正解探しの僕らの話

 俺は昔、「サッカー少年」と呼ばれるほどサッカーにのめり込んでいた。
 中学までは、本当にサッカーしか見えていなかった。けれど、どれだけ努力を重ねても身長は伸びず、技術の差も埋まらない。気づけば周りは次々と俺を追い越していき、そのたびに敗北感だけが積み重なっていった。
 いつしか、大好きだったはずのサッカーは苦痛へと変わっていた。
 選ばれない悔しさ。背番号をもらえない悲しさ。憧れ続けたエースナンバーは、最後まで俺の背中を選ばなかった。
その番号が、俺のユニフォームに縫いつけられることは、一度もないまま。
それから俺は、逃げるようにサッカーをやめた。
背番号を背負って輝く仲間たちから、目をそらすように。
そして、いつしか数字を見るたび、胸がざわつくようになった。

 数字なんて、大嫌いだ。

背番号をもらえなかったことが、その始まりだったかもしれない。
テストの点数、順位、偏差値。
勉強だけじゃない。再生回数、フォロワー数、ランキング。
気づけば、何もかも数字で人の価値が決まる世界だと気づく。

 七月の後半、夏休み目前。
エアコンの冷気が、補習教室を満たしている中、窓の外では蝉が鳴いていた。
赤点組の生徒たちは、夏休みを人質に取られたように机に向かっている。
やる気の見えない生徒が並ぶ教室では、先生だけが黒板の前で熱弁を振るっている。

「数字があるのは、想像力を鍛えるためだ」

 大人は変だ。
人の話は聞けと言うくせに、生徒(こども)の声は聞こうとしない。
そんなことを考えながら、ぼんやりと黒板を眺めた。
教師は変わらず話を続けている。俺には、その声がどこか遠く聞こえた。

 補習中にもかかわらず、俺は机の下でスマホを光らせる。
さっきSNSに投稿した「補習だる」の反応が気になったからだ。

 コメントはゼロ。インプレッションは二桁。
フォロワーが両手で数えられる程度の俺には、いつものこと。
その後、何気なくタイムラインを開くと、フォローしている相手の投稿には何百もの「いいね」とコメントが並んでいた。

 胸の奥が、少しだけ重くなって、今度は小説投稿サイトを開く。
昨日投稿した作品も、閲覧数もブックマークも評価も動いていない。
数字は、一つも増えていなかった。
 画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
それから、スマホを閉じた。

「数字に縛られるな」「数字を気にするな」と、大人は簡単に言う。
 でも、それは数字に傷ついた人への慰めにしか聞こえなかった。

数字で評価される世界を作ったのは、そっちじゃないか。
だったら最初から、テストも順位も偏差値も、SNSのフォロワー数も、小説の評価もなくしてくれ。

 気にするなと言われても、目に入れば気になる。
本当は分かっている。嫌いなのは数字じゃない。数字に振り回される自分だ。
始めたばかりのウェブ小説も、読まれなければ数字は一つも増えない。

 結局、この世界は数字でできている。
だから、俺は自分の名前も好きになれない。
八尋は八月八日生まれだから付けられた名前だ。そして「尋」も長さを表す単位らしい。

生まれた日も、名前も、結局は数字。
漢字には画数があり、名前は画数で占われる。
人間は、思っている以上に数字が好きらしい。
いや、好きというより、数字なしでは生きられないのかもしれない。

 ピコン、と間の抜けた通知音が教室に響いた。
思わず肩が跳ねる。
……俺のスマホだ。

「おい。誰だ? 携帯は電源を切っておけ」

 その言葉に知らないふりをして、慌ててノートへ視線を落とす。
俺は先生が再び黒板を向いた隙に、机の下でそっと画面を開いた。

『あなたの作品にコメントが届きました』

「……え?」

 心臓が大きく跳ねる。
震える指で、通知を開いた。