Act 02
「っ!」
咄嗟に距離を取ろうとした礼真だったが、マキシから立ち上がった霊力は、その足元の水たまりから、次の水たまりへと伝って広がり、礼真を取り囲む。
霊力は放った本体から離れると、徐々に薄くなっていく。
『霊力を直接広げると拡散して減衰するから。導体を使った方が効率いいんだよ。特に硬水がいいね、伝導率がいいから』
以前にマキシが言っていたことを思い出す。
いつも仕事のときに、マキシが現場に水をまいているのを、そういうもんなんだというくらいで、見ていたが、こうやってマキシと対峙してみるとこの水の意味が見えてくる。
マキシが一気に距離を詰めてくる。
大振りの一撃。
マキシの間合いから逃れようと、後ろに下がりながら右へ動いた礼真だったが、マキシの拳は頬に当たった。
「えっ…」
かする程度だったが、礼真の感覚では確実に避けられた攻撃だった。
次が来る。
礼真を掴もうとする手が伸びてくる。
礼真は後ろ、左右にステップを踏むように逃げるが、自分の体が水中にいるかのように、自分の動きが遅いことを感じていた。
足がもつれる。
そこらじゅうにまかれた水から立ち上がるマキシの霊力が礼真の動きの邪魔をする。
空間全部がマキシで満たされるそんな状態だった。
「くっ…」
伸びてくるマキシの手を、体をひねるようにしてなんとかかわす。
いつもの礼真の感覚でいけば、間合い外まで逃れられはずだったのに、足が思うように動いてくれない。
「動きづら…」
無意識に呟く。
マキシ本体からの手だけではなく、水から上がる霊力からも手が伸ばされ掴もうとしてきている感覚。
霊体は実体に直接的なダメージを与えることはできないが、マキシの霊力は体の中にある魂に絡みついてくる。
礼真が怪異をマキシの待つ結界まで追いこんで、マキシが怪異を取り込むといういつもの流れ。
いとも簡単に怪異を取り込んでいるように見えたマキシのやっていたことを、礼真は今身をもって体験していた。
表情を持っている怪異たちの顔が、マキシと対峙したとき恐怖に歪む理由を理解する。
どこに逃げても、霊力の手が待っている。
そして今は、それに加えて本体のマキシが攻撃を仕掛けてくる。
「行くなっ置いていくな!」
そんな言葉と共に伸ばさる手。指先が礼真のシャツに引っかかってそこをひっぱられる。
「っうわ」
礼真はなんとか振り払って、後ろへ逃げたが水たまりに着地してしまう。マキシの霊力の上に乗ったようなものだ。
「っぐっぁあ!」
足首を動かしている魂に直接、攻撃をされる。
礼真の魂はそれを痛みと感じる。ねじり上げられる激痛に悲鳴を上げた。
マキシは礼真が動きを止める為に、礼真の核である魂が消滅しない程度のダメージを与えてくる。
痛む足を引きずるようにしながら、礼真はマキシを見据えた。
『もー魂に触らせちゃダメ、ちゃんと霊力でカバーしないと、消滅させられちゃうよ』
以前にマキシに言われた言葉を思い出す。
そのときのマキシは礼真に注意しながらも、『心配しています』という思いが表情、態度、口調全部に現れていた。
そして、そのあとでいつものように礼真の髪をくしゃっとしてくれた。
いつも優しく触れてくれる手が、今は怖くてたまらない。
「置いていくだろぉお!」
マキシが突っ込んでくる。礼真は咄嗟にその手を払った。
「強くなったもんなっ!」
足を払われる。ジャンプでかわすが高さがでない。
「もう俺が守る必要ないよなぁあ!」
礼真はマキシの言葉に呆然する。
なにを言っているのか。
先を行くマキシに置いていかれないように必死だった。
マキシのように強くならないといけないと思っていた。
守ってもらってばかりじゃダメだと思っていた。
「置いていくんだろっお前もっ!」
泣きそうに顔を歪めて叫ぶマキシに、反論しようにも、次々に投げつけられる激しく強い言葉に、思考が追いつかない。
同時に、マキシは攻撃の手も緩めない。
簡単に掴まえることができないと判断したのか、マキシは本体と霊力で確実に礼真の体にダメージを蓄積していく。
足が痛い、腕も痛い、頭も、もうどこもかしこも痛い。
人形の体で息が上がるということはないはずなのに、頭に、体に酸素がまわっていないように感じる。
それでも、動きを止めることは許されない。
ガツっとマキシの拳が、礼真の顔に入った。
強い衝撃に、頭の中身まで揺さぶれる。
痛いより、熱い。
「くっ…」
顔を歪めた礼真を見て、マキシがうっすらと笑った。
そのマキシの顔を見て、礼真の中で何かが弾けた。
体も思考ももう限界だった。
礼真はぐっと拳を握りこむと、振りかざすことなく、そのままマキシの顔に叩き込んだ。
ガッと重く、鈍い音。
手加減なしの一撃。
当たった頬から全身を揺さぶるほどの衝撃。
マキシの目が大きく見開かれた。
「えっ…」
マキシが小さな声を上げた。
マキシ自身も、境内中に広がっていたマキシの霊力も、それを動かしていた激しかった感情が、その瞬間、空白の穴にはまったように動きを止めた。
人はありえないことを突きつけられると、一旦、感情がフラットになるらしい。
棒立ちになったマキシは、礼真に殴られた頬に手をやった。
「…痛っ…」
触覚はあっても痛みを感じたことなど今までなかったのに、礼真の拳が当たった頬は、熱く重く痛んだ。
表皮もその下も、その内側で支えている魂にまで届いた痛み。
初めて感じた痛みは、その場所だけではなく、体の深い場所までも刺激した。
マキシは何度かまばたきをすると、目の前の礼真を見つめた。
礼真はマキシを殴った腕をだらっと垂らして、肩を息をついていた。
礼真はボロボロだった。
羽織っていたシャツは破けて布が体にまとわりついているようになっている。その下のTシャツはところどころ裂け、水たまりの中に何度も込んだせいで、泥まみれ。
半袖から見える腕は、表皮が剥がれて人形の本来の木肌や関節が見えていた。
そして、なによりその顔は眉が下がり、唇が細かく震え、喉の奥からひくひくと小さな音が漏れている。
人形の体では涙を流すことはできないが、礼真は泣いていた。
マキシの顔色が変る。
「っレイマ泣いてる…」
「なっ泣いてないっ!…っぅ…ひっく」
伺うようなマキシの声かけに、礼真は反射で返してから、込み上げてきたものにしゃくり上げた。
「泣いてるじゃん」
人間だったとき、かなりつらい目にあったときでさえ、こんな泣き方をする礼真を見たことがなかったマキシは、オロオロするしかない。
ひっくひっくして、ぐっと唇を噛みしめて耐えている礼真に、固まっていたマキシの頭の中が高速で動き始めた。
礼真が泣いている…身体も服もボロボロ…すごく痛そう…だって礼真は痛みを感じる。
視覚からの情報が整理される。
誰がレイマをこんな風に…あっ…俺…か。
ここにきた仕事の内容を思い出し、まわりに広がっている自分の霊気、身体に残る感覚で自覚する。
自分が礼真がここまで追いこんだ。
すぅとマキシは自分の腹の辺りが冷えるのを感じていた。
礼真はまだ混乱の中にあるのか、ただじっとマキシを見つめている。
その礼真をじっと見つめ返しながら、マキシははっと顔を上げた。
「…いや、違う…お前だっお前!」
マキシは自分の後ろにはりついていた浮遊霊を睨んだ。
ぶわっとまたマキシからさっきまでとは比べ物にならない強大な霊力が湧き上がる。
「っひっ!」
すぐに浮遊霊は逃げようとしたが、その体はすでにマキシの霊力に絡み取られていた。
「元凶その1っ逆恨みヒステリー!お前のせいだ。自分が振られたからって、勝手に自分で命断って、浮遊霊になって、幸せな恋人を妬んで殺し合いさせて。意味のねぇことやってんじゃねぇよ。」
マキシは霊の胸倉を掴むとガンガン揺さぶる。
「やるなら自分を振ったヤツにやれ。霊になっても元彼には本心言えねぇってか!恨み事でも、好きだったでもっなんでも伝えろよっ!」
一気に捲し立てるマキシに、今までヒステリックに喚き続けていた浮遊霊は、ただ口をぱくぱくさせることしかできない。
「そんでっ直接呪え!」
最期に一喝された浮遊霊はあっと言う間に、マキシの手の中のスマホに吸い込まれた。
「それからっ元凶その2!この神社に取りこされていた俺っ!置いて行かれた、置いて行かれたって知るかっ!俺なんか礼真に泣かれて、ガチで置いて行かれかもしれねぇんだぞっこっちの方が深刻なんだよっ」
マキシは自分の中のあったものを引きずり出した。小さく丸い白い玉だ。
マキシはその玉をぎゅうぎゅうに絞り上げながら、
「俺の一部ならちゃんとついて来いやっ。文句あるから俺に言え。つーかこんな三流浮遊霊に取り込まれて、いいように霊力増強装置にされてじゃねぇよ。こっちは500年地縛霊だぞ、そのへんのぽっと出の浮遊霊とレベルが違うんだよ。なに利用されてんの、俺が恥ずかしいわ。」
言うだけ言ったマキシは、ギリっと玉を絞りきって、くたっとなったソレをスマホの中へ取り込んだ。
「レイマ!」
マキシは礼真に向き直った。
「マキシ…」
マキシの様子を見て、いつものマキシに戻ったことがわかった礼真の身体から力が抜けた。
ギリギリで持ちこたえたものが限界を越えて、礼真の身体ががくんっと文字通り糸が切れた人形のように崩れる。
「レイマっ!」
倒れる礼真の身体をマキシが受け止めたが、マキシ自身も礼真を支えられるほど、力は残っていなかった。
「えっ…え?」
かかってくる礼真の重みに耐えきれず、マキシは礼真を抱きしめた状態でそのまま後ろ向きに倒れた。
ガシャーン!
