エリウスとリリルは、父王が滞在している迎賓館《げいひんかん》へと向かった。
夕陽が差し込む回廊を歩く彼らの足音が、静かな空間に規則正しく響いた。
厚い石壁にはレオナルド王と関係のある人々の肖像画が並び、その厳かな視線がまるでふたりを見つめているようだった。
「この中に、レオナルド王の父親や兄弟はいらっしゃるのかしら。孤高の王様だと聞いていたけれど、みなさま、忠臣なのかしら」
「本当だね。僕は彼の家族のことなど、何ひとつ知らない。でも……」
でも?
リリルは次の言葉を待ったが、エリウスはふっと笑って首を振り会話を終わりにした。
*
迎賓館の客間に入ると、そこにはセシリアが大きな椅子に寄りかかっていた。けれど、その表情は険しく、明らかに不機嫌な様子だった。
「エリウス、あなたは公衆の面前で、王妃の私に恥をかかせたわね。あなたは儀礼というものを知っているはず。あれは許される行為ではないわ」
セシリアの声は冷たく張りつめ、瞬時に部屋の空気を凍らせた。
「僕が断わるべきではなかったということですか」
「王家の子女なら、大衆の前でああいった態度を取るべきではないということは理解しているはず。もしかして、庶民の誰かの影響を受けて、我らの常識まで忘れてしまったのかしら?」
エリウスはひと呼吸置き、穏やかな口調で答えた。
「僕が断ったのは、最初から姉上の心を読めていたからですよ」
その目には、強い光が宿っていた。
「姉上は僕が断ることがない。試合にも負けてくれると思っていた。違いますか?」
セシリアの視線がわずかに逸れた。
「正直、それはあったかもしれないわ。あなたはこれまで一度だって私の願いを断ったことがなかったし、恥をかかせたこともなかったもの」
「試合に勝ち、僕にリリルとの結婚を撤回させるつもりだったでしょう?」
エリウスの声は穏やかで、決して姉を責めるようなものではなかった。
セシリアは一瞬言葉を失い、そして短く息をついた。
「それは、あなたのためを思ってのことよ。あなたは誰より大切な弟だもの。本当に幸せになってほしいから」
「いいえ、それは違います。それは姉上自身の支配欲のためで、僕の幸せを思ってなどいません」
エリウスの静かな声が、部屋の空気を張り詰めさせた。
「あなたも言うようになったものだわ。王族としての気品が、すっかり失われてしまったこと」
その時、厚い扉がゆっくりと開き、父王が姿を現した。
その風貌には、確かに年齢が刻まれているが、威厳は少しも失われてはいない。
「エリウス、これはどういう集まりかね?」
王は広間を見渡しながら尋ねた。
エリウスはリリルの背中にそっと手を添えた。
「父上、こちらが僕の妻、リリルです」
その言葉に王の表情が一瞬硬くなったが、すぐに和らいだ微笑みを浮かべた。
「結婚、おめでとう。あのエリウスがこんな立派な剣士になったのかと思ったら、結婚していたのか。さて、リリルはどこの出身かね?」
「はい。私はエルナリス国の出身です」
リリルは緊張した声で答えた。
「ご両親は何をされているのか?」
リリルはち少し息を飲んだ後、落ち着いた声で応じた。
「私は孤児ですので、両親のことはわかりません」
その言葉に、国王の白くて太い眉がわずかに動いた。
「孤児なのか? どうしてそのようなことに?」
「戦争で村が全滅した、と聞いています」
リリルの言葉に、王の瞳が深い陰影を帯びた。
「それは、国の責任だ」
王は低い声で言い、深く頭を垂れた。
「リリルよ、一人で生き抜くのはさぞ辛かっただろう。本当に申し訳ない」
その言葉にリリルは驚いて頭を下げた。
「ありがとうございます」
王がリリルに柔らかな視線を向けた。
「これからはそういう孤児を出してはならない。そのために、エリウスよ、力を貸してはくれないか」
「父上、僕たちはしばらく、旅に出ようと計画しています。もっと広く世界を見て学びたいのです」
「そうか。若者が世を知るのは良いことだ。だが、帰ってきた際には、その知識と経験を活かして、ぜひエルナリス国を助けてほしい」
「僕に政治のことができるかどうかはわかりません。でも、いつかはわかりませんが、エルナリス国には帰ります。僕たちの愛する祖国ですから」
エリウスがリリルのほうを向いた。
「リリルはそれでいいかい」
「はい。私も旅が終わったら、祖国に帰りたいです。」
「では、旅が終わったら、リリルとエルナリスに必ず帰ります。父上は、それまで、どうぞお元気でいてください」
父王はその言葉を聞き、深くうなずいた。
「それでよい。ふたりの意思を尊重しよう」
セシリアが小さくため息をつきながら口を開いた。
「エリウス、まったく。あなたのその頑固さには驚かされるわ」
「それは姉上譲りですよ」
エリウスは微笑みながら返した。
「私のどこがそんなに頑固だというの?」
「姉上は会いたい人がいるときには、どんな奇策を使ってでも会ったではないですか」
セシリアはその言葉に目を細め、過去の思い出を懐かしむように微笑んだ。



