下級女官リリルの片思いと奔走


次の二日間、エリウスは朝からウィッグをつけ、メイクをして、窓辺の椅子でじっと外を眺めていた。
庭では兵士たちが訓練をしている。あそこに行ってみたいとエリウスは何度もそう思った。

「エリウス様、お茶をどうぞ」
リリルが差し出すお茶を飲み、また窓の外を見る。

廊下に足音が響くたび、エリウスの背筋が伸びた。
でも、訪れたのは侍女や掃除係の使用人で、レオナルド王ではなかった。

二日目の午後、エリウスはベッドに寝転がり、天井を見つめていた。

「退屈だね、リリル」
「そうですね。でも、セシリア様が来るまでの辛抱ですよ」

けれど、いつまもたっても、王は姿を見せなかった。
ほっとしたものの、いつ来るかと構えているのは、なかなかに疲れるものだ。

リリルはドレスを直す仕事があるのでまだ気が紛れたが、エリウスは何もすることがなく、ベッドで過ごす日々にすっかり辟易していた。
窓から庭を見ては、外に出て思いきり歩き回りたい、といった顔をしている。

「エリウス様、もう少しですよ。そろそろセシリア様がお着きになるはずですから」

三日目の朝、 薄明かりが宮殿に静かに差し込む頃、部屋に伝言が届けられた。

リリルが急いでエリウスを起こした。
「エリウス様、起きてください!」

「姉上が到着したの?」
エリウスは目をこすりながら、うれしそうに身を起こした。

「いいえ、そうではなくて」
リリルは伝言の紙を見せた。

「レオナルド陛下から、朝食をともにしたいとのご連絡です」
「えっ……」
エリウスの顔がみるみる青ざめていく。

「姉上が到着するまで仮病で通して、ずっとベッドで過ごすはずだったのに」
「その計画でしたが、レオナルド陛下はとにかく強引なお方なのです。私、断ってみます」

「いや、いいよ」
エリウスはベッドから飛び降りた。
「僕、寝てばかりいるのには飽きてしまったから」

「そうですよね。これでは、食事付きの高級牢屋にいるようなものですから」
「うん。でも、王との朝食、どうすればいい?」

「顔はできるだけ髪で隠して、下を向いてください。会話は最小限で。長いセンテンスは私が話します。私はエリウス様の口になります」

「わかった」
「では、急ぎましょう」

リリルは手際よくドレスを着せ、ウィッグを被らせ、メイクを施した。 鏡の中のエリウスは、今日も見事に「セシリア」だった。

「リリルもいてくれると安心するよ」

「セシリア様にそう命じられていますので、どこにでもお供します」
「よかった」
エリウスがほっと息を吐いた。

*

朝食の間に入ると、レオナルド国王はすでに席に着いていた。 豪華なシャンデリアが輝き、金箔の施された天井が光を反射している。 銀製の食器、美しい陶器の皿には色鮮やかな料理が並んでいた。

その威厳に満ちた姿に圧倒され、エリウスは思わず視線を落とした。

「おはよう、セシリア姫。よく眠られましたか?」

「はい……」
エリウスが小さな声で答えた。

リリルがすぐに言葉を継いだ。
「セシリア様は、旅のお疲れというより、お風邪が原因だとわかりました。休養を取られたので、だいぶ良くなられましたが、まだ完全には回復されておりません」

「そうですか」
レオナルド王は優しく微笑んだ。
「では、無理はなさらないように。今日は予定を組んでいましたが、すべてキャンセルしましょう」
「ご理解ありがとうございます」
リリルは礼を述べながら、噂とは違い、この国王は心温かい方なのかもしれないと思った。

レオナルド王は柔らかい眼差しをエリウスへ向けた。
エリウスが椅子に座ると、リリルはその背後に控えた。 湯気を立てるスープ、焼きたてのパン、色とりどりの果物が並んでいる。

レオナルド王がグラスを手に取り、問いかけた。
「セシリア姫、ワインはいかがですか?」

「あ……」
エリウスが戸惑った。本物のセシリアはワイン好きだが、彼自身はアルコールに弱い。
リリルがすぐに口を挟んだ。

「申し訳ございません。セシリア様はまだ体調が完璧ではないので、今日はお水だけで」
「そうですか。では、お水を」
侍女が動き、リリルは胸を撫で下ろした。

食事が始まると、レオナルド王が穏やかに問いかけてきた。
「セシリア姫は、エルナリス国ではどのようにお過ごしでしたか?」
「……」

リリルが代わりに答える。
「読書や刺繍を好んでおられました」

「そうですか。では、こちらの図書室もお気に召すでしょう」
レオナルド王の微笑みに、エリウスは小さく頷いた。
見られていると思うと緊張で手が震え、ガチャン。 ナイフが床に落ち、大きな音を立てた。

「申し訳ございません。セシリア様はまだお疲れのようで」
「いえ、そんなこと気にする必要はありませんよ」
レオナルド王は優しく言った。 だが、その目が一瞬だけ鋭くなったのを、リリルは見逃さなかった。

まさか……気づかれた? いや、そんなはずはない。

「セシリア姫」
レオナルド王が静かに言った。
「あなたは剣術の達人だと聞いています」
エリウスの手が止まった。

「は、はい……」
「では、いつか手合わせをお願いできますか?」
「え……」
またもやエリウスは青ざめた。

リリルは慌てて口を挟んだ。
「申し訳ございません。それはセシリア様が完全に回復されてから、ということで」

「もちろんです」
レオナルド王が微笑む。

リリルは冷や汗をかいた。 剣術の手合わせなんて、エリウス様にできるわけがない。 セシリア様、早く来てください。

*

「では、結婚式の日程のことですが」
レオナルド王が話題を変えた。
「セシリア姫が回復されてから、ゆっくりと決めましょう。私は大勢の客を呼んでの式は考えていません」

「そうなのですか?」
「結婚は他人に見せるためのものではありません。二人の結びつきですから」
「はい、その通りです」
リリルが答え、エリウスも静かに頷いた。

「では、この後は」
レオナルド王が窓の外を見た。
「庭園の散策などいかがでしょう? セシリア姫は庭がお好きだと聞いています」

「それはよい考えです」
とリリルはにこやかに答えた。
エリウス様と二人で庭園を散歩できるなんて、これって、初デートみたい。

「では、私が案内しましょう」
レオナルド王が立ち上がった。

えっ。
リリルの笑顔が固まった。

「陛下がご一緒に?お忙しいのでは……」

「忙しいのですが、姫のために時間を取るのは当然です」

「大丈夫でございます。陛下はお仕事に専念されて、散歩はこの私にお任せください」

「いや」
レオナルド王は穏やかな表情のまま、はっきり断った。

「ここは私の庭です。私の王妃となる方は、この私が案内します」

リリルはがっくり肩を落とし、ひとときのぬか喜びがいかに空しいものかを噛みしめた。
「では、よろしくお願いします」

エリウスが不安げにリリルを見ている。
リリルは小さく頷いた。
大丈夫です。私もついていきますから。

こうしてエリウス、いや、セシリアは、レオナルド王とともに庭園へ向かうことになった。
レオナルド王の真意は何なのだろうか。
庭園で何が待ち受けているのだろうか。
しかし何があっても、王子を守るためなら、リリルはどんな危険だって恐れない。