地面にぶつかる。そのままどーんと倒れた二人から音が上がる。
マキシは礼真を抱きしめて、礼真が地面と直接衝突することだけは避けた。
「レイマ…」
確かめるように名前を呼んで腕の中にある頭をそっと撫でようとすると、びくっとその体が震えて固くなる。
礼真にしてみれば、今のマキシがいつものマキシだとわかってはいても、さっきまで、殴りつけて、掴まえて、その体に痛みを与えていた手だ。考えるよりも体の方がそう反応してしまうのだろう。
それほどまでに、礼真を苦しめたのだと改めて突きつけられたマキシの胸の奥の魂がぎゅっと縮むように痛んだ。
何度か息を吐いて、怖がらないようにそっと、ゆっくりと礼真の頭に手を置く。
「ごめん、レイマ。俺、怖い思いも、痛い思いもさせないって約束したのに、全然約束…守れてないね」
囁くほどの声でマキシが弱弱と言うと、ぴくっと礼真の肩がはねて、
「本当だよ、最初に殴られたときめちゃくちゃ痛かったし、マキシがマキシじゃなくなってすごく怖かった!」
マキシの胸に顔をつけたままで、くぐもった声で礼真が答えた。
あのときマキシは操られているような状態ではあったが、意識ははっきりしていて自分のやったことは全部覚えている。
礼真が言った、痛かった、怖かったは言葉以上のものだということもわかる。今更ながら自分のやったことに恐怖すら感じながら、マキシは震えそうになるのを堪えて、礼真の頭の撫で続ける。
「…本当にごめんなさい」
こんな言葉しか出てこないのがもどかしい。
「バカ」
マキシの謝罪に秒で礼真が返してくる。
「はい」
たしかにそうで、そこは肯定するしかない。
「マキシ置いて俺がどこに行くんだよ」
礼真はぐりっとマキシの胸に顔を押しつけて言った。
「えっえと…」
操られている間…いや、ここのところずっとマキシの胸の中にあった礼真が自分を置いていってしまうのではないか考えていた。今もその思いが心に居座っている。
どこに行くかとマキシに聞かれても、それはマキシが聞きたいことで…言い淀むマキシに、礼真が顔を上げた。
「ないの!俺の行くところっここしかないの!」
ボスっと礼真はマキシの胸をグゥで叩いた。
容赦のない一撃。
「ぐっ…痛っ」
マキシが声を上げると、
「俺の方が痛かった!」
また秒で返されて、礼真はバフっと荒く頭をマキシの胸の上に戻した。
「はい、すみません」
また戻ってきた礼真の頭をマキシはぎゅっと抱きしめると、その髪に唇をつけて、
「本当にごめんね」
そこに吹き込むように囁いた。
マキシの唇が動く感触を感じながら、
「もう、いいよ」
赤くなってきた顔を礼真はマキシの胸に押し付けた。
しばらくそうしていたが、マキシが礼真を腹の上に乗せたまま、起き上った。
自然と礼真はマキシの太ももの辺りに座るように形になる。
「わっごめん」
礼真は慌てて、マキシの上から退こうと立ち上がったが、すぐに顔を歪めて、倒れ込んできた。
マキシは今度はしっかり礼真を受け止めた。
「っう…っ…」
マキシのパーカーをぎゅっと握って声を殺す礼真に、マキシの胸の奥がぎゅっと痛む。
マキシはスマホを取り出してタップすると、耳に当てた。
「すみません。迎えにきてください。えっと…あ…」
「所長呼んだの?」
礼真が伺うように聞く。
「俺もレイマもこの状態だしね。さすがに自力で帰るのは無理でしょ。ゆっくりでいいから、立てる?」
マキシは言うと、礼真の腕を取って慎重に立ち上がらせた。
痛めた足をかばいながら、立ち上がった礼真の前にマキシがかがんで、
「はい、おんぶ」
と、言うと礼真は、少しの沈黙のあとに素直にマキシの背中に体を預けてきた。
自分の体の状態や、あの石段のことを考えて、自分が歩くことと、マキシにおぶさることどっちの方がより迷惑がかかるか考えたらしい。
マキシがよっと声を出して、礼真を背負って立ち上がって歩き出した。
背中の上で礼真の体がガチガチに緊張しているのが伝わってきて、マキシは笑いを噛み殺した。
「重くない?」
マキシの耳の近くで控えめな声が聞いてくる。マキシは少し笑いながら、
「ぜんぜん」
と、答えると少しだけ礼真の体が緩んだ。
石段を下りていると、振動が大きくなったせいか、礼真がぎゅっとマキシにしがみついてくる。
ちょっと苦しいとマキシは思いながらも、黙ったままで慎重に石段を下りていると、礼真が話かけてきた。
「所長、なんて言ってた?」
さっきの電話が気になったらしい。
「わかった、って」
「それだけ?」
「それだけ…っていうか、それだけなのがすごく怖い」
マキシが答えると、
「体、壊しちゃったこと怒られる?」
怖いと言ったマキシの言葉に、礼真は体を固くして、伺うように聞く。
「場合による。だから、所長のご機嫌を伺いながら、こうっふわっとした感じて報告しよう。じゃないと、帰りつくまで車の中、針の筵…いや、上司の愚痴を本人に誤爆した次の日にその上司と二人っきりの出張ってくらいの空気になる」
「…それ、めっちゃやばいじゃん」
いつもどこかズレているマキシの例え話。今回は的確に伝わったらしく、礼真がごくっと息を飲んだ。
「そう、だからそうならないように、なるべく刺激しない言い方ね」
「わかった…」
マキシが言うと、その背中の上で礼真はこくこくと頷いた。
石段を無事に下りて、遊歩道を進み、公園の駐車場まできて、マキシは礼真をベンチに下した。
「ありがと」
「どうしたしまして、足、痛い?」
礼真の前に跪いてマキシはそっと礼真の足に触れた。
人形の体は痣がついたり、腫れたりすることはなく、見た目だけではわかりにくい。
「んっ…多分、関節の紐が切れてると思う」
礼真は痛めた足をちょっと動かそうとして、顔をしかめる。
「そっか…」
マキシはと触れていた足から手を離して、俯いた。
その顔に礼真が手を伸ばしてきた。
「マキシも…顔…それ」
「ま?」
礼真に指先で触れられて、マキシは自分でもその場所に触れた。
マキシたちの体の表皮は人間にしか見えないような特殊にコーティングがされているが、触れてみるとそれが剥がれて、中の木肌の感触が触れる。
「あー剥がれてる。けっこうひどい?」
「うん、ごめん、俺手加減なしでだったから」
しゅんとする礼真の頭をくしゃっとしながら、
「それはしょうがないでしょー礼真のだって、あちこち剥がれてるよ」
マキシは半そでから覗く礼真の腕を指さした。
「あっ…本当だ」
マキシに言われて、自分の腕を見て礼真は声を上げた。
手の甲から手首、何本かの指が表皮が剥がれ、その下の木肌にもヒビが入っている。
「………」
しばらく無言でそれを見つめていたマキシはなにかを思い出したらしく、体をびくっとさせて、
「これは…ガチでやばい」
と、呟いて頭を抱えた。
そこへ一台の黒いミニバンがが駐車場に入ってくる。
「あっ来た」
「うわっ嬉しいけど、嬉しくないっ」
礼真がパッと顔を輝かせる。マキシもほっとした表情になったすぐに複雑な顔になる。
運転席がちょうど二人の前になるように横づけにされ、窓ガラスがスーと下がって、花子が二人の姿をさっと見た。
「しょっ所長、すみません、ありがとうございます」
無言の花子に、マキシが珍しく丁寧に礼を言う。
後ろのスライドドアが開けられて、礼真は運転席の後ろ、マキシは助手席に後ろに乗り込んだ。
礼真が席に着くと、助手席にいたベア吉が跳ねるように礼真のところにきて、当然のようにその膝にのってくる。
いつもの柔らかいその感触に触れて、礼真はふっと笑みを作ると、
「ベア吉も迎えに来てくれたんだっ」
と、ぎゅっと抱きしめる。
「♪」
ベア吉も嬉しそうに礼真にぎゅっと返してから、
「?」
と、礼真の表皮が剥がれた手の甲をじっと見つめて、礼真の顔を見て、また手を見てふわふわの手でそこを撫でた。
礼真の顔がくしゃっと歪んで、
「大丈夫、もう痛くないよ…」
震える声で言いながら、礼真はベア吉の頭に顔をうずめた。
「レイマ…」
その礼真の姿にマキシの胸の奥かまたぎゅっと痛む。
「で?」
そんな中、車を発進させた花子の声が響いた。
マキシはびくっとして、
「あっあの、恋人にフラれて自殺した女が浮遊霊になって、恋愛スポットになってたあの場所で逆恨み増幅させて、恋人たちを憎しみ合わせる精神操作してました。その浮遊霊は回収しました。」
早口で説明した。
「そうかぁ、お前らがそんな状態になるってことは、その浮遊霊とやらは、物理攻撃もできるようなかなりの強力な悪霊だったというわけだな」
花子はスムーズな運転をしながら、静かな口調で聞いてくる。
「えっ…えと…」
花子が言わんとする悪霊に遭遇する確率などめったにない。どう答えればいいのか…とマキシが言い淀んだ。
「俺のこれは、マキシが浮遊霊に操られて、俺を殺そうとして攻撃してきたからで。マキシの顔は俺がテンパって殴っちゃったんです。だから…すみません…」
ベア吉に顔を埋めていた礼真が顔を上げて、素直な報告を花子にする。
「レイマぁーーっちょっと待ってぇー違うよねー」
なるべく刺激しない言い方をしようと約束したでしょー?とマキシは悲鳴を上げた。
「違わないよ」
ベア吉を抱えたままで礼真が首を傾げる。
「いや、違わないけど、もうちょっとオブラートにつつ…ん…で」
そう違ってはない、違ってはないが…とマキシがあわあわしていると、
「ほぉ…なるほど、それは強敵だったなぁ」
運転席から車内の温度を冷え込ませる花子の声が上がった。
「あっ…はい…すみません」
マキシは体を縮めるように俯いたまま、ちらっと恨めしそうに礼真を見て、目を丸くした。
ベア吉を抱いた礼真の手からも体からも力が抜けて、首ががくっと前に倒れていた。
寝ている。というより落ちたに近い。
マキシ、花子、ベア吉がいるという事実に、気が抜けてしまったのだろう。
マキシは体を伸ばして、意識のない礼真の肩の辺りにベア吉をはさんで、
「ちゃんと枕になってろよ」
と言って、礼真の頭がグラグラにならないようにすると、後ろの荷物スペースからブランケットを取って、礼真の体を包んだ。
静かな寝息を立てる礼真の髪をくしゃっとしてから、マキシははぁ…と息をついてシートに座り直した。
「寝たか?」
花子の声がかかる。さっきまでの詰問口調ではないずいぶんと抑えた声だった。
