
喜ぶより先に疑いが浮かぶ。
どうせ何かの勧誘だろう。そう自分に言い聞かせて、俺は一度スマホを閉じた。

 授業を終えて家に帰ると、リビングには畳まれていない洗濯物が床に山を作っていた。
共働きの我が家では、これがいつもの光景だ。食器が洗われているだけ、今日はまだ片付いている方だった。
 一つ上の兄貴は他校の野球部で、家にいることはほとんどない。
地元の高校に通う俺は、たいてい誰よりも先に家に帰る。
 誰も居ない屋内は、じっとりとした湿気を纏って暑苦しかった。

 冷凍庫を開ける。ファミリーパックの棒付チョコアイスが目に入った。
俺は、細いチョコアイスを一本取り出し、エアコンのスイッチを入れる。ソファへ腰を下ろすころには、ようやく冷たい風が火照った体をゆっくりと撫で始めた。

 冷静になって考えても、やっぱりあのコメントはおかしい。
もう一度画面を開き、短い文章を何度も読み返す。
気づけば、口にくわえていたのはアイスではなく、木の棒だけだった。

「あれ? 八尋、帰ってたの?」

 玄関の扉が開き、母さんが買い物袋を提げて帰ってきた。

「またスマホばっかり見て。そこにある自分の服くらい畳んで持ってってよ」

 言い返せば話が長くなる。それくらい分かっている。
俺はため息を飲み込み、洗濯物の山から自分の服だけを引き抜いた。

「あ、そうそう。さっき井上さんに会ってね、お孫さんが甲子園に出るんだって」

 どうでもいい話だった。
田舎では珍しくもない、近所の誰かの自慢話。
選ばれた人間の話だ。
そのたびに、「お前も頑張れ」と言われているような気がする。
母さんにそんなつもりはないのだろう。それでも、胸の奥が少しだけ息苦しくなる。

尋希(ひろき)も、その高校に行ってたら甲子園に行けたかもねぇ」

 兄貴がいない時だけ、母さんはそんな話をする。
 
 兄の尋希は昔、俺と一緒にサッカーをしていたが、中学に入って野球に転向した。
そして、甲子園を目指して名門校へ進学したのだ。
けれど、夢の舞台へ立つことはできなかった。

 すでに高校三年生。
兄貴の夏は、もう終わっている。

だから本人の前では、その話題には触れない。
分かっているからこそ、母さんは本人の前では言わないし、俺は何も言えずに聞き流すしかなかった。

 母さんは買い物袋を片づけながら、しみじみと言った。

「やっぱり頑張ってる家庭は違うわね」

 母さんの何気ない一言に、胸の奥が重くなる。まるで、「お前は頑張っていない」と言われたような気がした。
サッカーでは結果を残せず、勉強もできない。
じゃあ、俺には何が残る。
そう考えるたび、自分がここにいる意味まで分からなくなる。

「そういえば、八尋は何か一つくらい熱中できるものはないの?  サッカー、またやったら?」

 悪気なんてないのは分かっている。だからこそ、その言葉が痛かった。

「サッカーやるにしても、お金かかるじゃん」

 昔、母さんが親父に漏らしていた愚痴を、そのまま返した。少しだけ嫌味を込めて。

「本気でやるなら、それくらい母さんだって頑張るのよ!」
「いいよ、別に。本気でやる気ないし」
「でも、部活くらいは――」
「そういや俺、今日赤点補習だった」
「え!? あんた赤点取ったの!?」

 母さんが寝耳に水といわんばかりの声を上げる。テストの結果を見せていなかったのだから、無理もない。

「数学だけでね」

 できるだけ軽く聞こえるように笑ってみせる。

「もうそれはサッカーどころじゃないじゃない!」
「次頑張るって」
「当たり前でしょ!」

 母さんの声がもう一段階大きくなる前に、俺は自分の洗濯物を抱えて自室へ逃げ込んだ。
 勉強なんてできなくてもいい。スポーツができればいい。友達と仲良くしていればいい。健康に育ってくれれば、それだけでいい。
昔は、そんなことを言っていたはずなのに。
赤点という一つの数字が、それを簡単に覆してしまう。

 兄貴は勉強もそこそこできる。赤点なんて取ったことがないだろう。だから、両親に将来の心配をされることもない。
サッカーだって俺よりもうまかった。野球へ転向すると聞いたときは、エースナンバーを争う相手が一人減ると内心ほっとした。
けれど、そんな安心も、すぐに消えた。
兄貴がいなくても、俺にはエースナンバーは遠かった。

 野球の夢は終わっても、兄貴はちゃんと前へ進める人だ。
特別仲がいいわけじゃない。けれど、俺にとっては自慢の兄だ。

 俺とは違う。
俺だけが、何も持っていない。

 ベッドに寝転び、俺は初めて届いたコメントを見つめていた。
分かっている。こんなの、きっと怪しい勧誘だ。
それでも、気になってしまう。
 
 スマホで検索すると、「小説投稿サイト 勧誘」「サイト勧誘 DM」――そんな検索結果が次々と並んだ。
注意喚起の記事はいくつも出てくる。けれど、どれも書いていることが微妙に違う。
結局、何が本当なのか分からない。
俺は曖昧な情報ばかりが並ぶ画面を見つめ、小さく眉をひそめた。

 ブブッ、と手の中でスマホが震える。

誰かからの連絡かと思ったが、今日は違った。

『DMが届きました』

「……まさか」

 通知を開く。
コメントをくれた相手だった。

『急にすみません。突然のご連絡、失礼いたします。あなたの作品は、あのサイトでは埋もれてしまうのがもったいないと感じました。ぜひ、こちらのサイトでも投稿をご検討いただけませんか。サイト名は――』

 書かれていたのはサイト名だけだった。
URLは貼られていない。

『フィッシングなどと誤解されないよう、URLは貼っておりません。お手数ですが、ご自身で検索していただければ幸いです。登録されましたら、ぜひご連絡ください。実は私、このサイトの運営スタッフの一人なんです。作品を拝見して、どうしても声をかけたくなりました』

 疑われることまで計算したような、丁寧な文章だった。
 俺はもう一度、サイト名を見つめる。
そして、検索バーにその名前を打ち込んだ。