下級女官リリルの片思いと奔走



夕食が部屋に運ばれてきたが、エリウスはほとんど手をつけなかった。

「エリウス様、少しでも食べてください」

「……食欲がないんだ」
エリウスはぐったりとして、ベッドに横になった。

「体調が悪いふりをしているうちに、本当に悪くなりそうだよ」

リリルは、心配そうにエリウスを見つめた。
「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だけど」
エリウスが、弱々しく微笑んだ。

「リリル、今夜はもう休んで。君も疲れただろう?」

「でも」

「リリルが倒れたら、困るから」

リリルはしばらくエリウスを見つめていたが、やがて頷いた。
「わかりました。でも、何かあったら、すぐに呼んでくださいね」

「ありがとう、リリル」

リリルは部屋の隅に用意された小さなベッドに横になった。
お付き用の個室は別にあるのだが、遠く離れているので、リリルは彼の部屋に簡易ベッドを用意してもらったのだ。

蝋燭を消すと、部屋が暗闇に包まれた。
リリルは目を閉じて眠ろうとした。
でも、眠れない、と思いながら、すっかり寝ていたらしい。

どれくらい時間が経ったのだろうか。 コツ、コツ、コツ。 廊下から、足音が聞こえてきた。

その足音は、この部屋の前で止まった。
そして、コン、コン。
誰かが、扉をノックしている。

こんな夜中に、誰?
まさか。
リリルは跳ね起きて、扉のところまで行った。

「どなたですか?」
リリルが、怯えた声で尋ねた。

返事はない。

*

扉がゆっくりと開いた。
暗闇の中から現れたのは、あのレオナルド・フィリス国王だった。

片手に蝋燭を持ち、もう片方の手には何か小さな瓶を持っている。

「こんばんは」
低く、静かな声である。

リリルは、思わず固まった。
「陛下」

「セシリア姫は、もうお休みですか?」
レオナルド王が、ベッドの方を見たから、リリルは慌ててベッドと王の間に立った。

「はい。もうお休みになられました」

「そうか」
レオナルド王は少し困ったような表情をした。

「実は、姫が体調を崩されたと聞いて、薬を持ってきたのだが」
王が手に持った小瓶を見せた。
「この薬は、旅の疲れによく効くのだ」

「あ、ありがとうございます。では、私がお預かりして、あとでお渡しします」
リリルが手を伸ばすと、レオナルド王は首を振った。

「いやいや、直接、姫に渡したい」
そう言って、王はベッドに近づいてきた。

リリルは焦った。エリウスはメイクを落とし、ウィッグを外して寝ているのだから、もし、顔を見られたら、まずい。

「お待ちください!」
リリルが、レオナルド王の前に立ちはだかった。

「レディがノーメイクの顔を、陛下にお見せするわけにはいきません」

「そういうものなのか。こちらは構わないけれど」

「はい。レディとはそういうものです」
リリルが必死に食い下がった。

レオナルド王は、しばらく考えていたが、やがて頷いた。
「わかった。では、顔は見ないことにしよう」

そう言って、王はベッドに近づいた。
エリウスは掛け布団にくるまって、目だけを出していた。
レオナルド王が、ベッドの脇に膝をついた。そして、そっと手を伸ばし、掛け布団を少しだけめくった。

「失礼」
王の手が、エリウスの額に触れた。

レオナルド王とエリウスの目が、合った。
王はじっとエリウスを見つめている。
何かを探るような、深い眼差し。
エリウスは蔦に巻かれた小鳥のように、身じろぎもできずにいた。

「熱はないようだな」
レオナルド王が口を開いた。「長旅で疲れたのだろう。今夜はゆっくり休むといい」

「はい」
エリウスが、小さく頷いた。

レオナルド王は、薬の瓶をサイドテーブルに置いた。
「これを飲めば、楽になるでしょう」
王は軽やかに立ち上がった。

「おやすみなさい、セシリア姫」
王は軽く一礼して、部屋を出ていった。

扉が閉まった。

ふうっ。
リリルはほっとして、その場に座り込んだ。

エリウスが、おそるおそる布団から顔を出した。

「大丈夫でしたか、エリウス様」

「うん。なんとか」
エリウスの声が、上ずっている。

「でも、リリル」

「はい」

「レオナルド王は、気づいていたかもしれないよ」

「どうして、そう思うのですか」

「あの目は、何かを疑っているような目だった」
エリウスが、不安そうに呟いた。

「……大丈夫です。きっと、大丈夫です。もし気づいていたら、その場で追及されているはずですから」

「そうだよね」
でも、リリルの心の奥では、不安が膨らんでいた。 レオナルド王の、あの鋭い眼差し。本当は、気づいているのではないだろうか。

窓の外では、満天の星が輝いていた。
「セシリア様、早く来てください」
リリルは星に向かって祈るのだった。