「はい、かなり…削ってしまったんで」
マキシも礼真を見ながら、静かに答えた。
「そうか、それで?どうしてここまで事態になった?」
花子は視線を前に固定してたままで、聞いてくる。法定速度。運転は静かだ。
「あの神社、俺がいたところでした」
マキシは少し呼吸を整えてから言った。
一瞬、花子が息を飲んだ気配がしたが、声はない。マキシは続けた。
「奥津見神社とか立派な名前になっちゃって。俺がいたときは村のヤツらはお社とかって呼んでたし。しかも恋愛パワースポットって、まさか自分が埋められたところがそんな浮かれた映えスポットになってるとは思わないじゃないっすか」
マキシの魂に一瞬だけ、背中にドサっとかかってきた重く冷たい土の感触がよぎる。が、マキシはそれをさっと振り払うと、笑った。
花子は手探りでタバコを取り出してくわえる。火はつけない。
「500年っていうのは思いのほか長ぇからな」
「ねぇーそれー」
花子の言葉にマキシが冗談のような軽さで同意する。
「『ねぇー』じゃねぇよ、それで?」
「……あそこに俺が残ってたんですよ。500年あこそにいたどうしてもあの場所から離れられなかった俺の…残り…」
声のトーンが下がる。マキシはその自分の残りを取り込んだスマホに目を落とした。
「残滓だな」
花子はぽつり言うと、我慢できなくなったのか、最近では珍しくなった車のシガーライターからソケットを抜いて、赤く熱をもった先端でタバコに火をつけた。
マールボロの匂いが車内に広がる。花子は少し運転席の窓を開けた。
「そう、そうっすね、残滓。まあ、残滓っつても俺なんでかなりの霊力あって、逆恨みヒス浮遊霊が霊力の底上げに取り込んだんですよ。」
マキシも窓を少し開ける。タバコの煙は車内を漂いながら、開いた窓から外へ流れていく。
「それでヒス浮遊霊にしてやられたか」
花子が軽い口調で言った。
マキシの能力を知っている花子の少し揶揄する言い方に、
「普通のならそんな低級に侵入なんかさせませんよ。けど、俺の一部取り込まれてるから、IDもパスワードも認証も全部知られてるいるようなもんですからねー。あっさり操られちゃいました。」
自虐的に軽く言って肩をすくめてみせた。
花子は深くタバコを吸い込んで、煙を吐き出すと、チラっと一瞬斜め後のマキシを見て、
「…それだけか?」
と、短く聞いた。
その問いにマキシははっと顔をあげた。
花子の視線はもう自分が運転している車が走る明け方の二車線道路に向いていた。
マキシの席からはどんな表情をしているのか見えない。それが余計にすべてを見透かされれているように感じる。
「…あっ…いえ、俺が……。」
マキシは言いかけて、一端口をつぐんだ。
今、心に浮かんでいることを言葉に出すには、少しの勇気が必要だった。
マキシは横で眠っている礼真へ目を向けた。
頬の表皮が剥がれ、下の木肌がのぞいていて、痛々しい。それをしたのは自分だということを改めて噛みしめる。
マキシは礼真の頬に手を伸ばしたが、そこに触れる直前で、ぎゅっとその手を握り込んだ。
「レイマが…人形の体にどんどん馴染んで、強くなって…。俺がレイマを守るって一人で言ってるの…バカみたいっていうか。俺なんか置いて行ってしまうんじゃないかって…」
マキシは握り込んだ拳を額にあてて俯いた。
最後の方の声はほとんど音になっていなかった。
「はぁー本当にお前らはバカだな」
黙って聞いていた花子は、大きくため息をつきながら、カップホルダーに取り付けている灰皿に吸い殻をねじ込んだ。
「はい…?お前ら?」
「お前も礼真もバカだと言ってるんだ」
赤信号。花子は雑にブレーキを踏んだ。
慣性でマキシの体が少し前にずれたが、マキシはそれより前に体を乗り出した。
「も?」
「知らないのか?礼真はいつも仕事の後で、マキシの邪魔になってないか、足を引っ張ってなかったかって、一人反省会だ。反省会なら二人でやらんと意味ねぇのに、あいつもそのへん頑固だからな」
花子はまたタバコをくわえて火をつけた。
「レイマが…」
マキシはシートに座りなおした。
神社で二人で倒れたとき、礼真が泣き顔のまま怒って、
『ないの!俺の行くところっここしかないの!』
と、マキシの胸のあたりをボカっも叩いた礼真を思い出す。
あれは、隠すことない礼真の本心だった。
そして、その中に礼真もまた不安を抱えていたんだと、花子の言葉から気づかされた。
マキシは、礼真に手を伸ばすと今度は迷うことなく、髪に触れ、指ですき、そのまま手を滑らせて、頬を柔らかく撫でた。
「う…ん」
礼真が小さくむずがるように、眉間にシワを寄せたかとおもったら、へにゃっと眉をさげた。
殴って、掴んで、痛めつけた手が触ってるだよ…そんな無防備でいいの?そう思いながらも触れる手は止められない。
「もーそういうところだよ」
マキシは吐息ほどの音で言うと、礼真の肩の辺りでもぞもぞ動いているベア吉を、もう一度しっかり固定して、
「ベア吉、レイマの首が痛くなんないように…な?」
マキシの言葉を理解したのか、枕の役割を果たすべくベア吉は礼真の肩の上でおとなしくなった。
後ろの席でのやり取りが落ち着いたことを確認した花子は、スパーと煙吸い込んで、
「だいたいな!私の作る人形の性能を100%活かすにはお前らを足して2で割って3乗しても足りねぇんだよ!」
と、雑な口調で言い切った。
「た…して?2でわって3…?」
突然の言葉にマキシの頭はついていけない。
「他と自分を比べる暇があったら私の人形にふさわしくなるように性能あげることを考えろ!礼真にも言っておけ!」
「は…はーい」
とにかく、マキシと礼真はまだ花子の及第点をもらえるほどではないということだけはわかって、マキシは首を竦めて返事をした。
「それから、礼真がこの調子だと事務所は開店休業だ」
花子の声のトーンが少し変る。実務モードだ。
「あっそっか…てか、レイマ、どのくらいでもと通りになります?」
マキシもまたいつも調子に戻す。
「表皮だけじゃなく本体にまでヒビいってるからなぁ、霊力もかなり消耗しているし、全治1カ月ってところだな。お前は2週間」
「いっかっげ…にしゅ…」
単純にその時間の長さにマキシは絶句した。
「表皮とかヒビの修繕はめんどくせぇんだよ。それより、その間、事務所は無収入になるわけだ」
マキシの絶句はスルーして花子は珍しく深い溜息をついた。
「やばいじゃないっすか、なんかで稼がないと!」
マキシがシートから腰を浮かせた。
日頃常識が欠けていると言われることが多いマキシだが、無収入がおよぼす弊害はわかる。
「実は、サイバーセキュリティ関係の依頼が溜まってててな。怪異の方が立て込んでたんで、保留にしていたんだ。この機会に片づけろ。礼真もしばらく安静だし。お前は顔だけだから問題ないだろ。パソコン部屋に缶詰になってろ」
いつもの決定事項を告げてくる調子で花子が言う。
「は?はぁーーー!?」
マキシは声を上げた。
怪異からみで繋がりのできた企業に、マキシはシステムの脆弱性やバグがあることをちょこちょことアドバストすることはあったが、正式にそういう依頼が来ていることは知らなかった。
花子の基準の『溜まっていて』がどのくらいのなのか想像するだけで、汗など出ない体ではあるが、内側にいる魂は確実に冷や汗をかいている。
信号が赤になる。
「とにかく、働け。家賃滞納になったら追い出されるぞ。私たちミロクセキュリティの未来はお前の肩にかかっている!」
ブレーキを踏んだままで、花子はばっと振り向いて、びしっとマキシに指をつけて言った。
花子の事務所、マキシの職場、ミロクセキュリティ。花子がその未来を真剣に考えいるとは思えないが、その台詞は一度言って見たかったんだろうなぁ…と思いながら、
「…がんばります」
と、マキシはがくっと頭を落として、答えた。選択肢はない。
「それと」
少しの沈黙があって、花子が言った。
「まだあるのぉ?」
マキシが悲鳴のような声を上げる。
信号が青に変ったが、珍しく一瞬、花子のアクセルが遅れた。
「それと…今回の現場、お前がいた場所だったという情報が漏れていたのは、私のミスだ。すまなかった」
マキシは、はっと目を開いて、花子を見た。
マキシの場所からでは花子の表情までは見えない。運転はいつもどおりスムーズだっだが、ハンドルを握っている手にいつもより力がこもっているように見えた。
花子の言葉を飲み込んで、噛みしめる。
あの神社が、自分が暮らし、命を落とし、その後500年過ごしていた場所だと知っていたとしたらどうなっていたか…考えかけてマキシは軽く首を振った。
「…所長…あっあのっ、いや…、その情報があっとしても、多分状況は変わらなかった思います」
マキシが静かに答えると、
「…そうか」
花子が短く答えた。
その花子の後ろ姿を見つめて、
「あの!」
マキシは声を上げた。その声の大きさに、びくっと花子の肩が上がった。
「なんだ、声でけぇ、礼真が起きるぞ」
マキシはあっと口を押さえて、礼真の方を咄嗟に見たが、起きる気配は全くないことを確認して、
「これからは二人で反省会します」
今度は少し声を落として、それでもはっきりと誓うように言った。
「そうか」
さっきと同じ返事だったが、ほんの少しだけトーンが上がったような声だった。
「このっこのクソコードが」
マキシは一人パソコンの前で毒づく。
事務所の収入を確保する為のIT関係の仕事をマキシは文字通り不眠不休でこなしていた。
あれから2週間が経っていた。
マキシの体は完全に修復され、礼真に殴られて表皮が剥がれた頬もすっかり元通りになっていた。が、礼真の方は花子の見立て通り修復に時間がかかるらしい。
礼真の方は、安静を言い渡されて私室から出ることを禁じられていた。
そんなわけで、マキシは2週間、礼真の顔を見ていない。
「はぁーもうザルかよ、このセキュリティはー」
マキシがイラつきながら、ガシガシと頭をかいていると、トントンと控えめなノックの音がした。
「マキシ、ちょっといい?」
礼真の声がする。
マキシはばっと立ち上がると、ドアを開けた。
小さいコンビニの袋を下げた礼真が立っていた。
もう動いて大丈夫なの?
コンビニ行ったの?
