下級女官リリルの片思いと奔走


その日、セシリアは窓際に座って、長いこと外を眺めていた。
それがとても楽しげで、時々、ふふふという笑い声まで聞こえた。

とてもご機嫌がよい。何がそんなおもしろいのかしら、とソフィラも窓の外を覗いてみた。

庭では剣を振るっている一人の近衛兵がいるのだが、セシリアはそれがまるで人形劇でも見ているかのように、楽しんでいた。

「セシリア様、なにがそんなにおもしろいのですか」
セシリアがソフィラを振り返って笑った。

「下手くそ」

「何がですか」

「へっぴり腰。足が、震えている」

セシリアは立ち上がって、腕を上げて、剣を構える仕草をし、次に、流れるように、剣を斜めに下ろした。

「重心を低く、軸はしっかり」

「さすが、セシリア様です!」
ソフィラは小さく拍手をした。

そんなのは基本よというように、セシリアが睨みつけたので、余計なことはすべきではない。気分を害されたかしらとソフィラは後悔した。

「ソフィラ、庭に行くわよ。あの子に、教えてあげるわ」

「は、はい。セシリア様、それはよい考えです」
初めて名前で呼ばれたので、ソフィラは喜びを隠せない。

*

庭に降りた二人は、ひとりで振り稽古をしている青年に近づいた。
その姿を見ると彼は驚いて、慌てて頭を下げた。

「セシリア様、ソフィラ様、お久しぶりです」
と青年が、嬉しそうに言った。

「あなたは、どなた?」
セシリアが、首を傾げた。

「私は、ルイカと申します」

「あなたは、門番の」
ソフィラが、思い出した。

ルイカが、照れくさそうに答えた。
「はい。国王陛下が、私の働きを認めてくださり、近衛兵の見習いにしてくださいました」

「そうなのね。よかったわ。以前はお世話になりました」
とソフィラが喜ぶと、ルイカが困ったような顔で笑った。

「ありがたい名誉です。でも、剣など手にしたことすらないので、今は訓練についていくのがやっとです」

「セシリア様が剣術を教えてくださるそうですよ。王女は剣術の師範の資格をお持ちなのですよ」
「申し訳ないです」

セシリアがルイカの剣を取り上げて、基本の型を、示した。
「真似してみなさい」
とソフィラが、ルイカに言った。

「はい」
ルイカは緊張しながらも、セシリアの型を真似て剣を振るってみた。

セシリアは「そうではない」と首を振り、再び、型を示した。

その時、その様子を宮殿の廊下を歩いていたレオナルドが足を止めて、見つめていた。

庭で剣を構えているセシリアは、凛々しく、力強かった。
レオナルドの胸が、ざわついた。これが、本当のセシリアの姿なのか。



その夜、レオナルドはセシリアの部屋を訪れた。

扉の前に立った時、また思い出した、あのどきどきした日々のことを。
しかし、あの儚く、守ってあげたくなるような少女はもう、どこにも存在しないのだ。 だから、もう考えることはよそう。

部屋の中に入り、レオナルドが尋ねた。
「セシリア様、お具合はいかがですか?」

「おかげさまで、順調に、回復しております」

「それは、よかった」

レオナルドはセシリアに向き直って、優しく、問いかけた。

「セシリア様、不自由なことはありませんか?」

「ありがとうございます。ほしいものはありません」
セシリアはレオナルドを真っ直ぐに見つめた。その瞳には、以前のような迷いや不安は見られなかった。焦点が、しっかりとレオナルドに向けられていた。

レオナルドが、慎重に尋ねた。
「私のことが、分かりますか?」

「ええ。あなたはアストリウス国の国王、レオナルド・フィリス陛下」

「そうです」

「では、あなたがなぜここにいるのか、お分かりですか?」

「はい。わかっております」
とセシリアが、毅然と答えた。

「それが何か、聞かせていただけますか」

「私はあなたの妃になるために、この国へ参りました」

「今も、そのお気持ちに変わりはありませんか?」

「もちろんです。私は王妃になるために、ここへ来たのですから」

「あなたは、私のことをどう思われますか」

「強い王だと思います」

「私のことが、好きですか」

セシリアが、真っ直ぐレオナルドを見た。
「好きになるように、務めます」
とセシリアは、毅然とした態度で答えた。

「分かりました。セシリア様、一日も早く、お元気になってください。では、すっかり回復された暁には、結婚式を挙げましょう。何か、ご希望はありますか? 大きな式、プライベートな式、どんな式でも、ご希望通りにいたします」

「私の希望は」
とセシリアは即座に答えた。「たくさんの賓客を招き、各国に、この国の威厳を示すような、盛大な式を望みます」

セシリアの言葉に、レオナルドは感心しながら頷いた。セシリアは、強い覚悟と意志を持って、この結婚に臨んでいるのだ。

「わかりました。ご希望どおりに、盛大な披露宴を催しましょう。どうぞ、ゆっくりとお休みなさって、早く回復してください」

「努めます」
とセシリアが、顔色一つ変えずに言った。

レオナルドは部屋を出て、廊下を歩きながら考えた。
本当のセシリア王女は凛々しく、力強く、覚悟を持った女性だった。

しかし、レオナルドの胸の奥で、あの小さなセシリアが蘇った。
これまで、何度も強い意志力で、小さなセシリアの幻を強引に消そうとしたが、あの儚く、愛らしい面影は消えないのだ。

レオナルドは深くため息をついた。
自分はいったい誰を愛したのだろう。あの小さなセシリアか、それとも、エリウスか。答えは、わからない。
でも、一つだけ確かなことがあった。

もう、小さなセシリアには、二度と会えないということだ。その事実が、レオナルドの胸に苦い塊を作った。

*

それから半年が過ぎると、セシリアの記憶はほとんど戻り、レオナルド王は約束通り、盛大な結婚式を挙げたのだった。

ただセシリアの記憶には、あの「身代わり」にまつわる一連の出来事だけが、まるでそこだけ切り取られたかのように存在していなかった。

あまりに都合よく、あるいは何かを封じ込めているかのようにその部分だけが、ぽっかりと抜け落ちているのだ。

彼女が名前を呼び続けた弟エリウスは、「帝王学を学ぶために、数千年の歴史を持つ遠い国へ留学中」とされた。

レオナルドとセシリアの間には、弟が身代わりをしたという奇妙な出来事などは起こらなかったかのような曖昧な暗黙の了解が、それとなく存在していた。

結婚後、間もなく、セシリアは懐妊した。けれど、それは三ヶ月という短い期間で、その小さな命は失われてしまった。

しかし、彼女は悲しみを乗り越え、再び、新たな命を宿し、無事に男の子を出産したのだった。

王子には父への敬愛と、未来への希望を託して、「レオナルド・エリウス・ジュニア」という名が付けられた。

ジュニアは健やかに育ち、その一歳を迎えたことを祝して、若者たちのための「セシリア王妃杯剣術大会」が開催される運びとなったのだった。