下級女官リリルの片思いと奔走


その日の午後、リリルはいつものようにエリウスの部屋でドレスを直していた。

コン、コン。
また扉がノックされた。

「はい。どうぞ」
リリルが答えると、侍女が入ってきた。

「リリル様、お手紙です」
「誰から……?」

リリルは震える手で封を開け、中の便箋を取り出し、文字を読むと、瞬く間に顔から血の気が引いていった。

「リリル?」
エリウスが、気遣うように声をかけた。

しかし、リリルはすぐには答えられない。手に持っている便箋が、がくがくと震えている。

「リリル、どうしたの? 誰から? 何が書いてあるの?」

「ソフィラ……からです」

「ソフィラ?」
ソフィラは女官仲間の先輩で、セシリア王女に付き添っている。

「エリウス様……大変なことになりました」
リリルの声が、掠れていた。

「セシリア様が行方不明になられたそうです」

「え?」

*
リリルは震える手で手紙をエリウスに渡すと、エリウスが、急いで手紙を読んだ。

「リリルへ
大変なことになりました。セシリア様が、行方不明です。セシリア様は今日、アストリウス国へ向かうと言って、おひとりで馬に乗って出発されました。馬車で向かう予定でしたが、馬のほうが速いと言われて、先に出発されました。
私は馬車で後を追ったのですが、途中で、セシリア様の馬だけが戻ってきたのです。馬には誰も乗っていませんでした。ずっと周囲を捜索していますが、セシリア様はまだ見つかっていません。 そちらに、セシリア様はすでに到着されておられますか? どうか、すぐに返事をください。 ソフィラ」

手紙を読み終えたエリウスの指先が震えている。
「姉上が、行方不明? そんな」

最悪の事態に、リリルは唇をぎゅっと噛んだ。
「セシリア様はまだ到着されていない。ということは」

リリルは焦点の合わない目で宙を見つめた。その眉間には、深い皺が寄っていた。
まさか。

セシリア様が、結婚を嫌って、逃げてしまわれた?
いいえ、そんなはずがない。
でも。
リリルの心の中に、疑問が渦巻き始めた。次から次へと、いやな憶測が押し寄せてくる。どれも、不安をかき立てるものばかり。
そんなことがあるはずがない。あってはならない。
でも、考えれば考えるほど、嫌な予感が現実味を帯びていく。

「セシリア様は……どこかへ行かれてしまったのでしょうか」
リリルが、消え入りそうな声で呟いた。

「どこかへって? どうして」

「結婚が嫌になって……逃げてしまわれたとか」

「そんなこと。あるはずがないよ」
エリウスの声が、裏返った。
「姉上は、すぐに来るって約束したんだ。姉上は、約束を破らない」
美しいガラス玉のような瞳が、揺れている。でも、その奥には、不安があふれていた。

「そうですよね。きっと、ちょっと遅れているだけです」

「でも、馬だけが戻ってきたって、どういうことなのだろうか」

「だからといって、セシリア様が来られないとは決まっていません」
リリルが、自分に言い聞かせるように言った。

「でも、もし……、もし、来られなかったら……」
エリウスは、目を閉じて、深く息を吸い込んだ。

それから、手紙をテーブルの上にそっと置いて、リリルを見つめた。悲しみと不安が、その顔に浮かんでいる。
「本当に来なかったら、どうしよう」
その表情があまりに切なくて、リリルの胸が詰まった。

ここを、自分がなんとかしなければならない。
さて、リリル、どうする?

このままだとエリウス様が男子であることが、レオナルド王にばれてしまうのは時間の問題だ。何か妙策を考えなければ。
でも、あまりに急で、何も思い浮かばない。

「リリル」
エリウスが、すっと立ち上がった。

「僕は、このことをレオナルド陛下に伝えようと思う」

「えっ!」

「陛下に頼んで、姉上を探してもらおう」

「お待ちください、エリウス様」
リリルは、反射的にエリウスの腕を掴んだ。

「離して、リリル」
「だめですよ。陛下に伝えるのは、よい考えではありません!」

「じゃあ、リリルはどうするのがいいと思うの?」
「まだよい考えはないのですが」
と リリルは、唇を噛んだ。「でも、今、真実を話してしまうのは危険です」

「嘘を続けるわけにはいかないだろう」
「わかっています」
リリルは、エリウスの腕を強く掴んだ。「でも、行ってはだめです。今、真実を話してしまったら、陛下が激怒されて、エリウス様にどんな仕打ちをされるか、わかりません」
「それは、いいんだ」
「よくないです。それに」
とリリルが、息を深く吸い込んだ。

「もし、エルナリス国が約束を破ったと知れれば、戦争が起こるかもしれません」

「戦争」
エリウスの顔が、蒼白になった。

「そうです。レオナルド陛下は巨額の結納金を支払われました。 でも、花嫁は来ない。それどころか、偽物を送りつけられた。そう知ったら」
リリルは、拳を握りしめた。
「陛下は裏切られたと思うでしょう。そして、戦争を仕掛けてくるかもしれません」

「戦争になったら……」
と エリウスが、呟いた。「今のエルナリス国は、勝てない」

「はい」
リリルが、大きく頷いた。「だから、私がよい方法を考えますから、少しだけ考えをまとめる時間をください」

「でも、このままじゃ……」
エリウスが、窓の外を見た。

「エリウス様」
リリルが、エリウスの手を握った。
「まずは、落ち着きましょう。セシリア様が、すぐに見つかるかもしれませんから、もう少し、様子を見ましょう」
「もう少しって、どのくらい?」
エリウスが、おびえたようにリリルを見つめた。

「もう少しだけ、セシリア様でいてください」
リリルは、エリウスの目をまっすぐ見つめた。「きっと、道が開けます」

「道が開けなかったら?」
「開けます。私が開きます。こじ開けます」
リリルが、力を込めて言った。 「私を、信じてください」

エリウスの目には、迷いと不安が浮かんでいたが、やがて、ゆっくりと頷いた。
「わかったよ。もう少しだけ、このままでいよう。もう少しだけ」
「ありがとうございます」

エリウスは、窓の傍に歩み寄った。その目は、遠い空を見ていた。でも、その瞳には、何も映っていないようだった。
柔らかな風も、光も、今の彼には届かない。彼は呆然として、ただそこに立ち尽くしていた。

リリルは、そんなエリウスの背中を見つめた。
おかわいそうな エリウス様……。
リリルは、両手をぎゅっと握りしめた。

この身に代えても、エリウス様を守り抜きたい。どんな方法を使ってでも。
でも、どうやって?

リリルの頭の中で、考えが巡った。
セシリア様が見つからなければ、このままエリウス様が「セシリア」を演じ続けるしかない。
でも、それには限界がある。レオナルド王は、もう疑い始めているかもしれない。
剣術の手合わせを求められたら?
結婚式を急がれたら?
初夜を迎えることになったら……?

いや、そんなことは考えたくない。
でも、考えなければならない。
リリルは、深く息を吸い込んだ。
落ち着け、リリル。
必ず、道はある。 必ず……、どこかに。