顔、見たかったよ。
そんな言葉がいっぺんにマキシの頭の中を駆け巡って、逆に口からなにも出てこない。
無言で、少し怒っているような顔のマキシに、肩をすぼめるようにして小さくなっている礼真が、
「…あの…ごめん、邪魔…して。仕事大変って聞いたから、差し入れ持ってきた。これ渡したかっただけだから…」
まだ、黙ったままで自分を見下ろしてくるマキシに、電子タバコのカートリッジを差し出す。
「さっきコンビニ行った。新商品出てたから。トロピカルフルーツフレーバー…」
しょもっと眉を下げて、控えめにコンビニの袋を差し出す礼真の手には保護の為の包帯が巻かれていて、顔にも大きな絆創膏がはられている。
まだそんな状態なのに、マキシが詰めて仕事をしてると聞いて、差し入れをしようとコンビニまででかけたのだろう。
体の奥の方がきゅっとなって、マキシは思わず目の前の礼真を抱きしめていた。
なにより2週間ぶりの再会である。マキシからしてみれば、完全な礼真不足だった。
「えっ…あっ」
「ありがと」
いきなりの抱擁に戸惑ってしる礼真をよそにマキシは礼真の額の生え際の辺りに頭をおしつけた。そこですぅと深呼吸すると、礼真がいつも吸っているメントール系の電子タバコの匂いがする。
礼真の匂いだ…と、マキシはまた深く吸い込む。
電子タバコでは甘いフレーバーを好むマキシだが、礼真から香るメントールの匂いに満たされる。
しばらくそうしていて、やっとマキシから解放された礼真は、吸われた辺りに手をやって、真っ赤になって俯いた。
「あ…えっと、じゃあ…俺、部屋に戻る。こっそり抜け出したから所長に見つかるとヤバいし」
「もう行っちゃうの?いいじゃん。もうちょっとだけ」
じっと見つめてくるマキシの視線からうろっと目を反らして、逃げるように去ろうとする礼真の腕をやんわり掴んで、マキシは部屋に引き入れた。
「でも、邪魔になる」
へにゃっと眉を下げる礼真を強引にソファベッドに座らせる。
「ならない、ならない。ってか、ずっとプログラムばっかり見ててどうにかなりそう、癒されたい」
ゲーミングチェアを礼真の前まで引っ張ってきて、マキシが座る。
「あっ癒し?ベア吉連れて来ようか?」
礼真がぱっと顔を輝かせて、立ち上がろうとするのをマキシが止めた。
「いやいや、クマはいらないから、俺には礼真が癒しなの」
包帯が巻かれた手にそっと触れながらマキシが、柔らかく言うと、
「…そ…」
ちょっと驚いた顔をした礼真はすぐに恥ずかしそうに目を伏せた。
ソファに座りなおした礼真は、なにかを走り書きしたメモや電子タバコのカートリッジが雑多に置かれているパソコン回りを見て、
「仕事大変そうだな。俺もそっち系の仕事手伝えたらいいけど、なんにもできないから」
と、悲し気に溜息をつく。
『お前も礼真もバカだと言ってるんだ』
あのときの車内での花子の言葉が言われたときのままで脳内に再生されて、マキシは苦笑した。
たしかに、自分も礼真もバカだな…と今なら思う。
「礼真は現場で前衛で物理的なもん相手にするのが仕事でしょ。で、今はしっかり回復するのが仕事。」
「前衛なのは、それしかできないからだし…」
礼真は声を小さくしてだんだんと下を向く。
「俺だって、これしかできないよ」
マキシが差し入れのトロピカルフレーバーを吸いながら、後ろのパソコンを指さした。
「それにさ、こうやって俺の好きなもの差し入れてくれて、顔見せてくれて、俺のHPもMPも完全回復したからね」
と、微笑んだ。
その笑みにつられるように礼真の表情も緩めると、あっと小さく声をあげて、
「そういえば、あの神社に地縛霊時代のマキシの残り?残滓だっけ?それってクラウドに入れる?」
礼真が聞いてきた。
花子にマキシが簡単に操られてしまった経緯を聞いてから、ずっと気になっていたらしい。
「うん、俺が取り込むのは無理なんだよね。なんか拒否反応出てて」
マキシはふぅと煙を吐くついでのようにため息をついた。
自分の一部だった残滓は、マキシであってマキシではないものになっていた。
マキシ自身はそれも仕方のないことだと思っていた。ただ、残滓でもかなりの霊力をもつ残滓を放置することはできない。
「そっか…なぁ残滓ってマキシの何パーセントくらい?マキシ全部が100としたらどのくらい?」
礼真が真剣な顔で聞いてきた。
「うーん、3%くらいかなーほんの少しだよ。俺も気づかなかったくらい少し」
面白いことを聞くなぁと思いながらマキシは、首をひねりながら答える。
マキシの答えを聞いて礼真は、少し沈黙のあと、
「…その、3%マキシ、俺が持ってたらダメ?メモリースティックとかに入れられるだろ?」
と、言ってきた。礼真がこんな風にお願いをしてくることは珍しい。
「ま?できるけど、なんで?」
「今のマキシって3%が欠けてるっことだろ?だから、その3%マキシ俺が持ってたら…ここにいる97%のマキシと合わせて、100%のマキシといつも一緒にいるってことに…なる…だろ?」
マキシの問いに、礼真は自分の頭の中にある考えを一生懸命に言葉にして伝えてくる。
その言葉にマキシの頭の中は一旦、処理落ちする。
3%の残滓を礼真が持つ。
ここにいるのは97%のマキシ。
礼真が3%持つと100%のマキシといつも一緒にいることになる…とは?
キュルキュルと音はしないが、マキシの頭が高速で回る。
そして、礼真の言葉の意味を理解する。
礼真にとってマキシと一緒いることは決定していることで、そのマキシが欠けているならどんな形でも100%のマキシと一緒にいたいということ。
マキシの体の中にある魂が震えた。
それは、数十年前、あの神社であの場所に縛られていたマキシがうっかり落とした目玉を、子供の頃の礼真が拾って、手のひらに置いてくれたときに、感じた衝撃だった。
あのとき、マキシは礼真がどんな人間かも知らないのに、瞬間で落ちた。
自分がこの子供もにしてあげられることはないかもしれないけど、そばにいたいと願った。
ただ願った。
マキシが黙ってしまったことに、
「ごめん、無理だったらいいよ」
礼真は眉をさげて、謝ってくる。
マキシを困らせてしまったと思っているらしい礼真に、
「あっごめん。いや、いいよ。レイマがかなり暴れても壊れないメモリースティック作るからちょっと待ってね」
慌てて謝り返して、言葉を続ける。ぱっと礼真の顔が輝いた。
「うん!でも、3%マキシのバックアップはちゃんと取れよ」
「え?礼真が持っててくれるなら、バックアップとか取らなくてよくない?」
マキシがしれっと言うと、
「いやいや、そりゃ壊さないようにするよ。絶対、失くしたり、壊したりしない…けど、俺、基本前衛だし…万が一ってことあるから…うぅ…じゃあ、仕事ときは持って行かないようにする…」
礼真は焦ってあわあわしながら言っていたが、だんだんとしゅんとなって最後には俯いてしまった。
マキシは笑いをかみ殺した。かわいすぎる。
「ふはは!冗談だよー俺はどんな子のデータもちゃんとバックアップとるよ。もちろん、俺の残滓もね」
「っ!もーマキシ!」
「ごめん、ごめん」
マキシに揶揄われたことがわかった礼真が手を上げて、その手をマキシが掴んで、二人で笑いながらじゃれ合っていると、
「おい、お前ら楽しそうだな」
と、地を這うような声がドアの方から聞こえた。
抱き合うようになっていたマキシと礼真はその声に固まった。
すんっとした花子が腕を組んで仁王立ちになっている。
口の端が上がって笑っているようにも見えるが、笑っていない。
ごくっとマキシも礼真も息を飲んだ。
「マキシ、仕事は終わったのか?礼真はどうしてここにいるんだ?」
「すっすみません、すぐっ終わります。すぐっ」
「ごっごめんなさいっ部屋戻ります!」
花子の言葉にマキシはバッとパソコンに向かい、礼真は逃げるように部屋を出て行った。
「ったく…手のかかる従業員だ、なぁ?」
二人を見て、花子は足元のベア吉を抱き上げた。
バタンとドアが閉められて、部屋に一人になったマキシは、礼真からの差し入れのカートリッジを電子タバコに差し込んで、吸い込んだ。
甘いくフルーティーに香りに体の奥が満たされるような気分になる。
マキシは、クラウドにアクセスして自分の残滓を呼び出して、メモリースティックに入れられるようにデータ化し、圧縮して、少し考えて『M03』と名前をつけた。
「あとは、バックアップとって、メモリースティックか。どんなメモリースティックしようかなー」
ネット通販のページを開く。
メモリースティック眺めながら、
「3%残滓か…うん、2%分の俺も入れとこー礼真を守れるようにね」
良いことを思い付いたとマキシはふふっと笑う。
怖い思いも、痛い思いもさせない、必ず守ると思っていた。
けれどそれではあまりに一方通行だ。
礼真が自分に向けている思いと、自分が礼真に向けている思いは、交わったり、少し離れたりしながらも、きっとずっと隣にある。
守るという気持ちは変わらない。
けれど自分も礼真に守ってもらおうと思う。
「手始めに俺5%をレイマに預けますか」
数日後。
依頼されていたサイバーセキュリティの仕事が一段落したマキシと、安静が解除された礼真は事務所で、久し振りに顔を合わせていた。
「レイマ、約束のメモリースティックだよ」
マキシが礼真に首から下げられるように鎖がついたメモリースティックを差し出した。
市販のメモリースティックに、花子が人形作りの仕上げにつかうコーティング剤を塗り込んだり、その他にもいろいろと工夫をして、耐久、耐水、耐熱すべての性能をあげた特別製だ。
「ありがとう!」
ぱっと顔を輝かせた礼真がメモリースティックを手にして。
「マキシ色だ」
と笑う。
メモリースティックは黒と黄色のツートンカラーに緑のラインが入っていて、マキシの金髪と緑の目の色になっていると、礼真は笑ったのだ。
マキシは目を細めると、黒のところをトンと指さして、
「レイマ色もね」
くゃっと礼真の髪に触れた。礼真の髪は青みかかった黒だ。
マキシの言葉に礼真がさっと頬を赤くして、それを誤魔化すように、メモリースティックを首からさげた。
ミロクセキュリティの事務所の中には霊的防犯対策の為に鏡はない。
礼真は夜の窓に自分の姿をうつして、しばらく眺めて、
「なぁこれかっこよくない?近未来なアクセに見えない?」
珍しく興奮気味にマキシの前でポーズを取る。
普段、あまり自己主張をすることがない礼真のその姿に、はしゃいでいるかわいいーと思うが、さすがにメモリースティックはアクセサリーには見えない。
「メモリースティックを首から下げてるだけに見える」
マキシがクスクスしながら言うと、
「いいよー言ってろ、俺がかっこいー思ってるからいいんだよー」
礼真はぷっとして、
「な!ベア吉ー」
と足元にいたベア吉を抱き上げて、ぎゅとする。
ベア吉もうれしそうに礼真にぎゅっとしてから、礼の胸元にあるメモリースティックを不思議そうに見つめて、手を伸ばした。
「あっダメだよ、これさわっちゃだめ。ごめんな」
ベア吉の手が触れる前に、礼真はメモリースティックをパーカーの内側に隠した。
隠されてしまったことを、ベア吉は特に気にした風はなかったが、礼真の胸元と、マキシを何度か見比べて首を傾げた。
あっこいつ、気付いてるかも…とマキシは内心ヒヤっとする。
礼真には残滓3%にプラスして本体2%を入れていることは言っていない。あくまで、マキシがこっそり忍ばせた2%なのだ。
「手編みのセーターに自分の髪の毛を一緒に編み込むのと同じだな。」
いつの間にか帰って来ていた花子が、マキシの後ろを通りながら、ボソッと言った。
マキシは、ばっと花子を見たが、花子はいつも通り退屈そうな顔で、自分の席についた。
「所長、見て。これかっこいいでしょ?」
礼真はうれしそうに花子にメモリースティックを見せる。
花子はじっとそのメモリースティックを見つめてから、マキシの方を見てうっすら笑った。
「そうだな、礼真にはかっこよく感じるだろうな。似合っている。なぁマキシ?」
「そっソウデスネ…」
出るはずのない冷や汗を感じながら、マキシは答えた。
それから、礼真はどこに行くときでもそのメモリースティックを首から下げるようになり、しばらくはマキシはベア吉と花子から意味深に見つめられて居心地の悪い思いをすることになる。
See you next heart….
