サラカレの街は、年に一度の「剣舞の祭典」に向けて熱気を帯びていた。
祭典の準備が進む中、ゼリアンは道場の仲間たちとともに、試合での優勝を目指し、昼夜問わず鍛錬を重ねていた。
いよいよ祭典が近づいたある日のこと、ゼリアンとカトリーヌは食堂での仕事を終え、山頂の家に帰った。
家に着くと、二人は並んで星空を見上げた。
「なんてきれいなの」
カトリーヌが、嬉しそうに言った。
仕事で、どんなにくたくたでも、夕方になれば、ゼリアンが稽古を終えて食堂にやってくる。 用意した食事を、うれしそうに食べてくれる。時には、彼が料理して、食べさせてくれる。
ゼリアンが店の片付けと掃除をした後は、背中におぶられて山の上まで帰る。
彼は、日々強くなっている。
カトリーヌは、幸せなのだ。
ただ、こういう幸せが、いつか終わる日が来るということは知っている。
だって、ゼリアンはけた外れの人気者で、女子からの熱烈な攻勢が後を絶たないのだ。
今は、孤児ゼリアン、カトリーヌの弟でも、実はエルナリス国の王子。
それなのに、自分ときたら、やっと宮廷に仕事が見つかったと喜んでいた本物の孤児。
だから、いつかは別れるのは、当然の成り行き。 そのことを考えると、カトリーヌは仕方ないとは思うけれど、悲しくてならない。
でも、それは考えないことにしている。
どんな運命になっても、この三年間、姉弟として、ともに暮らした日々がある。それだけで、おつりが出るくらい幸運なのだから。
「毎日、仕事ばかりで、疲れてはいないのかい?」
とゼリアンがカトリーヌを見つめた。
「いいえ、ちっとも。ゼリアンはどうですか?」
「僕は好きなことができて幸せだよ。ありがとう」
「お礼を言うことなんか、ないです」
カトリーヌが、包みを取り出した。
「……これをどうぞ」
「また誰かから届いた?」
「いいえ。私からのプレゼント」
「なに? 誕生日でもないのに」
包みを開けてみると、精緻な刺繍が施された、黒の剣術着があった。
「こんな綺麗な道着は、見たことがない……」
ゼリアンは宝物のように、そっと両手で包み込んだ。
「高かっただろう」
「私が、作りました。試合でお怪我をしないように、心を込めました」
「忙しいのに、僕のために作ってくれたのかい。ありがとう」
ゼリアンが愛しそうに、剣術着を頬に押し当てた。
「僕はこれを着て、全力で戦うよ」
*
祭典当日、サラカレの街は、歓声と音楽で賑わっていた。 ゼリアンは、カトリーヌが作ってくれた衣装をきりりと身にまとい、剣を握りしめて、会場へと向かった。
ゼリアンの姿は精悍で、他の剣士たちや観客は、そのオーラに圧倒された。
第一試合から始まった激闘の中、ゼリアンの剣技は、光を放った。 その強く美しい姿に、観客たちは驚嘆した。
カトリーヌは、予想をはるかに超えた成長ぶりに、何度も、感嘆の息を漏らした。そして、その一挙一動を見逃すまいと、凝視し続けた。
かつての頼りなかった少年の面影は消え、今の彼の剣の一振り一振りには、確かな力と技術が宿っていた。その精緻な剣さばきに、周囲の剣士たちも驚愕した。次々と倒していくゼリアンの姿は、まるで一筋の閃光のようだった。
*
そして、ついに迎えた決勝戦。
ゼリアンの目の前に立つのは、昨年の優勝者、モンタグリだった。彼は師匠であり、兄弟子。ゼリアンが憧れていた剣士。
ゼリアンは二か月間、その門を叩き続けて、ようやく入門を許された。
その人が決勝戦の相手なのだった。
モンタグリは剣を片手で軽々と握り、まるで山のようにどっしりと構えた。
息を呑むような緊張感が広がる中、試合開始の合図が、告げられた。
モンタグリの剣の動きは、まさに豹のようだった。
モンタグリには、勝てないかもしれない。 ゼリアン、あなたには来年がありますから、どうか、怪我だけはしませんように、とカトリーヌは顎の下で強く指を組んで祈った。
