赤点だった。
俺、笹森八尋は、返ってきた数学のテストを見て、思わず絶句した。
窓の外では蝉が耳鳴りのように鳴き続け、夏の日差しが教室に鋭く突き刺さっていた。冷房の風さえ、今日は焼け石に水だった。
高校二年生になってしばらく経つが、一年の頃よりも難しくなった授業についていけなくなっていた。黒板に並ぶ数式も、教師の説明も、頭の中を素通りしていくばかりで、気づけば答案用紙の上には見事に赤の線が勢いつけて並んでいた。
「赤点の奴は夏休み補習だからな」
数学担当の教師が、ニヤニヤしながら言う。
きっと、嘆く生徒を見るのが楽しいのだろう。そういう顔をしていた。
「えぇ~」と、教室のあちこちから、気だるそうな声が上がる。
どうやら赤点は俺だけではないらしい。
少しだけ安心したが、だからといって赤点の結果が消えるわけでもない。
テストの点数。学年順位。偏差値。
それだけじゃない。SNSのフォロワー数や再生回数、いいねの数まで。
気づけば、何もかもが数字で測られている。
数字が高ければ褒められて、低ければ見向きもされない。そんな見えない物差しで、人は簡単に価値を決められてしまう。
そんな世界の中で、俺たちはずっと生きてきた。
だからこそ、数字に縛られず、自由に生きたい。
他人が言う「数字なんて気にするな」とは少し違う。
だが、それは結局、数字を見たうえでの慰めにすぎない。
――俺が求めているのは、そんなことじゃない。
数字そのものに支配されない人生を、生きたいのだ。
業間休みのチャイムが鳴り響く中、俺は赤い丸と右上がりのバツが並ぶ答案用紙を、ぼんやりと眺めていた。
「うわっ……ひでぇ点数」
「うるせぇ! 勝手に見るな!」
背後から答案を覗き込んできたのは、同級生の川原大雅だった。
中学も同じだったが、当時はほとんど関わりがなかった。けれど高校で同じクラスになってから妙に気が合い、今では一番つるんでいる相手だ。
「俺は文系なの!」
そう言って、俺は答案をぐしゃぐしゃに丸めると、乱暴に鞄へ押し込んだ。
「お前の書いてる小説、全然伸びてねぇけどな」
グサッ、と容赦なく川原の言葉が胸に刺さる。
そう、俺は半年ほど前から、小説投稿サイトに作品を投稿している。
スポーツはそこそこ。勉強は苦手。これといって人より秀でたものもない。だから、「何か一つくらい夢中になれるものが欲しい」と思って始めたのが小説だった。
けれど、結果は散々だ。
投稿サイトでは作品が読まれた回数や評価が数字で並ぶ。
俺の作品のグラフは、ほとんど動かない。
まるで心肺停止だ。
誰にも読まれず、息をしていないみたいだった。
だから俺は、目に見える数字がますます嫌いになった。
「そいや、名子の漫画も伸びねぇし、なんなら叩かれてたな」
ふいに、川原から同級生の名前が出る。
名子晴登は美術部に所属している男子で、漫画家になる夢を抱いているやつだ。
机にかじりつくようにペンを走らせ、授業中だろうと休み時間だろうと、ひたすら原稿を描き続けている。
周りの音なんて耳に入っていないのか、その目は瞬きすら忘れているようだった。
「それに比べて……」
川原が名子から視線を移す。
その先では、一軍と呼ばれる連中が黒板の前で騒いでいた。女子を交えて、動画配信の撮影をしているらしい。
川原の視線は、その輪の中心へ向かう。
その途中、一年の冬に川原が「好みじゃないから」と振られた女子生徒の姿が目に入った。
川原は身長も高いし、顔だって悪くない。振られたと聞いたときは、正直驚いた。
「……まだ好きなのか?」
俺が聞くと、川原は苦笑いを浮かべる。
「別に。ただ、目に入っただけ」
そう言って視線を逸らしたものの、その横顔を見ていると、本当に吹っ切れているのかは分からなかった。
「それより、あっちな」
川原は気持ちを切り替えるように、改めて輪の中心へ目を向ける。
その視線の先で、ひときわ目立っていたのが寺ノ下繋だった。
一学年上だというのに、何故かここの教室に居る。
寺ノ下は、動画投稿サイトで高校生インフルエンサーとしてそこそこ有名な存在だ。活動名は「テラツナ」。
朝から「今日はダンス動画を撮る!」なんて大声で宣伝し、女子たちに囲まれて笑っている。顔も良く、人気者。本人もそれを自覚しているのか、自信満々な笑みがどうにも鼻につく。
正直、俺はあいつが苦手だ。
「本当、あいつは数字に好かれた人間だわな」
思わずそんな言葉が俺の口から漏れた。
再生回数も、フォロワーも。あいつには、数字が勝手についてくる。
俺とはまるで違う世界の人間だった。
俺たちは、本来なら交わるはずのない場所に立っている。
なのに、どうしてか、俺と川原、名子、そして寺ノ下の四人は、いつも一緒だ。
性格も、夢も、立っている場所も違う。そんな四人だというのに――。
これは、田舎町で暮らす俺たち十七歳の、ひと夏の物語。
あの夏、俺たちはそれぞれの「正解」を探していた。