「っ!」
咄嗟に距離を取ろうとした礼真だったが、マキシから立ち上がった霊力は、その足元の水たまりから、次の水たまりへと伝って広がり、礼真を取り囲む。
霊力は放った本体から離れると、徐々に薄くなっていく。
『霊力を直接広げると拡散して減衰するから。導体を使った方が効率いいんだよ。特に硬水がいいね、伝導率がいいから』
以前にマキシが言っていたことを思い出す。
いつも仕事のときに、マキシが現場に水をまいているのを、そういうもんなんだというくらいで、見ていたが、こうやってマキシと対峙してみるとこの水の意味が見えてくる。
マキシが一気に距離を詰めてくる。
大振りの一撃。
マキシの間合いから逃れようと、後ろに下がりながら右へ動いた礼真だったが、マキシの拳は頬に当たった。
「えっ…」
かする程度だったが、礼真の感覚では確実に避けられた攻撃だった。
次が来る。
礼真を掴もうとする手が伸びてくる。
礼真は後ろ、左右にステップを踏むように逃げるが、自分の体が水中にいるかのように、自分の動きが遅いことを感じていた。
足がもつれる。
そこらじゅうにまかれた水から立ち上がるマキシの霊力が礼真の動きの邪魔をする。
空間全部がマキシで満たされるそんな状態だった。
「くっ…」
伸びてくるマキシの手を、体をひねるようにしてなんとかかわす。
いつもの礼真の感覚でいけば、間合い外まで逃れられはずだったのに、足が思うように動いてくれない。
「動きづら…」
無意識に呟く。
マキシ本体からの手だけではなく、水から上がる霊力からも手が伸ばされ掴もうとしてきている感覚。
霊体は実体に直接的なダメージを与えることはできないが、マキシの霊力は体の中にある魂に絡みついてくる。
礼真が怪異をマキシの待つ結界まで追いこんで、マキシが怪異を取り込むといういつもの流れ。
いとも簡単に怪異を取り込んでいるように見えたマキシのやっていたことを、礼真は今身をもって体験していた。
表情を持っている怪異たちの顔が、マキシと対峙したとき恐怖に歪む理由を理解する。
どこに逃げても、霊力の手が待っている。
そして今は、それに加えて本体のマキシが攻撃を仕掛けてくる。
「行くなっ置いていくな!」
そんな言葉と共に伸ばさる手。指先が礼真のシャツに引っかかってそこをひっぱられる。
「っうわ」
礼真はなんとか振り払って、後ろへ逃げたが水たまりに着地してしまう。マキシの霊力の上に乗ったようなものだ。
「っぐっぁあ!」
足首を動かしている魂に直接、攻撃をされる。
礼真の魂はそれを痛みと感じる。ねじり上げられる激痛に悲鳴を上げた。
マキシは礼真が動きを止める為に、礼真の核である魂が消滅しない程度のダメージを与えてくる。
痛む足を引きずるようにしながら、礼真はマキシを見据えた。
『もー魂に触らせちゃダメ、ちゃんと霊力でカバーしないと、消滅させられちゃうよ』
以前にマキシに言われた言葉を思い出す。
そのときのマキシは礼真に注意しながらも、『心配しています』という思いが表情、態度、口調全部に現れていた。
そして、そのあとでいつものように礼真の髪をくしゃっとしてくれた。
いつも優しく触れてくれる手が、今は怖くてたまらない。
「置いていくだろぉお!」
マキシが突っ込んでくる。礼真は咄嗟にその手を払った。
「強くなったもんなっ!」
足を払われる。ジャンプでかわすが高さがでない。
「もう俺が守る必要ないよなぁあ!」
礼真はマキシの言葉に呆然する。
なにを言っているのか。
先を行くマキシに置いていかれないように必死だった。
マキシのように強くならないといけないと思っていた。
守ってもらってばかりじゃダメだと思っていた。
「置いていくんだろっお前もっ!」
泣きそうに顔を歪めて叫ぶマキシに、反論しようにも、次々に投げつけられる激しく強い言葉に、思考が追いつかない。
同時に、マキシは攻撃の手も緩めない。
簡単に掴まえることができないと判断したのか、マキシは本体と霊力で確実に礼真の体にダメージを蓄積していく。
足が痛い、腕も痛い、頭も、もうどこもかしこも痛い。
人形の体で息が上がるということはないはずなのに、頭に、体に酸素がまわっていないように感じる。
それでも、動きを止めることは許されない。
ガツっとマキシの拳が、礼真の顔に入った。
強い衝撃に、頭の中身まで揺さぶれる。
痛いより、熱い。
「くっ…」
顔を歪めた礼真を見て、マキシがうっすらと笑った。
そのマキシの顔を見て、礼真の中で何かが弾けた。
体も思考ももう限界だった。
礼真はぐっと拳を握りこむと、振りかざすことなく、そのままマキシの顔に叩き込んだ。
ガッと重く、鈍い音。
手加減なしの一撃。
当たった頬から全身を揺さぶるほどの衝撃。
マキシの目が大きく見開かれた。
「えっ…」
マキシが小さな声を上げた。
マキシ自身も、境内中に広がっていたマキシの霊力も、それを動かしていた激しかった感情が、その瞬間、空白の穴にはまったように動きを止めた。
人はありえないことを突きつけられると、一旦、感情がフラットになるらしい。
棒立ちになったマキシは、礼真に殴られた頬に手をやった。
「…痛っ…」
触覚はあっても痛みを感じたことなど今までなかったのに、礼真の拳が当たった頬は、熱く重く痛んだ。
表皮もその下も、その内側で支えている魂にまで届いた痛み。
初めて感じた痛みは、その場所だけではなく、体の深い場所までも刺激した。
マキシは何度かまばたきをすると、目の前の礼真を見つめた。
礼真はマキシを殴った腕をだらっと垂らして、肩を息をついていた。
礼真はボロボロだった。
羽織っていたシャツは破けて布が体にまとわりついているようになっている。その下のTシャツはところどころ裂け、水たまりの中に何度も込んだせいで、泥まみれ。
半袖から見える腕は、表皮が剥がれて人形の本来の木肌や関節が見えていた。
そして、なによりその顔は眉が下がり、唇が細かく震え、喉の奥からひくひくと小さな音が漏れている。
人形の体では涙を流すことはできないが、礼真は泣いていた。
マキシの顔色が変る。
「っレイマ泣いてる…」
「なっ泣いてないっ!…っぅ…ひっく」
伺うようなマキシの声かけに、礼真は反射で返してから、込み上げてきたものにしゃくり上げた。
「泣いてるじゃん」
人間だったとき、かなりつらい目にあったときでさえ、こんな泣き方をする礼真を見たことがなかったマキシは、オロオロするしかない。
ひっくひっくして、ぐっと唇を噛みしめて耐えている礼真に、固まっていたマキシの頭の中が高速で動き始めた。
礼真が泣いている…身体も服もボロボロ…すごく痛そう…だって礼真は痛みを感じる。
視覚からの情報が整理される。
誰がレイマをこんな風に…あっ…俺…か。
ここにきた仕事の内容を思い出し、まわりに広がっている自分の霊気、身体に残る感覚で自覚する。
自分が礼真がここまで追いこんだ。
すぅとマキシは自分の腹の辺りが冷えるのを感じていた。
礼真はまだ混乱の中にあるのか、ただじっとマキシを見つめている。
その礼真をじっと見つめ返しながら、マキシははっと顔を上げた。
「…いや、違う…お前だっお前!」
マキシは自分の後ろにはりついていた浮遊霊を睨んだ。
ぶわっとまたマキシからさっきまでとは比べ物にならない強大な霊力が湧き上がる。
「っひっ!」
すぐに浮遊霊は逃げようとしたが、その体はすでにマキシの霊力に絡み取られていた。
「元凶その1っ逆恨みヒステリー!お前のせいだ。自分が振られたからって、勝手に自分で命断って、浮遊霊になって、幸せな恋人を妬んで殺し合いさせて。意味のねぇことやってんじゃねぇよ。」
マキシは霊の胸倉を掴むとガンガン揺さぶる。
「やるなら自分を振ったヤツにやれ。霊になっても元彼には本心言えねぇってか!恨み事でも、好きだったでもっなんでも伝えろよっ!」
一気に捲し立てるマキシに、今までヒステリックに喚き続けていた浮遊霊は、ただ口をぱくぱくさせることしかできない。
「そんでっ直接呪え!」
最期に一喝された浮遊霊はあっと言う間に、マキシの手の中のスマホに吸い込まれた。
「それからっ元凶その2!この神社に取りこされていた俺っ!置いて行かれた、置いて行かれたって知るかっ!俺なんか礼真に泣かれて、ガチで置いて行かれかもしれねぇんだぞっこっちの方が深刻なんだよっ」
マキシは自分の中のあったものを引きずり出した。小さく丸い白い玉だ。
マキシはその玉をぎゅうぎゅうに絞り上げながら、
「俺の一部ならちゃんとついて来いやっ。文句あるから俺に言え。つーかこんな三流浮遊霊に取り込まれて、いいように霊力増強装置にされてじゃねぇよ。こっちは500年地縛霊だぞ、そのへんのぽっと出の浮遊霊とレベルが違うんだよ。なに利用されてんの、俺が恥ずかしいわ。」
言うだけ言ったマキシは、ギリっと玉を絞りきって、くたっとなったソレをスマホの中へ取り込んだ。
「レイマ!」
マキシは礼真に向き直った。
「マキシ…」
マキシの様子を見て、いつものマキシに戻ったことがわかった礼真の身体から力が抜けた。
ギリギリで持ちこたえたものが限界を越えて、礼真の身体ががくんっと文字通り糸が切れた人形のように崩れる。
「レイマっ!」
倒れる礼真の身体をマキシが受け止めたが、マキシ自身も礼真を支えられるほど、力は残っていなかった。
「えっ…え?」
かかってくる礼真の重みに耐えきれず、マキシは礼真を抱きしめた状態でそのまま後ろ向きに倒れた。
ガシャーン!