太く、力強い一撃が、ゼリアンに襲いかかり、会場が、どよめいた。
ゼリアンは、その圧倒的な力に立ち向かうため、必死に身をかわし、素早く、反撃する。
そのたびに、剣がぶつかり合い、鋭い音が響き渡った。
モンタグリの攻撃は容赦なく、ゼリアンを、追い詰める。
しかし、ゼリアンはひるむことなく、冷静にその隙間を突いていった。
汗が、額に滲んだ。
呼吸が、荒くなる。
ゼリアンの剣の切れ味は、次第に冴え渡った。
素早く鋭い一閃が、モンタグリの防御をかすめた。
その度に、観客席からは驚きの声が上がり、ゼリアンの剣技に、引き込まれていった。
戦いは、激しさを増していった。
両者の剣が交錯するたびに、空気が震えるような感覚が広がり、観客たちも、息をするのを忘れた。
どちらが勝者となるか。
誰もが、その行方を予測できない。勝負の行方は、まさに一瞬の隙間にかかっている。
ついに、その瞬間が、訪れた。
ゼリアンの集中力が極限に達し、その目が鋭く光った。
その時、ゼリアンは、モンタグリのわずかな隙間を見逃さなかった。
その瞬間に、一気に突進し、最後の一撃を、放った。
モンタグリの剣が、空中で、弾き飛ばされた。
会場は一瞬の静寂に包まれたが、その直後、風船が破れたような、爆発的な歓声が沸き上がった。
ゼリアンは、唖然として立ち尽くすモンタグリを見つめ、静かに息を整えた。
モンタグリが、微笑んだ。
「よくやったぞ。ゼリアン、成長したな」
「ありがとうございます。兄弟子のお陰です」
ゼリアンは深々と頭を下げた。その顔には、過去の苦しい修行の日々が染み込んだ自信があふれていた。
*
ゼリアンが、昨年の優勝者モンタグリを打ち破った瞬間、カトリーヌの胸は高鳴り、喜びと感動で、震えていた。
会場は、歓声と拍手で包まれていた。
カトリーヌは観客席から飛び降り、彼の元へ駆け寄り、抱きしめたい衝動に駆られた。でも、それはぐっとこらえた。
カトリーヌは涙をこらえながら、ゼリアンの姿を見つめていた。
たくさんの女子が、彼の周りを囲んだ。
やがて興奮が引き、人々が帰り始めると、ゼリアンが、ゆっくりと観客席のほうへ歩いてきた。
彼の目はカトリーヌの姿を捉え、その顔は微笑みを、浮かべている。
「カトリーヌ」
カトリーヌはゼリアンの顔をそばで見たとたん、涙があふれてしまった。
「ゼリアン、おめでとうございます」
ゼリアンは照れたように微笑みながら、カトリーヌの頬に触れた。
「カトリーヌが泣いているの、初めて見た」
「そうですか。わりと涙もろいので、何度も泣いたと思うけど」
カトリーヌが、笑いながら涙を拭った。
「でも、これは嬉し涙です。最初は才能がないなんて言った人に、勝てたのですね。リベンジできましたね」
「先輩が、ああ言って拒絶してくれたから、僕は、頑張れたんだよ。感謝しかない」
「はい、そうですね」
カトリーヌは彼の言葉から、彼が剣士としてだけではなく、人間として成長したことをひしひしと感じた。
「それと」 とゼリアンが、カトリーヌを見つめた。「カトリーヌが応援してくれたから、勝てたんだよ」
「いいえ、いいえ。全部、ゼリアンの実力です。すごいです」
「うん。優勝できたなんて、自分でも、信じられない」
「今や、サラカレのチャンピオンです」
「僕はね」
とゼリアンが、遠くを見た。「もっともっと、強くなりたいんだ」
「そうですよ。ここが到達点ではないです。ゼリアンは、もっともっと強くなれます」
「僕も、そう信じている。頑張るよ」
カトリーヌはゼリアンの澄んだ目をまっすぐに見ながら思った。成長するって、そういうことなんだわ。
星空の下、二人はいつものように、ゼリアンの背中にカトリーヌが乗って、天狗山へと帰って行った。



