下級女官リリルの片思いと奔走


第一回アストリウス国剣術大会の最終日。
午後の陽光が会場に降り注ぎ、荘厳な静けさの中に、張り詰めた緊張感が漂っていた。

今、観客の視線は一点に注がれていた。
王族や貴族に加え、遠方から集まった武芸者たちが固唾を呑んで見守る中、特別な演武が予定されていたのだ。

若き剣士たちのために、熟練の師範二名による模範演武が披露された後、最後に登場したのはサラナント国立道場の名誉を一身に背負う剣士、ゼリアンことエリウスだった。

彼が会場に足を踏み入れた瞬間、空気は一変した。
剣に手をかける、そのただ一つの所作で、人々の騒めきは嘘のように消え去った。

エリウスの演武はもはや武術という枠を超え、一つの芸術作品のようであった。

研ぎ澄まされた力強さと、流れるようなしなやかさを併せ持つ剣の軌跡は、見る者の魂を揺さぶった。それは剣に生きる者の精神、相手への敬意、そして武の礼儀作法そのものを体現していた。

この青年剣士の一挙手一投足は、まるで一篇の叙情詩を紡ぐかのように美しく、人々は息を潜め、瞳を輝かせながらその姿に見入っていた。

演武が終わると、会場全体は惜しみない感嘆の拍手に包まれた。国王を始め、人々が一斉に立ち上がり、拍手を送った。

続いて行われたのは、セシリア王妃と今大会の優勝者による親善試合だった。
深紅の剣術着を身にまとい、気高く凛とした佇まいで王妃が場に立った。その自信と威厳が、周囲を圧倒した。

それに対する若き優勝者は、この名誉ある対戦に緊張の色を隠せない。そして、わずか三分にも満たない時間で、あっけなく王妃の前に屈することとなった。

来賓席では、エルナリスからやってきた王妃の父王が愛おしそうに孫王子を膝に乗せ、誇らしげな表情でその姿を見守っていた。

試合後、セシリア王妃は優雅に一歩前へ進み、観衆に向けて温かい言葉を贈った。

「皆さま、本日は第一回アストリウス国剣術大会にご参集いただき、誠にありがとうございます。遠路はるばるお越しくださった方もいらっしゃると伺っております。この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
さて、この祝宴の締めくくりとして、皆さまへの感謝の気持ちを込め、もう一試合、披露させていただきたく存じます。会場の皆さまが最もご覧になりたい試合、それはサラカレの優勝者、ゼリアン剣士との一戦でございましょう。いかがでしょうか?」

観客席からは、興奮と期待が入り混じった歓声が沸き起こった。

「皆さまの熱意、しかと受け止めました。ゼリアン剣士、いかがでしょうか?」

剣士席からゆっくりと立ち上がった黒衣のゼリアンは、静かだがはっきりとした口調で答えた。

「私はあくまで模範演武を披露するために参りました。試合のご提案は、謹んで辞退させていただきます。どうぞご理解を」

王妃はその言葉に一瞬目を細め、しかしすぐに微笑みを浮かべた。

「左様ですか。ならば、このようなご提案はいかがでしょう? もし試合においてゼリアン剣士が勝利すれば、あなたの望みを何でも一つ叶えましょう。もし私が勝てば、私の望むものを一つ、差し出していただくということで、いかがでしょうか?」

ゼリアンはその申し出にも微塵も揺るがず、毅然とした態度で言った。

「それも、お断り申し上げます」
その断固たる拒否に、会場は水を打ったように静まり返った。

「ご立派だ」
その沈黙を破ったのは、中央の席にいた国王レオナルドだった。

国王はゆっくりと立ち上がった。
「剣士とは、己が信じる道をひたすらに貫く者。その揺るぎない信念こそ、真の誇りでありましょう。しかし今日は祝宴の締めくくりでもあります。ここは一つ、私の妻である王妃の顔を立て、親善の一戦にご参加いただけませんか? 私も、ぜひ拝見したいのです」

国王の言葉に、観客たちの間から再び、期待に満ちた声が上がり始めた。
ゼリアンは頷いた。

そして、無言のまま剣を手に取り、王妃の前にゆっくりと歩み出た。



会場は、針の音でも聞こえるほどの息をのむような静寂に包まれた。

両者は、しばし互いの瞳を見つめ合い、深く礼を交わすと、静かに構えを取った。
剣が交差するたびに、鋭い風を切る音が会場に響き渡った。

王妃の剣は、電光石火の速さと寸分の狂いもない精密さを誇り、対するゼリアンの動きは、静けさの中に潜む嵐のようだった。無駄のない洗練された動きは、一瞬の隙も見せない完璧な間合いを生み出していた。

まさに、磨き上げられた技と技、研ぎ澄まされた気迫と気迫が激しくぶつかり合った。

息詰まる一進一退の攻防が続く中、ついに、ゼリアンが放った渾身の一閃が空気を切り裂き、王妃の剣が宙に舞った。

観衆の視線が、空を舞い落ちる剣に戻った瞬間、ゼリアンの仮面の紐が切れ、撃たれた鳥のように地に落ちた。

次の瞬間、露わになったゼリアンの美しい素顔に、会場がどよめいた。

「あれは、わが王子のエリウスではないのか?」
来賓席のエルナリス国王が、信じられないといった面持ちで低く呟いた。

「エリウス?」
隣に座るレオナルドが訝しげに問い返した。

「ええ、私の第二王子、エリウスによく似ています。エリウスはセシリアがアストリウスに行った後、すぐに駆け付けましたのでご存知でしょう」

「ああ、あのお方」

「エリウスはその後留学に出たと聞いております。あれから、一度も会っていません。あの頃は痩せ細っていましたから、体格は全く違いますが、あの顔は間違いなく私の王子」

エリウス。
セシリアの弟、 セシリアに同行した王子。
レオナルドは椅子から半身を乗り出して、会場の真ん中に立っている剣士を食い入るように見つめた。

仮面の下に隠されていた顔には、かつてのあの人の面影があった。
体格は違っても、これは小さなセシリアがそこにいた。