地面にぶつかる。そのままどーんと倒れた二人から音が上がる。
マキシは礼真を抱きしめて、礼真が地面と直接衝突することだけは避けた。
「レイマ…」
確かめるように名前を呼んで腕の中にある頭をそっと撫でようとすると、びくっとその体が震えて固くなる。
礼真にしてみれば、今のマキシがいつものマキシだとわかってはいても、さっきまで、殴りつけて、掴まえて、その体に痛みを与えていた手だ。考えるよりも体の方がそう反応してしまうのだろう。
それほどまでに、礼真を苦しめたのだと改めて突きつけられたマキシの胸の奥の魂がぎゅっと縮むように痛んだ。
何度か息を吐いて、怖がらないようにそっと、ゆっくりと礼真の頭に手を置く。
「ごめん、レイマ。俺、怖い思いも、痛い思いもさせないって約束したのに、全然約束…守れてないね」
囁くほどの声でマキシが弱弱と言うと、ぴくっと礼真の肩がはねて、
「本当だよ、最初に殴られたときめちゃくちゃ痛かったし、マキシがマキシじゃなくなってすごく怖かった!」
マキシの胸に顔をつけたままで、くぐもった声で礼真が答えた。
あのときマキシは操られているような状態ではあったが、意識ははっきりしていて自分のやったことは全部覚えている。
礼真が言った、痛かった、怖かったは言葉以上のものだということもわかる。今更ながら自分のやったことに恐怖すら感じながら、マキシは震えそうになるのを堪えて、礼真の頭の撫で続ける。
「…本当にごめんなさい」
こんな言葉しか出てこないのがもどかしい。
「バカ」
マキシの謝罪に秒で礼真が返してくる。
「はい」
たしかにそうで、そこは肯定するしかない。
「マキシ置いて俺がどこに行くんだよ」
礼真はぐりっとマキシの胸に顔を押しつけて言った。
「えっえと…」
操られている間…いや、ここのところずっとマキシの胸の中にあった礼真が自分を置いていってしまうのではないか考えていた。今もその思いが心に居座っている。
どこに行くかとマキシに聞かれても、それはマキシが聞きたいことで…言い淀むマキシに、礼真が顔を上げた。
「ないの!俺の行くところっここしかないの!」
ボスっと礼真はマキシの胸をグゥで叩いた。
容赦のない一撃。
「ぐっ…痛っ」
マキシが声を上げると、
「俺の方が痛かった!」
また秒で返されて、礼真はバフっと荒く頭をマキシの胸の上に戻した。
「はい、すみません」
また戻ってきた礼真の頭をマキシはぎゅっと抱きしめると、その髪に唇をつけて、
「本当にごめんね」
そこに吹き込むように囁いた。
マキシの唇が動く感触を感じながら、
「もう、いいよ」
赤くなってきた顔を礼真はマキシの胸に押し付けた。
しばらくそうしていたが、マキシが礼真を腹の上に乗せたまま、起き上った。
自然と礼真はマキシの太ももの辺りに座るように形になる。
「わっごめん」
礼真は慌てて、マキシの上から退こうと立ち上がったが、すぐに顔を歪めて、倒れ込んできた。
マキシは今度はしっかり礼真を受け止めた。
「っう…っ…」
マキシのパーカーをぎゅっと握って声を殺す礼真に、マキシの胸の奥がぎゅっと痛む。
マキシはスマホを取り出してタップすると、耳に当てた。
「すみません。迎えにきてください。えっと…あ…」
「所長呼んだの?」
礼真が伺うように聞く。
「俺もレイマもこの状態だしね。さすがに自力で帰るのは無理でしょ。ゆっくりでいいから、立てる?」
マキシは言うと、礼真の腕を取って慎重に立ち上がらせた。
痛めた足をかばいながら、立ち上がった礼真の前にマキシがかがんで、
「はい、おんぶ」
と、言うと礼真は、少しの沈黙のあとに素直にマキシの背中に体を預けてきた。
自分の体の状態や、あの石段のことを考えて、自分が歩くことと、マキシにおぶさることどっちの方がより迷惑がかかるか考えたらしい。
マキシがよっと声を出して、礼真を背負って立ち上がって歩き出した。
背中の上で礼真の体がガチガチに緊張しているのが伝わってきて、マキシは笑いを噛み殺した。
「重くない?」
マキシの耳の近くで控えめな声が聞いてくる。マキシは少し笑いながら、
「ぜんぜん」
と、答えると少しだけ礼真の体が緩んだ。
石段を下りていると、振動が大きくなったせいか、礼真がぎゅっとマキシにしがみついてくる。
ちょっと苦しいとマキシは思いながらも、黙ったままで慎重に石段を下りていると、礼真が話かけてきた。
「所長、なんて言ってた?」
さっきの電話が気になったらしい。
「わかった、って」
「それだけ?」
「それだけ…っていうか、それだけなのがすごく怖い」
マキシが答えると、
「体、壊しちゃったこと怒られる?」
怖いと言ったマキシの言葉に、礼真は体を固くして、伺うように聞く。
「場合による。だから、所長のご機嫌を伺いながら、こうっふわっとした感じて報告しよう。じゃないと、帰りつくまで車の中、針の筵…いや、上司の愚痴を本人に誤爆した次の日にその上司と二人っきりの出張ってくらいの空気になる」
「…それ、めっちゃやばいじゃん」
いつもどこかズレているマキシの例え話。今回は的確に伝わったらしく、礼真がごくっと息を飲んだ。
「そう、だからそうならないように、なるべく刺激しない言い方ね」
「わかった…」
マキシが言うと、その背中の上で礼真はこくこくと頷いた。
石段を無事に下りて、遊歩道を進み、公園の駐車場まできて、マキシは礼真をベンチに下した。
「ありがと」
「どうしたしまして、足、痛い?」
礼真の前に跪いてマキシはそっと礼真の足に触れた。
人形の体は痣がついたり、腫れたりすることはなく、見た目だけではわかりにくい。
「んっ…多分、関節の紐が切れてると思う」
礼真は痛めた足をちょっと動かそうとして、顔をしかめる。
「そっか…」
マキシはと触れていた足から手を離して、俯いた。
その顔に礼真が手を伸ばしてきた。
「マキシも…顔…それ」
「ま?」
礼真に指先で触れられて、マキシは自分でもその場所に触れた。
マキシたちの体の表皮は人間にしか見えないような特殊にコーティングがされているが、触れてみるとそれが剥がれて、中の木肌の感触が触れる。
「あー剥がれてる。けっこうひどい?」
「うん、ごめん、俺手加減なしでだったから」
しゅんとする礼真の頭をくしゃっとしながら、
「それはしょうがないでしょー礼真のだって、あちこち剥がれてるよ」
マキシは半そでから覗く礼真の腕を指さした。
「あっ…本当だ」
マキシに言われて、自分の腕を見て礼真は声を上げた。
手の甲から手首、何本かの指が表皮が剥がれ、その下の木肌にもヒビが入っている。
「………」
しばらく無言でそれを見つめていたマキシはなにかを思い出したらしく、体をびくっとさせて、
「これは…ガチでやばい」
と、呟いて頭を抱えた。
そこへ一台の黒いミニバンがが駐車場に入ってくる。
「あっ来た」
「うわっ嬉しいけど、嬉しくないっ」
礼真がパッと顔を輝かせる。マキシもほっとした表情になったすぐに複雑な顔になる。
運転席がちょうど二人の前になるように横づけにされ、窓ガラスがスーと下がって、花子が二人の姿をさっと見た。
「しょっ所長、すみません、ありがとうございます」
無言の花子に、マキシが珍しく丁寧に礼を言う。
後ろのスライドドアが開けられて、礼真は運転席の後ろ、マキシは助手席に後ろに乗り込んだ。
礼真が席に着くと、助手席にいたベア吉が跳ねるように礼真のところにきて、当然のようにその膝にのってくる。
いつもの柔らかいその感触に触れて、礼真はふっと笑みを作ると、
「ベア吉も迎えに来てくれたんだっ」
と、ぎゅっと抱きしめる。
「♪」
ベア吉も嬉しそうに礼真にぎゅっと返してから、
「?」
と、礼真の表皮が剥がれた手の甲をじっと見つめて、礼真の顔を見て、また手を見てふわふわの手でそこを撫でた。
礼真の顔がくしゃっと歪んで、
「大丈夫、もう痛くないよ…」
震える声で言いながら、礼真はベア吉の頭に顔をうずめた。
「レイマ…」
その礼真の姿にマキシの胸の奥かまたぎゅっと痛む。
「で?」
そんな中、車を発進させた花子の声が響いた。
マキシはびくっとして、
「あっあの、恋人にフラれて自殺した女が浮遊霊になって、恋愛スポットになってたあの場所で逆恨み増幅させて、恋人たちを憎しみ合わせる精神操作してました。その浮遊霊は回収しました。」
早口で説明した。
「そうかぁ、お前らがそんな状態になるってことは、その浮遊霊とやらは、物理攻撃もできるようなかなりの強力な悪霊だったというわけだな」
花子はスムーズな運転をしながら、静かな口調で聞いてくる。
「えっ…えと…」
花子が言わんとする悪霊に遭遇する確率などめったにない。どう答えればいいのか…とマキシが言い淀んだ。
「俺のこれは、マキシが浮遊霊に操られて、俺を殺そうとして攻撃してきたからで。マキシの顔は俺がテンパって殴っちゃったんです。だから…すみません…」
ベア吉に顔を埋めていた礼真が顔を上げて、素直な報告を花子にする。
「レイマぁーーっちょっと待ってぇー違うよねー」
なるべく刺激しない言い方をしようと約束したでしょー?とマキシは悲鳴を上げた。
「違わないよ」
ベア吉を抱えたままで礼真が首を傾げる。
「いや、違わないけど、もうちょっとオブラートにつつ…ん…で」
そう違ってはない、違ってはないが…とマキシがあわあわしていると、
「ほぉ…なるほど、それは強敵だったなぁ」
運転席から車内の温度を冷え込ませる花子の声が上がった。
「あっ…はい…すみません」
マキシは体を縮めるように俯いたまま、ちらっと恨めしそうに礼真を見て、目を丸くした。
ベア吉を抱いた礼真の手からも体からも力が抜けて、首ががくっと前に倒れていた。
寝ている。というより落ちたに近い。
マキシ、花子、ベア吉がいるという事実に、気が抜けてしまったのだろう。
マキシは体を伸ばして、意識のない礼真の肩の辺りにベア吉をはさんで、
「ちゃんと枕になってろよ」
と言って、礼真の頭がグラグラにならないようにすると、後ろの荷物スペースからブランケットを取って、礼真の体を包んだ。
静かな寝息を立てる礼真の髪をくしゃっとしてから、マキシははぁ…と息をついてシートに座り直した。
「寝たか?」
花子の声がかかる。さっきまでの詰問口調ではないずいぶんと抑えた声だった。
