──
「ふぁー、いい匂い」
畳の上に敷かれた布団から漂ってくる干したての香りで深呼吸しながら、大きく伸びをした。同時に爽やかな入浴剤の香りが身体から漂ってきて、それもまた心地良い。
やっぱり先輩は優しくて、一番風呂を俺に譲ってくれたけど、「明日は先輩が先に入ってくださいね」なんて何気ないやり取りが出来たりして嬉しかった。
それにしても……今日一日だけで色んな事があったな。新幹線に乗ってお弁当を食べて、それから初めての景色と先輩のおばあちゃん。小学生の頃だったら、絵日記の宿題が今日だけでいっぱいになりそう。
大あくびをして目を閉じかけた時、さっきまで静かだった廊下から、どすんっと聞き慣れてきた足音が聞こえた。
先輩トイレかな?
いや、トイレは反対側だ。
こんな時間にどこ行くんだ?
布団から出てそっと部屋の扉を開けると、真っ暗な廊下の先の縁側で月明かりに照らされながらあぐらをかく大きな背中が見えた。
俺の悪戯心に火がつく。静かな廊下を足音を立てないように歩くのは思ってたより大変で、所々ミシッと床を踏む音が響いた。気づかれないまま、なんとか大きな背中の目の前まで来て足を止めた。
先輩、驚くかな。
どうやって驚かそう。夜も遅いし、大声はまずい。
静かに息を吸って、大きな背中を小さくトントン叩いた。
一瞬だけ肩がピクっと跳ねたけど、そんなに驚いた様子もないまま、先輩はゆっくり振り返った。
「悪い、起こしたか」
「あ、いえ、先輩びっくりしました?」
「まあ少しは」
ずるい、ずるすぎる。同じ男なのに、どうしてこうも違うんだろう。同じ状況で逆だったら俺はきっと叫んでた。やっぱり……先輩は怖いもんなしなのかな。
「先輩まだ起きてたんですね」
隣に腰を下ろすと、「風、気持ちいいだろ」って言って遠くを見つめる先輩は、なんだかいつもより大人びて見える。
「飲むか」って差し出された飲みかけの麦茶は、すごく冷たくて火照った身体に気持ちよかった。
「じいちゃんとよくここで星見てた」
「おじいさんと?」
「ああ、柔道教わってた」
……なんか先輩が自分の事話してくれるって初めて、かもしれない。
「おじいさんも柔道やってたんだ」
「じいちゃんは警察官だった」
そっか、だから先輩も強いのか。
「先輩の強さはおじいさん譲りなんですね」
「そうかもな」って小さく笑う先輩の横顔は、やっぱりいつもより大人びて見えて……なんだろう、なんとなく見入ってしまう。
遠くの空を眺める先輩の横顔をしばらく見つめていたら、俺の視線に気づいた先輩は、「ん?」って言ってから口を開いた。
「江花は、なんで好きなんだ?」
「え?」
「ゴリラ」
俺がゴリラを好きな理由。
今まで、ちゃんと考えたことなかったかも。
「んー、きっと憧れです」
「憧れってゴリラにか?」
……そうなんだと思う。俺は小さい頃から、運動音痴だしビビりだし、強そうなゴリラにずっと憧れてた。
「俺、弱っぺだから……強そうなゴリラが憧れだったんです」
「そうか」って小さく頷く先輩。
ゴツゴツした大きな手。
堂々とした背中。
俺には無いものをたくさん持っている先輩。
「強くて大きくて、いつも堂々としてる先輩も、俺の憧れです」
なんて、気づいたら口にしてた。
先輩は一瞬黙ったあと、「江花は、弱くないぞ」って小さく笑って続けた。
「部員いないのに続けてるし、レポートもあれだけ調べたんだろ」
「それは……」
先輩のレポートが嬉しくて、練習の役に立てたらいいなって思ったから。
「そういうの、俺には出来ない」
胸の奥がチクンってくすぐったい。
弱くないなんて、初めて言われた。
しかも、こんなに強い先輩に。
「明日、寝坊すんなよ」
「し、しません!」
「んじゃ、寝るぞ」
「おやすみなさい」
なんてやり取りをして、布団に入ったらたぶん、一瞬で眠りに落ちていた。
「ふぁー、いい匂い」
畳の上に敷かれた布団から漂ってくる干したての香りで深呼吸しながら、大きく伸びをした。同時に爽やかな入浴剤の香りが身体から漂ってきて、それもまた心地良い。
やっぱり先輩は優しくて、一番風呂を俺に譲ってくれたけど、「明日は先輩が先に入ってくださいね」なんて何気ないやり取りが出来たりして嬉しかった。
それにしても……今日一日だけで色んな事があったな。新幹線に乗ってお弁当を食べて、それから初めての景色と先輩のおばあちゃん。小学生の頃だったら、絵日記の宿題が今日だけでいっぱいになりそう。
大あくびをして目を閉じかけた時、さっきまで静かだった廊下から、どすんっと聞き慣れてきた足音が聞こえた。
先輩トイレかな?
