下級女官リリルの片思いと奔走


ゼリアンは一年目には大会に出場すらできなかったけれど、二年目には、五位に入賞することができた。

その剣技の実力は周囲の剣士たちにも評価され、すでに一目置かれる存在となっていた。

最初は、天狗山を上がるのに、心臓が爆発しそうなほど音を立て、膝がじんじん鳴って、二十分も進めなかったのに、二年目になると、ゼリアンはカトリーヌを背負ったまま、一気に駆け上がることができるようになった。
今では、一日の締めに坂道を歩かないと、運動が足りていない気がするくらいだった。



その頃には、ゼリアンの名前は町中で知られるようになり、その姿を一目見ようと道場で出待ちをしたり、また食堂に贈り物を届ける人々が日々に増えてきた。たいていはゼリアンに憧れる若い女子だった。

「またこんなに届いていたよ」
仕立て屋の仕事を終えてカトリーヌが食堂に来ると、ナニーナがゼリアンに届いた品物を見せた。

「また届いたよ。あんたの弟は人気があるね。女子のファンが多いわ」

「へぇ、そうなの」
カトリーヌはわざとらしく肩をすくめ、冷静を装って微笑んだ。

「あんなにもてたら、姉さんとして心配にならない?」

「彼、道場でがんばっているから、自然と注目されるのよね。社交辞令みたいなものだから、別に気にしていないけど」
という声が、少し高かった。

「あんなにハンサムで、剣が強くて、働き者だもの、私だって若かったら、

「おばさん、おやじさんに言いつけますよ」

「若かったら、と言ったでしょ。でも、ゼリアンは全然女の子には興味がないみたいね。もったいないわ。ゼリアンって、女子には興味がないの?そっちのタイプ?」

「そんなことないわよ。ちゃんとした男子だもの、興味があるのは当然でしょ。でも、練習で超忙しいし、大会も近いから、そんなことしている場合じゃないもの」
そう言いながらも、カトリーヌの中には、説明のつかないざわつきがあった。

ゼリアンは道場での稽古を終えた後、食堂にやって来て、厨房で皿を洗っていた。
厨房には、煮込み鍋の匂いが漂い、湯気がたちこめていた。
食堂のほうからは、お客の笑い声や談笑がかすかに聞こえていた。

少し手が空いたカトリーヌが厨房に行って、ゼリアンに話しかけた。
「また贈り物が届いていたわね」

「うん」

「うれしい?」

「うん」

「ふうん。そっか」
と涼しい顔で受け流した。

「なんだよ、その態度は」

「もててうれしいのかな、と思って。好きな子、いる?」

「いるよ」

「誰?」
ゼリアンが皿を洗う手を止めて、振り返った。
「言わねーよ」

「なに、それ。言葉も悪くなったし。もう宮廷には帰れないわね」

「帰るつもり、全然ないし」

「そうなの?」

「そうだよ。何にために、修業していると思っているのさ」

「ああ、そうよね。剣士として生きていくんだものね。ねっ、剣士って、独身の人が多いの?」

「いや、半々じゃないかな」

「ゼリアンは、どうなの?独身を貫くタイプ?」

「言わねーよ」

「また、それ」
その時、ナニーナが厨房に、手に大き目の包みを抱えてやってきた。

「常連客のラユウトが、これを置き忘れて帰ってしまった。もっと早く気がついてやればよかったんだけど。さっきは取引が成功して借金が返せると大喜びしていたのに、浮かれすぎてその大事な金をそっくり忘れてさ、あの馬鹿ラユウト、今頃、青くなっているんじゃないかしら」

「その家、どこですか。僕が届けます」

「でも、遠いよ」

「大丈夫です」
ゼリアンが手を拭いて、包みをさっと手に取り、「すぐに戻ります」と手を挙げてから、軽やかに出ていった。

「ゼリアンはてきぱきしていて、行動力がある。何にでも、面倒がらずに取り掛かるところが、男前。これじゃ、もてるはずだわ」
とナニーナが感心した。

*

ゼリアンは荷物を担いで、街の南の外れにある、ラユウト家へと向かった。
灯りの少ない路地を抜けてようやく家をみつけ、ドアを叩いた。

「あれは、まさか」
ゼリアンの姿を見て、ラユウトの妻が驚いた。

「それ、夫のお金。わざわざ届けに来てくださったのですか?」

「はい。食堂に忘れてありましたから」
ゼリアンが、包みを差し出した。

家の奥から、ラユウトが飛び出してきて、ゼリアンの胸に抱きついた。
「ゼリアン先生、ありがとう。いったいどこで亡くしたんだろうと、途方に暮れていたところなんだ。明日、借金取りがくるというのに。ありがとう」



その小さな出来事が、人の口から口へと伝わり、しだいに町中に広がった。
彼がラユウトの家に行く途中、強盗団に狙われたのだが、彼は大立ち回りで、襲い来る敵を次から次へとなぎ倒した。そして、最後に、「よき人になれ。町のために、尽くせ」と諭したので、強盗団みんなが泣いて改心した、という武勇伝が広まった。

実際には、途中で出合った若いごろつき数人で、彼らはゼリアンの顔を見ると、すごすごと立ち去ったのだが、誰が見たのか、聞いたのか、伝説とはそういうふうに作られるものらしい。

ゼリアンの名は、剣の腕だけではなく、「信頼できる存在」として、知られるようになったのだった。

「あんたの弟はすごいよ。頭がよくて、イケメンで、機敏で、その上、強くて、優しいときているから、あんたもどんなにか自慢だろうね」
とナニーナが言った。

「はい」
カトリーヌは答えたものの、渋い顔をした。

「ガールフレンドなんか、いるのかい。紹介してほしいという娘がいるんだけど」

「またその話ですか。今は修行と仕事でいっぱいなので、無理だと言いましたよね」

「その娘の父親と言うのが大商人なんだよ」

「それでしたら、ゼリアンに直接、聞いてみてください」

「いいんだね、姉としては」

ナニーナがそのことをゼリアンに話してみると、彼は取りつく島もなく断ったので、カトリーヌは見えないところで、笑みを浮かべた。



そして、今年、ゼリアンは、十九歳になった。
背丈は伸び、体格も逞しくなり、かつての女子のように見えた少年の面影は、すっかり消え去っていた。

「ゼリアンは、本当に、変わったわ」
カトリーヌがしみじみと言ったことがあった。

「そうかな? でも、確かに、腕は二倍、いや三倍くらいに太くなった。ほら」
と彼は服の袖を肘の上のでまで勢いよくまくり上げた。

「すごい筋肉」

「だろう?」

昔の、あの王子様と、目の前の青年剣士。
人って、こんなにも変われる。優しさは、少しも変わっていない。

「カトリーヌ、どうしたの?」

「いいえ、何でもない」
カトリーヌは微笑みながら、心の中で呟いた。

私も、変わらなきゃ。ゼリアンと並んで歩けるように。いつまでも、ゼリアンの隣にいられるように。もっと、もっと、成長しなきゃ。

「さあ、仕事は終わった。カトリーヌ、山の家に帰ろう」
ゼリアンが膝を曲げて、背中を差し出した。

「はい」

ゼリアンはカトリーヌを背負って、天狗山へと歩き出した。
二人の長い影が、地面に伸びた。