先輩と過ごした四泊五日

──

三年生の教室に着いた頃にはレポート用紙を持つ手が少し汗ばんでいた。俺の緊張を知る由もなく、誠也は教室の中を覗き込みながら声を上げる。

「黒沼キャプテン、いますかー?」

その声に教室の中にいる人達の視線が一気に廊下に向けられて、「黒沼ー、後輩呼んでるぞ」と先輩を呼ぶ声が響く。

直後、教室の奥からのそり、と大きな影が立ち上がってこちらに向かってゆっくり歩いてくる。
……でかい、やっぱり黒沼先輩はでかい。

俺と誠也の前まで来て足を止めると、「なんだ?」とドスの効いた声が響いた。

緊張が一気に押し寄せてきて、半ば強引にレポート用紙を押し付けた。

「あ、えっと、これ……!」

受け取った先輩は目を丸くしている。

「これを俺に?」

「柔道に活かせそうな事とか、筋肉に良い食事とか、その、俺の知ってることをまとめたっていうか……」

もう、何が言いたいんだ俺は。
……逃げたい。

黙ってパラパラとページをめくったあと、「ありがとう。……んじゃ」って言って教室に戻ろうとする先輩を呼び止めたのは誠也。

「あっ、キャプテン!」

「なんだ?」

再びこちらに向き直る先輩は、やっぱりでかい。

「夏休みっすけど、今年もばあちゃん家行くんすか?」

「ああ。行くけど、なんだ?」

「いや、予定確認っす」

不思議そうに眉をひそめる先輩に、誠也はヘラっと笑う。先輩は「そうか」とだけ言って教室へ戻って行った。

「誠也、なんであんなこと聞いたんだよ」

「いや、別に〜」なんて言いながらニヤニヤしている誠也は、企みを誤魔化すように続けた。

「キャプテンすっげー喜んでたな」

「え?」

「小鳥のレポートだよ」

あれは、喜んでたのか?
全力で喜んでくれる事を期待していなかったと言えば嘘になる。でも、先輩はオーバーにリアクションをするようなタイプには見えないし。

だとしても喜んでくれたんだとしたら、もう少しこう……ほら、夢見る少年のような笑顔は見た事あったし。

「そう、かな?」

「あれはかなり喜んでる。キャプテン、ああ見えて照れ屋なんだぜ」

俺から見るといつも、どすんって感じで、堂々としてるし表情もあんまり変えない。そんなイメージしかないけど。

「先輩が、照れ屋?」

「ああ、かなり。いつも照れると「んじゃ」って逃げる」

「逃げるって……」

「さっきだって、そうだったろ」

確かに、先輩はいつもすぐに立ち去る。
誠也の言葉が本当なら、あれはいつも照れてたってこと?……だとしたら、俺のレポート、本当に喜んでくれたのかもしれない。

───

「江花」

放課後、下駄箱で靴を履き替えていた時、頭上にドスの効いた声が響いた。

顔を上げるとすぐ目の前に先輩がいて、フリーズした俺は、「うわっ!?」と思わず飛び上がる。

「悪い、驚かせたか」

「あ、いえ!ちょっとびっくりしただけです」

「……さっきのレポート、助かる」

レポート、読んでくれたんだ。
ってことは、もしかして、わざわざお礼を言いに来てくれたとか?
先輩は道着姿で、額にはうっすら汗が浮かんでいる。

「練習に役立ててもらえたら嬉しいです」

「助かる。たぶん、かなり」

先輩は少し視線を逸らすと、「それで……」と、なにか考えてるみたいに言葉を詰まらせながら続けた。

「俺のばあちゃん家のすぐ近く、ゴリラいるんだ」

「え?」

「夏休み、四泊くらい行く」

「は、はい」

「暇なら来るか?」

「…………え?」

いや、待て待て待て。
俺が?先輩のおばあさんの家に?

「誠也が江花はきっと夏休み暇してるって」

……誠也。
あいつ、やっぱり企んでたな。
暇なのは本当なんだけど。

「でも、俺が行ったらご家族に迷惑じゃ……」

「両親はいかない。ばあちゃん一人だから、俺一人で行くより喜ぶ」

ゴリラは確かに見たい。
でも、それだけじゃない。

レポートを読んでくれて、お礼を言いに来てくれた。それに、こんなふうに誘ってくれるなんて思ってもいなかった。

先輩のことをもっと知りたい。

「その、迷惑じゃないなら……行きたいです」

「そうか。遠いし田舎だけどそこそこ楽しめると思うぞ」

「は、はいっ!!」

──夏休みはもうすぐだ。
待ち遠しいなんて思ったのは、久しぶりだった。