いや、トイレは反対側だ。
こんな時間にどこ行くんだ?
布団から出てそっと部屋の扉を開けると、真っ暗な廊下の先の縁側で月明かりに照らされながらあぐらをかく大きな背中が見えた。
俺の悪戯心に火がつく。静かな廊下を足音を立てないように歩くのは思ってたより大変で、所々ミシッと床を踏む音が響いた。気づかれないまま、なんとか大きな背中の目の前まで来て足を止めた。
先輩、驚くかな。
どうやって驚かそう。夜も遅いし、大声はまずい。
静かに息を吸って、大きな背中を小さくトントン叩いた。
一瞬だけ肩がピクっと跳ねたけど、そんなに驚いた様子もないまま、先輩はゆっくり振り返った。
「悪い、起こしたか」
「あ、いえ、先輩びっくりしました?」
「まあ少しは」
ずるい、ずるすぎる。同じ男なのに、どうしてこうも違うんだろう。同じ状況で逆だったら俺はきっと叫んでた。やっぱり……先輩は怖いもんなしなのかな。
「先輩まだ起きてたんですね」
隣に腰を下ろすと、「風、気持ちいいだろ」って言って遠くを見つめる先輩は、なんだかいつもより大人びて見える。
「飲むか」って差し出された飲みかけの麦茶は、すごく冷たくて火照った身体に気持ちよかった。
「じいちゃんとよくここで星見てた」
「おじいさんと?」
「ああ、柔道教わってた」
……なんか先輩が自分の事話してくれるって初めて、かもしれない。
「おじいさんも柔道やってたんだ」
「じいちゃんは警察官だった」
そっか、だから先輩も強いのか。
「先輩の強さはおじいさん譲りなんですね」
「そうかもな」って小さく笑う先輩の横顔は、やっぱりいつもより大人びて見えて……なんだろう、なんとなく見入ってしまう。
遠くの空を眺める先輩の横顔をしばらく見つめていたら、俺の視線に気づいた先輩は、「ん?」って言ってから口を開いた。
「江花は、なんで好きなんだ?」
「え?」
「ゴリラ」
俺がゴリラを好きな理由。
今まで、ちゃんと考えたことなかったかも。
「んー、きっと憧れです」
「憧れってゴリラにか?」
……そうなんだと思う。俺は小さい頃から、運動音痴だしビビりだし、強そうなゴリラにずっと憧れてた。
「俺、弱っぺだから……強そうなゴリラが憧れだったんです」
「そうか」って小さく頷く先輩。
ゴツゴツした大きな手。
堂々とした背中。
俺には無いものをたくさん持っている先輩。
「強くて大きくて、いつも堂々としてる先輩も、俺の憧れです」
なんて、気づいたら口にしてた。
先輩は一瞬黙ったあと、「江花は、弱くないぞ」って小さく笑って続けた。
「部員いないのに続けてるし、レポートもあれだけ調べたんだろ」
「それは……」
先輩のレポートが嬉しくて、練習の役に立てたらいいなって思ったから。
「そういうの、俺には出来ない」
胸の奥がチクンってくすぐったい。
弱くないなんて、初めて言われた。
しかも、こんなに強い先輩に。
「明日、寝坊すんなよ」
「し、しません!」
「んじゃ、寝るぞ」
「おやすみなさい」
なんてやり取りをして、布団に入ったらたぶん、一瞬で眠りに落ちていた。