俺、笹森八尋は、返ってきた数学のテストを見て、思わず絶句した。
窓の外では蝉が耳鳴りのように鳴き続け、夏の日差しが教室に鋭く突き刺さっていた。冷房の風さえ、今日は焼け石に水だった。
高校二年生になってしばらく経つが、一年の頃よりも難しくなった授業についていけなくなっていた。黒板に並ぶ数式も、教師の説明も、頭の中を素通りしていくばかりで、気づけば答案用紙の上には見事に赤の線が勢いつけて並んでいた。
「赤点の奴は夏休み補習だからな」
数学担当の教師が、ニヤニヤしながら言う。
きっと、嘆く生徒を見るのが楽しいのだろう。そういう顔をしていた。
「えぇ~」と、教室のあちこちから、気だるそうな声が上がる。
どうやら赤点は俺だけではないらしい。
少しだけ安心したが、だからといって赤点の結果が消えるわけでもない。
テストの点数。学年順位。偏差値。
それだけじゃない。SNSのフォロワー数や再生回数、いいねの数まで。
気づけば、何もかもが数字で測られている。
数字が高ければ褒められて、低ければ見向きもされない。そんな見えない物差しで、人は簡単に価値を決められてしまう。
そんな世界の中で、俺たちはずっと生きてきた。
だからこそ、数字に縛られず、自由に生きたい。
他人が言う「数字なんて気にするな」とは少し違う。
だが、それは結局、数字を見たうえでの慰めにすぎない。
――俺が求めているのは、そんなことじゃない。
数字そのものに支配されない人生を、生きたいのだ。
業間休みのチャイムが鳴り響く中、俺は赤い丸と右上がりのバツが並ぶ答案用紙を、ぼんやりと眺めていた。
「うわっ……ひでぇ点数」
「うるせぇ! 勝手に見るな!」
背後から答案を覗き込んできたのは、同級生の川原大雅だった。
中学も同じだったが、当時はほとんど関わりがなかった。けれど高校で同じクラスになってから妙に気が合い、今では一番つるんでいる相手だ。
「俺は文系なの!」
そう言って、俺は答案をぐしゃぐしゃに丸めると、乱暴に鞄へ押し込んだ。
「お前の書いてる小説、全然伸びてねぇけどな」
グサッ、と容赦なく川原の言葉が胸に刺さる。
そう、俺は半年ほど前から、小説投稿サイトに作品を投稿している。
スポーツはそこそこ。勉強は苦手。これといって人より秀でたものもない。だから、「何か一つくらい夢中になれるものが欲しい」と思って始めたのが小説だった。
けれど、結果は散々だ。
投稿サイトでは作品が読まれた回数や評価が数字で並ぶ。
俺の作品のグラフは、ほとんど動かない。
まるで心肺停止だ。
誰にも読まれず、息をしていないみたいだった。
だから俺は、目に見える数字がますます嫌いになった。
「そいや、名子の漫画も伸びねぇし、なんなら叩かれてたな」
ふいに、川原から同級生の名前が出る。
名子晴登は美術部に所属している男子で、漫画家になる夢を抱いているやつだ。
机にかじりつくようにペンを走らせ、授業中だろうと休み時間だろうと、ひたすら原稿を描き続けている。
周りの音なんて耳に入っていないのか、その目は瞬きすら忘れているようだった。
「それに比べて……」
川原が名子から視線を移す。
その先では、一軍と呼ばれる連中が黒板の前で騒いでいた。女子を交えて、動画配信の撮影をしているらしい。
川原の視線は、その輪の中心へ向かう。
その途中、一年の冬に川原が「好みじゃないから」と振られた女子生徒の姿が目に入った。
川原は身長も高いし、顔だって悪くない。振られたと聞いたときは、正直驚いた。
「……まだ好きなのか?」
俺が聞くと、川原は苦笑いを浮かべる。
「別に。ただ、目に入っただけ」
そう言って視線を逸らしたものの、その横顔を見ていると、本当に吹っ切れているのかは分からなかった。
「それより、あっちな」
川原は気持ちを切り替えるように、改めて輪の中心へ目を向ける。
その視線の先で、ひときわ目立っていたのが寺ノ下繋だった。
一学年上だというのに、何故かここの教室に居る。
寺ノ下は、動画投稿サイトで高校生インフルエンサーとしてそこそこ有名な存在だ。活動名は「テラツナ」。
朝から「今日はダンス動画を撮る!」なんて大声で宣伝し、女子たちに囲まれて笑っている。顔も良く、人気者。本人もそれを自覚しているのか、自信満々な笑みがどうにも鼻につく。
正直、俺はあいつが苦手だ。
「本当、あいつは数字に好かれた人間だわな」
思わずそんな言葉が俺の口から漏れた。
再生回数も、フォロワーも。あいつには、数字が勝手についてくる。
俺とはまるで違う世界の人間だった。
俺たちは、本来なら交わるはずのない場所に立っている。
なのに、どうしてか、俺と川原、名子、そして寺ノ下の四人は、いつも一緒だ。
性格も、夢も、立っている場所も違う。そんな四人だというのに――。
これは、田舎町で暮らす俺たち十七歳の、ひと夏の物語。
あの夏、俺たちはそれぞれの「正解」を探していた。



