下級女官リリルの片思いと奔走


ドアを叩いたのは侍女で、手紙を届けにきたのだった。

あの時、アランの基地から、手紙が届いたのだ。アランからではなく、アランの上司からだった。

読み始めたリリルが震え始めた。

「アラン様が……」

「アランが、どうしたんだ?」

「……亡くなられたそうです」

「え?」
エリウスの目が、見開かれた。
「どうして」

「不慮の事故だそうです」

「あのアランが死んだなんて……。そんなこと、信じられない」

エリウスは、彼をよく知っていた。 子供の時から、姉とともに剣術を習っていた。大きくて、頼りがいのある、優しいお兄さんのような存在だった。

「姉上がいなくなり……ソフィラが消え……アランが死んだ」
エリウスの白い顔が、驚きと怒りで赤くなった。

「この三つのこと、何か、関係があるのだろうか」

エリウスはウィッグを無理やり脱いで、床に投げつけた。
「こんなもの、もう嫌だ!」

「エリウス様、落ち着いてください」
とリリルが、エリウスの肩に手を置いた。

「僕が身代わりになったことを知っている誰かが、仕組んだことなのだろうか」

「だとしたら、誰が、何のためにだろうか」
エリウスは眉をひそめ、腕を組んで、天井を見上げた。

「それは、まだわからないけど」
エリウスが、ドレスを脱ぎ捨てた。
「僕は、もう、姉上を演じるのはやめる」

「エリウス様……」
エリウスが、リリルを見つめた。

「次はリリル、君が、狙われるかもしれない」

「私は、狙われたってかまいません」

「リリルときたら」
エリウスが、額に皺を寄せた。

「どうして、自分のことはかまわないなんて言うの?」

「私のことなんか、いいんです。それよりも、エリウス様のことが心配です」

「いつもリリルときたら……」
エリウスが、ため息をついて、拳で涙を拭った。

「僕のことばかり心配して……馬鹿だよ」
エリウスが、窓の外を見た。

「僕はもうここにはいられない。それに、エルナリス王国にも、戻れない」
エリウスが、深く息を吸い込んだ。

「どこか遠い場所へ行く。自分の力で生きていける場所へ」

「はい」
リリルが、大きく頷いた。

「僕は一人で行くから」
エリウスが、リリルを見た。
「リリルは、安全なところへ逃げるんだ」

リリルの顔には、「信じられない」と書いてあった。

「そんなの、いやです。私も行きます」

「リリル、君は、姉上に命じられた任務はよくやった、任務完了だよ。僕が手紙を書くから、それを持って、エルナリスの宮廷に帰るといい。あそこは安全だし、もっとよい仕事がもらえるから、幸せに暮らすんだよ」

「いいえ。私はエリウス様と共に行きます。どうか、連れて行ってください」

「どうして」

「もう逃げる準備はしてありますから」

「先は、大変だよ」

「大変でも、いいんです」

「わざわざ、難しい道を選ぶことはないんだよ」

「私、やさしい道なんか、少しも望んでいません。エリウス様と一緒の難しい道を歩きたいです」

「追われるかもしれないのに」

「そんなの、平気です。足、速いですし。私も、明日までに、逃げださなければならないと思っていたのです」
リリルが、無理に笑顔を作った。

「とにかく、ここにいるのは無理ですから、すぐに逃げましょう」

エリウスはしばらく黙ってリリルを見つめていたが、やがて、頷いた。
「わかった。一緒に行こう」

「はい」
リリルの顔に、笑顔が広がった。

リリルは市場で買った古着を取り出し、エリウスが、それに着替え、元の少年の姿に戻った。
リリルもまた、少年の衣服を身につけた。二人が、鏡の前に立つと、そこに映っているのは、二人の少年だった。

「これなら、いけそう。誰にもわからない」

「うん」
と エリウスが、頷いた。

二人は簡単な旅支度をすると、部屋を後にして、長い廊下を、そっと歩いた。

リリルはこの城の構造を調べて、抜け道を探しておいたのだった。かつて、戦争の時に使われた秘密の通路である。家来に気づかれないようにして、城の裏口へと向かった。

二人はその暗い通路に入り、松明の灯りを頼りに、進んでいった。
やがて、外の空気が流れ込んできた。 出口だ。

二人は宮廷の建物を脱出したが、ここから荘厳な門を潜り抜け、城外に出なくてはならない。

エリウスとリリルは、息を潜めるようにして、宮廷の門に近づいた。
門には、年配と若い守衛が立っていた。
応対したのは、若い方だった。彼は二人の少年の粗末な身なりに目を止めた。

「こんな遅くまで、何をしていたのか?」

「床を磨いていました」
打ち合わせのとおり、エリウスが答えた。これまでは、喋りはリリルの受け持ちだったが、今は少年なので、話すのは彼のほうである。

守衛は下働きをしていた子供たちだと察したのだろう、同情の色を浮かべた。
「帰り道、気をつけるんだぞ」

「はい」
彼は、それ以上は詮索することなく、二人を通した。

リリルが、深く頭を下げた。

門を抜けると、リリルがエリウスのほうを向いた。

「第一関門は、突破ですね」
「うん。さあ、行こう、リリル」

二人は、城の外に出た。
夜の闇が、二人を包んでいた。

ふたりは、少し離れた場所まで来て、後ろを振りむいた。 闇の中に、城の影が、そびえ立っていた。

エリウスが、城を見上げた目には、涙が浮かんでいた。
「リリル、行こう」

「はい」

しかし、エリウスは掛け声ばかりでなかなか動こうとしないので、リリルが彼の手を引っぱった。

「行きましょう」

「うん」
こうして二人は、レオナルドの城を後にした。