俺は家庭科部で、運動部向けの減量メニューを提案した。
運動部の彼氏を持つ女子生徒や、ダイエットを考えている生徒には好評で、男子の少ない家庭科部では新鮮な取り組みだったらしい。
普段はお菓子作りや裁縫が中心なこともあり、顧問からも「面白い発想だ」と高く評価された。
そのおかげで、俺は作った料理を持ち帰り、田邊の夕食を堂々と任せてもらえるという特権を手に入れた。
田邊に頼まれたわけではない。それでも、絶食かコンビニのおにぎりだけで減量する姿を見ていると放っておけなかった。
予選大会まで残り半月。俺は迷わず食事のサポートを申し出た。
減量メニュー作りは意外と難しい。
栄養バランスやカロリーを調べ、田邊の練習量も考えながら試行錯誤を繰り返した。
しかも田邊は好き嫌いがかなり多い。そのせいで献立にはずいぶん苦戦したが、大きな口を開けて美味しそうに頬張る姿を見るたび、頑張った甲斐があったと嬉しくなる。
土日は学校が休みで調理室が使えない。
そのため、寮の厨房を借りて料理を作ることになり、お菓子ではなく夕食を作る姿を寮生たちに見られるようになった。
心配だったのは、また「おかん」なんてあだ名を付けられないかということだ。
「由良って、おかんみたいだな」
「それ俺も思った!」
「お菓子作りしてた頃から若干出てたよな。オカン気質」
案の定、何人かの寮生がわざわざ厨房を覗きに来て好き勝手言い始める。
「ははっ……」
曖昧に笑いながら、俺は菜箸で野菜をフライパンの上で転がした。
「時々ババくさいところあるからさ、由良の『王子』呼びに違和感あったんだけど、今納得したわ。お前はおかんだ!」
「案外世話焼きだもんな」
皆、口にしなかっただけで気づいていたらしい。
そう言われると、笑って受け流そうとしても胸の奥が少しだけ痛んだ。
「今日から由良はおかん決定!」
どっと笑い声が広がる。
悪意がないのは分かる。だからこそ、「嫌だ」とも言えず、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
「由良先輩は、おかんって言うより、奥さんですね」
聞き慣れた声に振り返ると、いつの間にか田邊が厨房の入り口に立っていた。
「おー、田邊! どう見てもこの姿、おかんだろ! 世話焼きがすぎるぜ、由良は」
先輩の一人が笑いながら俺を指差す。
「割烹着似合いそうだもんな!」
「おかんじゃないなら、割烹着の王子?」
面白がるように次々と野次が飛び、厨房は笑い声に包まれた。
俺は苦笑いを浮かべることしかできない。
「どう見ても、奥さんでしょ。俺の」
田邊がさらりと言った瞬間、笑い声がぴたりと止んだ。
思わず振り返ると、田邊は何事もないような顔で俺の後ろへ回り、そのまま背中から抱きしめてくる。
「ちょっと、田邊! 危ない!」
突然のことに体が跳ねる。熱を帯びた腕が腹へ回され、思わず菜箸を持つ手に力が入った。
「先輩たち、俺の奥さんいじめないでくれます?」
「おいおい、いじめてねぇよ」
寮生たちは顔を見合わせて笑う。
「あ、でも納得するかもな。田邊の奥さんって。それ、田邊のメシだろ?」
「……あ、うん」
照れくさくなって小さく頷く。
「いいなぁ、奥さんって響き。俺にも作ってくれよ、由良ぁ」
「は? 先輩、ダメですよ。あげませんよ」
田邊は即座に返すと、俺を抱く腕にぐっと力を込めた。
ふわりと塩素の匂いが鼻をくすぐる。競泳の練習から帰ってきたばかりなのだろう。
「田邊、お風呂入っておいでよ」
「うわぁ、それ言うところまで奥さんじゃん」
「俺、由良狙ってたのになぁ」
軽口のつもりだったのだろう。
けれど、その一言に田邊の腕がぴくりと動いた。
「……は?」
低く漏れた声に、さっきまで笑っていた寮生たちの空気が少しだけ張り詰める。
俺を抱いたまま、田邊はその生徒をじろりと睨みつけた。
「先輩、料理もういいから部屋行きますよ」
「えぇ? あとちょっとで完成だよ? その間にお風呂行っておいでってば」
ムスッとした田邊が俺を見つめている。
最近、共同スペースに顔を出すようになった田邊。何か吹っ切れたのかと思っていたが、こうして姿を見せるのは俺がいる時だけだ。他の生徒に話しかけられても会話は長続きせず、適当に切り上げてしまう。