「はい、かなり…削ってしまったんで」
マキシも礼真を見ながら、静かに答えた。
「そうか、それで?どうしてここまで事態になった?」
花子は視線を前に固定してたままで、聞いてくる。法定速度。運転は静かだ。
「あの神社、俺がいたところでした」
マキシは少し呼吸を整えてから言った。
一瞬、花子が息を飲んだ気配がしたが、声はない。マキシは続けた。
「奥津見神社とか立派な名前になっちゃって。俺がいたときは村のヤツらはお社とかって呼んでたし。しかも恋愛パワースポットって、まさか自分が埋められたところがそんな浮かれた映えスポットになってるとは思わないじゃないっすか」
マキシの魂に一瞬だけ、背中にドサっとかかってきた重く冷たい土の感触がよぎる。が、マキシはそれをさっと振り払うと、笑った。
花子は手探りでタバコを取り出してくわえる。火はつけない。
「500年っていうのは思いのほか長ぇからな」
「ねぇーそれー」
花子の言葉にマキシが冗談のような軽さで同意する。
「『ねぇー』じゃねぇよ、それで?」
「……あそこに俺が残ってたんですよ。500年あこそにいたどうしてもあの場所から離れられなかった俺の…残り…」
声のトーンが下がる。マキシはその自分の残りを取り込んだスマホに目を落とした。
「残滓だな」
花子はぽつり言うと、我慢できなくなったのか、最近では珍しくなった車のシガーライターからソケットを抜いて、赤く熱をもった先端でタバコに火をつけた。
マールボロの匂いが車内に広がる。花子は少し運転席の窓を開けた。
「そう、そうっすね、残滓。まあ、残滓っつても俺なんでかなりの霊力あって、逆恨みヒス浮遊霊が霊力の底上げに取り込んだんですよ。」
マキシも窓を少し開ける。タバコの煙は車内を漂いながら、開いた窓から外へ流れていく。
「それでヒス浮遊霊にしてやられたか」
花子が軽い口調で言った。
マキシの能力を知っている花子の少し揶揄する言い方に、
「普通のならそんな低級に侵入なんかさせませんよ。けど、俺の一部取り込まれてるから、IDもパスワードも認証も全部知られてるいるようなもんですからねー。あっさり操られちゃいました。」
自虐的に軽く言って肩をすくめてみせた。
花子は深くタバコを吸い込んで、煙を吐き出すと、チラっと一瞬斜め後のマキシを見て、
「…それだけか?」
と、短く聞いた。
その問いにマキシははっと顔をあげた。
花子の視線はもう自分が運転している車が走る明け方の二車線道路に向いていた。
マキシの席からはどんな表情をしているのか見えない。それが余計にすべてを見透かされれているように感じる。
「…あっ…いえ、俺が……。」
マキシは言いかけて、一端口をつぐんだ。
今、心に浮かんでいることを言葉に出すには、少しの勇気が必要だった。
マキシは横で眠っている礼真へ目を向けた。
頬の表皮が剥がれ、下の木肌がのぞいていて、痛々しい。それをしたのは自分だということを改めて噛みしめる。
マキシは礼真の頬に手を伸ばしたが、そこに触れる直前で、ぎゅっとその手を握り込んだ。
「レイマが…人形の体にどんどん馴染んで、強くなって…。俺がレイマを守るって一人で言ってるの…バカみたいっていうか。俺なんか置いて行ってしまうんじゃないかって…」
マキシは握り込んだ拳を額にあてて俯いた。
最後の方の声はほとんど音になっていなかった。
「はぁー本当にお前らはバカだな」
黙って聞いていた花子は、大きくため息をつきながら、カップホルダーに取り付けている灰皿に吸い殻をねじ込んだ。
「はい…?お前ら?」
「お前も礼真もバカだと言ってるんだ」
赤信号。花子は雑にブレーキを踏んだ。
慣性でマキシの体が少し前にずれたが、マキシはそれより前に体を乗り出した。
「も?」
「知らないのか?礼真はいつも仕事の後で、マキシの邪魔になってないか、足を引っ張ってなかったかって、一人反省会だ。反省会なら二人でやらんと意味ねぇのに、あいつもそのへん頑固だからな」
花子はまたタバコをくわえて火をつけた。
「レイマが…」
マキシはシートに座りなおした。
神社で二人で倒れたとき、礼真が泣き顔のまま怒って、
『ないの!俺の行くところっここしかないの!』
と、マキシの胸のあたりをボカっも叩いた礼真を思い出す。
あれは、隠すことない礼真の本心だった。
そして、その中に礼真もまた不安を抱えていたんだと、花子の言葉から気づかされた。
マキシは、礼真に手を伸ばすと今度は迷うことなく、髪に触れ、指ですき、そのまま手を滑らせて、頬を柔らかく撫でた。
「う…ん」
礼真が小さくむずがるように、眉間にシワを寄せたかとおもったら、へにゃっと眉をさげた。
殴って、掴んで、痛めつけた手が触ってるだよ…そんな無防備でいいの?そう思いながらも触れる手は止められない。
「もーそういうところだよ」
マキシは吐息ほどの音で言うと、礼真の肩の辺りでもぞもぞ動いているベア吉を、もう一度しっかり固定して、
「ベア吉、レイマの首が痛くなんないように…な?」
マキシの言葉を理解したのか、枕の役割を果たすべくベア吉は礼真の肩の上でおとなしくなった。
後ろの席でのやり取りが落ち着いたことを確認した花子は、スパーと煙吸い込んで、
「だいたいな!私の作る人形の性能を100%活かすにはお前らを足して2で割って3乗しても足りねぇんだよ!」
と、雑な口調で言い切った。
「た…して?2でわって3…?」
突然の言葉にマキシの頭はついていけない。
「他と自分を比べる暇があったら私の人形にふさわしくなるように性能あげることを考えろ!礼真にも言っておけ!」
「は…はーい」
とにかく、マキシと礼真はまだ花子の及第点をもらえるほどではないということだけはわかって、マキシは首を竦めて返事をした。
「それから、礼真がこの調子だと事務所は開店休業だ」
花子の声のトーンが少し変る。実務モードだ。
「あっそっか…てか、レイマ、どのくらいでもと通りになります?」
マキシもまたいつも調子に戻す。
「表皮だけじゃなく本体にまでヒビいってるからなぁ、霊力もかなり消耗しているし、全治1カ月ってところだな。お前は2週間」
「いっかっげ…にしゅ…」
単純にその時間の長さにマキシは絶句した。
「表皮とかヒビの修繕はめんどくせぇんだよ。それより、その間、事務所は無収入になるわけだ」
マキシの絶句はスルーして花子は珍しく深い溜息をついた。
「やばいじゃないっすか、なんかで稼がないと!」
マキシがシートから腰を浮かせた。
日頃常識が欠けていると言われることが多いマキシだが、無収入がおよぼす弊害はわかる。
「実は、サイバーセキュリティ関係の依頼が溜まってててな。怪異の方が立て込んでたんで、保留にしていたんだ。この機会に片づけろ。礼真もしばらく安静だし。お前は顔だけだから問題ないだろ。パソコン部屋に缶詰になってろ」
いつもの決定事項を告げてくる調子で花子が言う。
「は?はぁーーー!?」
マキシは声を上げた。
怪異からみで繋がりのできた企業に、マキシはシステムの脆弱性やバグがあることをちょこちょことアドバストすることはあったが、正式にそういう依頼が来ていることは知らなかった。
花子の基準の『溜まっていて』がどのくらいのなのか想像するだけで、汗など出ない体ではあるが、内側にいる魂は確実に冷や汗をかいている。
信号が赤になる。
「とにかく、働け。家賃滞納になったら追い出されるぞ。私たちミロクセキュリティの未来はお前の肩にかかっている!」
ブレーキを踏んだままで、花子はばっと振り向いて、びしっとマキシに指をつけて言った。
花子の事務所、マキシの職場、ミロクセキュリティ。花子がその未来を真剣に考えいるとは思えないが、その台詞は一度言って見たかったんだろうなぁ…と思いながら、
「…がんばります」
と、マキシはがくっと頭を落として、答えた。選択肢はない。
「それと」
少しの沈黙があって、花子が言った。
「まだあるのぉ?」
マキシが悲鳴のような声を上げる。
信号が青に変ったが、珍しく一瞬、花子のアクセルが遅れた。
「それと…今回の現場、お前がいた場所だったという情報が漏れていたのは、私のミスだ。すまなかった」
マキシは、はっと目を開いて、花子を見た。
マキシの場所からでは花子の表情までは見えない。運転はいつもどおりスムーズだっだが、ハンドルを握っている手にいつもより力がこもっているように見えた。
花子の言葉を飲み込んで、噛みしめる。
あの神社が、自分が暮らし、命を落とし、その後500年過ごしていた場所だと知っていたとしたらどうなっていたか…考えかけてマキシは軽く首を振った。
「…所長…あっあのっ、いや…、その情報があっとしても、多分状況は変わらなかった思います」
マキシが静かに答えると、
「…そうか」
花子が短く答えた。
その花子の後ろ姿を見つめて、
「あの!」
マキシは声を上げた。その声の大きさに、びくっと花子の肩が上がった。
「なんだ、声でけぇ、礼真が起きるぞ」
マキシはあっと口を押さえて、礼真の方を咄嗟に見たが、起きる気配は全くないことを確認して、
「これからは二人で反省会します」
今度は少し声を落として、それでもはっきりと誓うように言った。
「そうか」
さっきと同じ返事だったが、ほんの少しだけトーンが上がったような声だった。
「このっこのクソコードが」
マキシは一人パソコンの前で毒づく。
事務所の収入を確保する為のIT関係の仕事をマキシは文字通り不眠不休でこなしていた。
あれから2週間が経っていた。
マキシの体は完全に修復され、礼真に殴られて表皮が剥がれた頬もすっかり元通りになっていた。が、礼真の方は花子の見立て通り修復に時間がかかるらしい。
礼真の方は、安静を言い渡されて私室から出ることを禁じられていた。
そんなわけで、マキシは2週間、礼真の顔を見ていない。
「はぁーもうザルかよ、このセキュリティはー」
マキシがイラつきながら、ガシガシと頭をかいていると、トントンと控えめなノックの音がした。
「マキシ、ちょっといい?」
礼真の声がする。
マキシはばっと立ち上がると、ドアを開けた。
小さいコンビニの袋を下げた礼真が立っていた。
もう動いて大丈夫なの?
コンビニ行ったの?