そんな様子を見ていると、自分だけは少し特別なんじゃないか――そんな都合のいいことを考えてしまう。
「わかった、わかった。部屋戻るか」
「ん」
田邊は満足そうに頷いた。
洗い物は食べ終わったら田邊がやると約束し、俺たちは部屋へ戻る。
「おい、あれ、本当に付き合ってんじゃねーか?」
「いや、まさか……」
背後では、残された寮生たちが俺たちの関係を好き勝手に考察しているようだった。
***
部屋へ戻ると、ローテーブルに今日の夕飯を並べる。
「今日、練習どうだった?」
「あー……正規部員じゃないから、あんまり使えませんけど、そこそこ練習できましたよ。優希がたまに付き合ってくれて」
田邊の口から水野の名前が出た瞬間、胸がちくりと痛んだ。
学校で二人が楽しそうに話している姿を見るたび、胸の奥がざわつく。
でも、さっきみたいに田邊が俺を特別扱いしてくれると、そのモヤモヤも少しだけ薄れていく。
……それでも。
やっぱり、水野との関係は気になってしまう。
「本当、水野くんと仲いいよね」
「あぁ。付き合い長いから気が楽なだけっすね」
「そう……」
田邊は「いただきます」と手を合わせると、俺が作った料理を口へ運んだ。
美味しそうに頬張る姿を見ているだけで嬉しくなる。
俺はよっぽど、田邊の世話を焼くのが好きらしい。
「あー……でも、昔好きだった相手ではありますね」
「え?!」
さらりと言われた一言に、思わず大きな声が出た。
田邊は吹き出すように笑い、口元を手で隠す。
「ふっ……冗談ですよ」
肩を揺らしながら笑う田邊を見て、からかわれたのだと気づく。
「優希といるのが楽なのは確かですけどね。あいつ、本気で色々ぶつかってくるから。扱いやすいし、気を遣わなくていいってだけです」
そう言って満足そうに微笑むと、田邊は俺の顔を覗き込んだ。
「先輩、嫉妬した?」
田邊の黒い瞳がまっすぐ俺を見つめる。
明るい髪色と対照的なその瞳は、吸い込まれそうなほど澄んだ黒だった。
「なっ……何言って……!」
顔に一気に熱が集まる。
鼓動が耳まで響くようで、俺は田邊の目をまともに見られなくなった。
「俺は嫉妬しますよ。先輩が誰かと話してるのも、先輩の料理を誰かが食べるのも許せない」
そう言うと田邊は俺の手をそっと包み込み、一本ずつ指を絡めてくる。
振り払おうと思えば振り払えた。
それなのに俺は、その温もりが心地よくて、指をほどくことができなかった。
触れた肌が泡立ち、じんわりと熱を帯びる。
まるで体のほうが、田邊との距離が縮まることを喜んでいるみたいだった。
母親との一件以来、田邊は俺に触れるようになった。
距離が近くなり、独占欲のようなものを見せることも増えた。
最初は、ようやく懐いてくれた猫みたいだと思っていた。
けれど今では、それだけでは説明できないほど甘えてくる。
そんな特別扱いが嬉しいと思ってしまう自分がいる。
その時点で、俺の中で田邊の存在が変わってしまっていることは、もう認めるしかなかった。
いつから意識し始めたのかは分からない。
きっかけを一つ挙げろと言われても答えられない。
それでも、惹かれていることだけは間違いなかった。
出会った頃は刺々しくて近寄り難かった田邊が、今では俺にだけ驚くほど甘い。
その変化が嬉しくて、胸の奥がくすぐったくなる。
意外と寂しがり屋で、甘えん坊で、よく笑う。
そして、人一倍嫉妬深くて執着心が強い。
実はかなり子供っぽい。
そんな意外な一面を知るたびに、もっと好きになってしまう。
見た目とは正反対な田邉を、俺は可愛いと思ってしまう。
……もう末期だ。
真っ赤になった俺を見つめ、田邊は嬉しそうに目を細めた。
「その反応……俺、期待していい?」
「ま、待って。男だよ俺!」
「男とか女とか、年上とか年下とか……そんなの、どうでもよくないっすか」
言いながら、田邊がゆっくりと距離を詰めてくる。
逃げようと思えば逃げられた。
なのに、俺の足は一歩も動かなかった。
「俺ね、先輩が好き」
砂糖より甘いその言葉に、胸の奥がきゅっと甘く締めつけられる。
「嫌だったら、殴ってでも逃げてください」
そう言って田邊は俺の反応を待つように一瞬だけ目を伏せた。
その表情が少しだけ不安そうに見えて――。
俺が何もできずにいると、田邊の唇がそっと俺の唇へ触れた。
冷たい唇だった。
そこに残っていたのは、さっき俺が作った夕飯の、優しい味だった。