顔、見たかったよ。
そんな言葉がいっぺんにマキシの頭の中を駆け巡って、逆に口からなにも出てこない。
無言で、少し怒っているような顔のマキシに、肩をすぼめるようにして小さくなっている礼真が、
「…あの…ごめん、邪魔…して。仕事大変って聞いたから、差し入れ持ってきた。これ渡したかっただけだから…」
まだ、黙ったままで自分を見下ろしてくるマキシに、電子タバコのカートリッジを差し出す。
「さっきコンビニ行った。新商品出てたから。トロピカルフルーツフレーバー…」
しょもっと眉を下げて、控えめにコンビニの袋を差し出す礼真の手には保護の為の包帯が巻かれていて、顔にも大きな絆創膏がはられている。
まだそんな状態なのに、マキシが詰めて仕事をしてると聞いて、差し入れをしようとコンビニまででかけたのだろう。
体の奥の方がきゅっとなって、マキシは思わず目の前の礼真を抱きしめていた。
なにより2週間ぶりの再会である。マキシからしてみれば、完全な礼真不足だった。
「えっ…あっ」
「ありがと」
いきなりの抱擁に戸惑ってしる礼真をよそにマキシは礼真の額の生え際の辺りに頭をおしつけた。そこですぅと深呼吸すると、礼真がいつも吸っているメントール系の電子タバコの匂いがする。
礼真の匂いだ…と、マキシはまた深く吸い込む。
電子タバコでは甘いフレーバーを好むマキシだが、礼真から香るメントールの匂いに満たされる。
しばらくそうしていて、やっとマキシから解放された礼真は、吸われた辺りに手をやって、真っ赤になって俯いた。
「あ…えっと、じゃあ…俺、部屋に戻る。こっそり抜け出したから所長に見つかるとヤバいし」
「もう行っちゃうの?いいじゃん。もうちょっとだけ」
じっと見つめてくるマキシの視線からうろっと目を反らして、逃げるように去ろうとする礼真の腕をやんわり掴んで、マキシは部屋に引き入れた。
「でも、邪魔になる」
へにゃっと眉を下げる礼真を強引にソファベッドに座らせる。
「ならない、ならない。ってか、ずっとプログラムばっかり見ててどうにかなりそう、癒されたい」
ゲーミングチェアを礼真の前まで引っ張ってきて、マキシが座る。
「あっ癒し?ベア吉連れて来ようか?」
礼真がぱっと顔を輝かせて、立ち上がろうとするのをマキシが止めた。
「いやいや、クマはいらないから、俺には礼真が癒しなの」
包帯が巻かれた手にそっと触れながらマキシが、柔らかく言うと、
「…そ…」
ちょっと驚いた顔をした礼真はすぐに恥ずかしそうに目を伏せた。
ソファに座りなおした礼真は、なにかを走り書きしたメモや電子タバコのカートリッジが雑多に置かれているパソコン回りを見て、
「仕事大変そうだな。俺もそっち系の仕事手伝えたらいいけど、なんにもできないから」
と、悲し気に溜息をつく。
『お前も礼真もバカだと言ってるんだ』
あのときの車内での花子の言葉が言われたときのままで脳内に再生されて、マキシは苦笑した。
たしかに、自分も礼真もバカだな…と今なら思う。
「礼真は現場で前衛で物理的なもん相手にするのが仕事でしょ。で、今はしっかり回復するのが仕事。」
「前衛なのは、それしかできないからだし…」
礼真は声を小さくしてだんだんと下を向く。
「俺だって、これしかできないよ」
マキシが差し入れのトロピカルフレーバーを吸いながら、後ろのパソコンを指さした。
「それにさ、こうやって俺の好きなもの差し入れてくれて、顔見せてくれて、俺のHPもMPも完全回復したからね」
と、微笑んだ。
その笑みにつられるように礼真の表情も緩めると、あっと小さく声をあげて、
「そういえば、あの神社に地縛霊時代のマキシの残り?残滓だっけ?それってクラウドに入れる?」
礼真が聞いてきた。
花子にマキシが簡単に操られてしまった経緯を聞いてから、ずっと気になっていたらしい。
「うん、俺が取り込むのは無理なんだよね。なんか拒否反応出てて」
マキシはふぅと煙を吐くついでのようにため息をついた。
自分の一部だった残滓は、マキシであってマキシではないものになっていた。
マキシ自身はそれも仕方のないことだと思っていた。ただ、残滓でもかなりの霊力をもつ残滓を放置することはできない。
「そっか…なぁ残滓ってマキシの何パーセントくらい?マキシ全部が100としたらどのくらい?」
礼真が真剣な顔で聞いてきた。
「うーん、3%くらいかなーほんの少しだよ。俺も気づかなかったくらい少し」
面白いことを聞くなぁと思いながらマキシは、首をひねりながら答える。
マキシの答えを聞いて礼真は、少し沈黙のあと、
「…その、3%マキシ、俺が持ってたらダメ?メモリースティックとかに入れられるだろ?」
と、言ってきた。礼真がこんな風にお願いをしてくることは珍しい。
「ま?できるけど、なんで?」
「今のマキシって3%が欠けてるっことだろ?だから、その3%マキシ俺が持ってたら…ここにいる97%のマキシと合わせて、100%のマキシといつも一緒にいるってことに…なる…だろ?」
マキシの問いに、礼真は自分の頭の中にある考えを一生懸命に言葉にして伝えてくる。
その言葉にマキシの頭の中は一旦、処理落ちする。
3%の残滓を礼真が持つ。
ここにいるのは97%のマキシ。
礼真が3%持つと100%のマキシといつも一緒にいることになる…とは?
キュルキュルと音はしないが、マキシの頭が高速で回る。
そして、礼真の言葉の意味を理解する。
礼真にとってマキシと一緒いることは決定していることで、そのマキシが欠けているならどんな形でも100%のマキシと一緒にいたいということ。
マキシの体の中にある魂が震えた。
それは、数十年前、あの神社であの場所に縛られていたマキシがうっかり落とした目玉を、子供の頃の礼真が拾って、手のひらに置いてくれたときに、感じた衝撃だった。
あのとき、マキシは礼真がどんな人間かも知らないのに、瞬間で落ちた。
自分がこの子供もにしてあげられることはないかもしれないけど、そばにいたいと願った。
ただ願った。
マキシが黙ってしまったことに、
「ごめん、無理だったらいいよ」
礼真は眉をさげて、謝ってくる。
マキシを困らせてしまったと思っているらしい礼真に、
「あっごめん。いや、いいよ。レイマがかなり暴れても壊れないメモリースティック作るからちょっと待ってね」
慌てて謝り返して、言葉を続ける。ぱっと礼真の顔が輝いた。
「うん!でも、3%マキシのバックアップはちゃんと取れよ」
「え?礼真が持っててくれるなら、バックアップとか取らなくてよくない?」
マキシがしれっと言うと、
「いやいや、そりゃ壊さないようにするよ。絶対、失くしたり、壊したりしない…けど、俺、基本前衛だし…万が一ってことあるから…うぅ…じゃあ、仕事ときは持って行かないようにする…」
礼真は焦ってあわあわしながら言っていたが、だんだんとしゅんとなって最後には俯いてしまった。
マキシは笑いをかみ殺した。かわいすぎる。
「ふはは!冗談だよー俺はどんな子のデータもちゃんとバックアップとるよ。もちろん、俺の残滓もね」
「っ!もーマキシ!」
「ごめん、ごめん」
マキシに揶揄われたことがわかった礼真が手を上げて、その手をマキシが掴んで、二人で笑いながらじゃれ合っていると、
「おい、お前ら楽しそうだな」
と、地を這うような声がドアの方から聞こえた。
抱き合うようになっていたマキシと礼真はその声に固まった。
すんっとした花子が腕を組んで仁王立ちになっている。
口の端が上がって笑っているようにも見えるが、笑っていない。
ごくっとマキシも礼真も息を飲んだ。
「マキシ、仕事は終わったのか?礼真はどうしてここにいるんだ?」
「すっすみません、すぐっ終わります。すぐっ」
「ごっごめんなさいっ部屋戻ります!」
花子の言葉にマキシはバッとパソコンに向かい、礼真は逃げるように部屋を出て行った。
「ったく…手のかかる従業員だ、なぁ?」
二人を見て、花子は足元のベア吉を抱き上げた。
バタンとドアが閉められて、部屋に一人になったマキシは、礼真からの差し入れのカートリッジを電子タバコに差し込んで、吸い込んだ。
甘いくフルーティーに香りに体の奥が満たされるような気分になる。
マキシは、クラウドにアクセスして自分の残滓を呼び出して、メモリースティックに入れられるようにデータ化し、圧縮して、少し考えて『M03』と名前をつけた。
「あとは、バックアップとって、メモリースティックか。どんなメモリースティックしようかなー」
ネット通販のページを開く。
メモリースティック眺めながら、
「3%残滓か…うん、2%分の俺も入れとこー礼真を守れるようにね」
良いことを思い付いたとマキシはふふっと笑う。
怖い思いも、痛い思いもさせない、必ず守ると思っていた。
けれどそれではあまりに一方通行だ。
礼真が自分に向けている思いと、自分が礼真に向けている思いは、交わったり、少し離れたりしながらも、きっとずっと隣にある。
守るという気持ちは変わらない。
けれど自分も礼真に守ってもらおうと思う。
「手始めに俺5%をレイマに預けますか」
数日後。
依頼されていたサイバーセキュリティの仕事が一段落したマキシと、安静が解除された礼真は事務所で、久し振りに顔を合わせていた。
「レイマ、約束のメモリースティックだよ」
マキシが礼真に首から下げられるように鎖がついたメモリースティックを差し出した。
市販のメモリースティックに、花子が人形作りの仕上げにつかうコーティング剤を塗り込んだり、その他にもいろいろと工夫をして、耐久、耐水、耐熱すべての性能をあげた特別製だ。
「ありがとう!」
ぱっと顔を輝かせた礼真がメモリースティックを手にして。
「マキシ色だ」
と笑う。
メモリースティックは黒と黄色のツートンカラーに緑のラインが入っていて、マキシの金髪と緑の目の色になっていると、礼真は笑ったのだ。
マキシは目を細めると、黒のところをトンと指さして、
「レイマ色もね」
くゃっと礼真の髪に触れた。礼真の髪は青みかかった黒だ。
マキシの言葉に礼真がさっと頬を赤くして、それを誤魔化すように、メモリースティックを首からさげた。
ミロクセキュリティの事務所の中には霊的防犯対策の為に鏡はない。
礼真は夜の窓に自分の姿をうつして、しばらく眺めて、
「なぁこれかっこよくない?近未来なアクセに見えない?」
珍しく興奮気味にマキシの前でポーズを取る。
普段、あまり自己主張をすることがない礼真のその姿に、はしゃいでいるかわいいーと思うが、さすがにメモリースティックはアクセサリーには見えない。
「メモリースティックを首から下げてるだけに見える」
マキシがクスクスしながら言うと、
「いいよー言ってろ、俺がかっこいー思ってるからいいんだよー」
礼真はぷっとして、
「な!ベア吉ー」
と足元にいたベア吉を抱き上げて、ぎゅとする。
ベア吉もうれしそうに礼真にぎゅっとしてから、礼の胸元にあるメモリースティックを不思議そうに見つめて、手を伸ばした。
「あっダメだよ、これさわっちゃだめ。ごめんな」
ベア吉の手が触れる前に、礼真はメモリースティックをパーカーの内側に隠した。
隠されてしまったことを、ベア吉は特に気にした風はなかったが、礼真の胸元と、マキシを何度か見比べて首を傾げた。
あっこいつ、気付いてるかも…とマキシは内心ヒヤっとする。
礼真には残滓3%にプラスして本体2%を入れていることは言っていない。あくまで、マキシがこっそり忍ばせた2%なのだ。
「手編みのセーターに自分の髪の毛を一緒に編み込むのと同じだな。」
いつの間にか帰って来ていた花子が、マキシの後ろを通りながら、ボソッと言った。
マキシは、ばっと花子を見たが、花子はいつも通り退屈そうな顔で、自分の席についた。
「所長、見て。これかっこいいでしょ?」
礼真はうれしそうに花子にメモリースティックを見せる。
花子はじっとそのメモリースティックを見つめてから、マキシの方を見てうっすら笑った。
「そうだな、礼真にはかっこよく感じるだろうな。似合っている。なぁマキシ?」
「そっソウデスネ…」
出るはずのない冷や汗を感じながら、マキシは答えた。
それから、礼真はどこに行くときでもそのメモリースティックを首から下げるようになり、しばらくはマキシはベア吉と花子から意味深に見つめられて居心地の悪い思いをすることになる。
See you next heart….