運動部の彼氏を持つ女子生徒や、ダイエットを考えている生徒には好評で、男子の少ない家庭科部では新鮮な取り組みだったらしい。
普段はお菓子作りや裁縫が中心なこともあり、顧問からも「面白い発想だ」と高く評価された。
そのおかげで、俺は作った料理を持ち帰り、田邊の夕食を堂々と任せてもらえるという特権を手に入れた。
田邊に頼まれたわけではない。それでも、絶食かコンビニのおにぎりだけで減量する姿を見ていると放っておけなかった。
予選大会まで残り半月。俺は迷わず食事のサポートを申し出た。
減量メニュー作りは意外と難しい。
栄養バランスやカロリーを調べ、田邊の練習量も考えながら試行錯誤を繰り返した。
しかも田邊は好き嫌いがかなり多い。そのせいで献立にはずいぶん苦戦したが、大きな口を開けて美味しそうに頬張る姿を見るたび、頑張った甲斐があったと嬉しくなる。
土日は学校が休みで調理室が使えない。
そのため、寮の厨房を借りて料理を作ることになり、お菓子ではなく夕食を作る姿を寮生たちに見られるようになった。
心配だったのは、また「おかん」なんてあだ名を付けられないかということだ。
「由良って、おかんみたいだな」
「それ俺も思った!」
「お菓子作りしてた頃から若干出てたよな。オカン気質」
案の定、何人かの寮生がわざわざ厨房を覗きに来て好き勝手言い始める。
「ははっ……」
曖昧に笑いながら、俺は菜箸で野菜をフライパンの上で転がした。
「時々ババくさいところあるからさ、由良の『王子』呼びに違和感あったんだけど、今納得したわ。お前はおかんだ!」
「案外世話焼きだもんな」
皆、口にしなかっただけで気づいていたらしい。
そう言われると、笑って受け流そうとしても胸の奥が少しだけ痛んだ。
「今日から由良はおかん決定!」
どっと笑い声が広がる。
悪意がないのは分かる。だからこそ、「嫌だ」とも言えず、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
「由良先輩は、おかんって言うより、奥さんですね」
聞き慣れた声に振り返ると、いつの間にか田邊が厨房の入り口に立っていた。
「おー、田邊! どう見てもこの姿、おかんだろ! 世話焼きがすぎるぜ、由良は」
先輩の一人が笑いながら俺を指差す。
「割烹着似合いそうだもんな!」
「おかんじゃないなら、割烹着の王子?」
面白がるように次々と野次が飛び、厨房は笑い声に包まれた。
俺は苦笑いを浮かべることしかできない。
「どう見ても、奥さんでしょ。俺の」
田邊がさらりと言った瞬間、笑い声がぴたりと止んだ。
思わず振り返ると、田邊は何事もないような顔で俺の後ろへ回り、そのまま背中から抱きしめてくる。
「ちょっと、田邊! 危ない!」
突然のことに体が跳ねる。熱を帯びた腕が腹へ回され、思わず菜箸を持つ手に力が入った。
「先輩たち、俺の奥さんいじめないでくれます?」
「おいおい、いじめてねぇよ」
寮生たちは顔を見合わせて笑う。
「あ、でも納得するかもな。田邊の奥さんって。それ、田邊のメシだろ?」
「……あ、うん」
照れくさくなって小さく頷く。
「いいなぁ、奥さんって響き。俺にも作ってくれよ、由良ぁ」
「は? 先輩、ダメですよ。あげませんよ」
田邊は即座に返すと、俺を抱く腕にぐっと力を込めた。
ふわりと塩素の匂いが鼻をくすぐる。競泳の練習から帰ってきたばかりなのだろう。
「田邊、お風呂入っておいでよ」
「うわぁ、それ言うところまで奥さんじゃん」
「俺、由良狙ってたのになぁ」
軽口のつもりだったのだろう。
けれど、その一言に田邊の腕がぴくりと動いた。
「……は?」
低く漏れた声に、さっきまで笑っていた寮生たちの空気が少しだけ張り詰める。
俺を抱いたまま、田邊はその生徒をじろりと睨みつけた。
「先輩、料理もういいから部屋行きますよ」
「えぇ? あとちょっとで完成だよ? その間にお風呂行っておいでってば」
ムスッとした田邊が俺を見つめている。
最近、共同スペースに顔を出すようになった田邊。何か吹っ切れたのかと思っていたが、こうして姿を見せるのは俺がいる時だけだ。他の生徒に話しかけられても会話は長続きせず、適当に切り上げてしまう。
そんな様子を見ていると、自分だけは少し特別なんじゃないか――そんな都合のいいことを考えてしまう。
「わかった、わかった。部屋戻るか」
「ん」
田邊は満足そうに頷いた。
洗い物は食べ終わったら田邊がやると約束し、俺たちは部屋へ戻る。
「おい、あれ、本当に付き合ってんじゃねーか?」
「いや、まさか……」
背後では、残された寮生たちが俺たちの関係を好き勝手に考察しているようだった。
***
部屋へ戻ると、ローテーブルに今日の夕飯を並べる。
「今日、練習どうだった?」
「あー……正規部員じゃないから、あんまり使えませんけど、そこそこ練習できましたよ。優希がたまに付き合ってくれて」
田邊の口から水野の名前が出た瞬間、胸がちくりと痛んだ。
学校で二人が楽しそうに話している姿を見るたび、胸の奥がざわつく。
でも、さっきみたいに田邊が俺を特別扱いしてくれると、そのモヤモヤも少しだけ薄れていく。
……それでも。
やっぱり、水野との関係は気になってしまう。
「本当、水野くんと仲いいよね」
「あぁ。付き合い長いから気が楽なだけっすね」
「そう……」
田邊は「いただきます」と手を合わせると、俺が作った料理を口へ運んだ。
美味しそうに頬張る姿を見ているだけで嬉しくなる。
俺はよっぽど、田邊の世話を焼くのが好きらしい。
「あー……でも、昔好きだった相手ではありますね」
「え?!」
さらりと言われた一言に、思わず大きな声が出た。
田邊は吹き出すように笑い、口元を手で隠す。
「ふっ……冗談ですよ」
肩を揺らしながら笑う田邊を見て、からかわれたのだと気づく。
「優希といるのが楽なのは確かですけどね。あいつ、本気で色々ぶつかってくるから。扱いやすいし、気を遣わなくていいってだけです」
そう言って満足そうに微笑むと、田邊は俺の顔を覗き込んだ。
「先輩、嫉妬した?」
田邊の黒い瞳がまっすぐ俺を見つめる。
明るい髪色と対照的なその瞳は、吸い込まれそうなほど澄んだ黒だった。
「なっ……何言って……!」
顔に一気に熱が集まる。
鼓動が耳まで響くようで、俺は田邊の目をまともに見られなくなった。
「俺は嫉妬しますよ。先輩が誰かと話してるのも、先輩の料理を誰かが食べるのも許せない」
そう言うと田邊は俺の手をそっと包み込み、一本ずつ指を絡めてくる。
振り払おうと思えば振り払えた。
それなのに俺は、その温もりが心地よくて、指をほどくことができなかった。
触れた肌が泡立ち、じんわりと熱を帯びる。
まるで体のほうが、田邊との距離が縮まることを喜んでいるみたいだった。
母親との一件以来、田邊は俺に触れるようになった。
距離が近くなり、独占欲のようなものを見せることも増えた。
最初は、ようやく懐いてくれた猫みたいだと思っていた。
けれど今では、それだけでは説明できないほど甘えてくる。
そんな特別扱いが嬉しいと思ってしまう自分がいる。
その時点で、俺の中で田邊の存在が変わってしまっていることは、もう認めるしかなかった。
いつから意識し始めたのかは分からない。
きっかけを一つ挙げろと言われても答えられない。
それでも、惹かれていることだけは間違いなかった。
出会った頃は刺々しくて近寄り難かった田邊が、今では俺にだけ驚くほど甘い。
その変化が嬉しくて、胸の奥がくすぐったくなる。
意外と寂しがり屋で、甘えん坊で、よく笑う。
そして、人一倍嫉妬深くて執着心が強い。
実はかなり子供っぽい。
そんな意外な一面を知るたびに、もっと好きになってしまう。
見た目とは正反対な田邉を、俺は可愛いと思ってしまう。
……もう末期だ。
真っ赤になった俺を見つめ、田邊は嬉しそうに目を細めた。
「その反応……俺、期待していい?」
「ま、待って。男だよ俺!」
「男とか女とか、年上とか年下とか……そんなの、どうでもよくないっすか」
言いながら、田邊がゆっくりと距離を詰めてくる。
逃げようと思えば逃げられた。
なのに、俺の足は一歩も動かなかった。
「俺ね、先輩が好き」
砂糖より甘いその言葉に、胸の奥がきゅっと甘く締めつけられる。
「嫌だったら、殴ってでも逃げてください」
そう言って田邊は俺の反応を待つように一瞬だけ目を伏せた。
その表情が少しだけ不安そうに見えて――。
俺が何もできずにいると、田邊の唇がそっと俺の唇へ触れた。
冷たい唇だった。
そこに残っていたのは、さっき俺が作った夕飯の、優しい味だった。



